「どれが一番好き?」といった質問
はじめましての人も、
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
話題の内容よりもむしろ、
質問を向けた相手御本人に興味があるという事で、
訊ねた側にそこまでの不快感を覚えないのであれば、
多少の御容赦は頂きたい。
(文字数:約1600文字)
入籍してから干支も一周回り、
出会ってからは実に20年も経とうとしている、
配偶者を付き合い出した当初から、
時折困らせている事柄に、
私がつい口にしてしまう、
「どれが一番好き?」
といった質問がある。
配偶者からは大抵、
「いや……。全部」
とか、
「そんなの決められないし、
別に決めたいとも思わないし……」
といった返答しか来ない事を、
私も重々承知しているはずなのだが、
それでも訊いてしまうのは、
単純に配偶者本人の趣味嗜好興味を知り、
心の動きに流れを探りたいからだ。
そこまで困られてもこっちだって困る。
なぜなら私の側は、
それを訊かれたとしても特に困りもせず、
「今現在の一番で良いんだろ?」
と思い浮かんだままをテキトーに答えるからだ。
つまり私は、
「好き」という感覚に、
永続性を期待していないし、
「好き」という言葉たった一単語が、
不変性を担保してくれるものとも考えていない。
数年後に訊かれたらまた答えは変わるだろうし、
数年前の答えともきっと違っているだろうし、
それで何の問題も無い普通だろうと思っている。
もしかして私の方が少数派なのか?
だとすると、
果たして何が私にこの、
「好き」の瞬時性あるいは非連続性をもたらしたのか?
そう考えた時にまず思い浮かんだのが、
親が転勤族だったもので、
幼少期は二年ごとに転居・転校し続けていた事だ。
どれだけこちらが好きになろうが、
好きな物事に人々全てを忘れるまいと、
固く心に刻み付けるように思い入れようが、
悲しいかな去って行った土地の側から、
私はキレイさっぱり忘れ去られる。
住んでいた家も引っ越した直後から建て替わる。
両親に姉はともかく私の事までは、
大半の人がほぼ一生思い出しもしないだろう。
人の付き合いなどせいぜい二年、
を繰り返せばそれは「好き」という感覚に対して、
ドライにも思えるほど瞬時的にもなる。
一方で配偶者はこれがまた、
生まれ育った土地の近くを、
職場も現住所もほとんど離れていない。
関東への就職を機に離れようとしたが、
関西出身という事で異動させられたそうだ。
だろうな。
生粋の関東人よりは関西出身者の方が、
関西支社に適応できそうに思うものきっと。
五十年以上も同じ土地で暮らしていれば、
「どれが一番好き?」といった質問に、
不用意に答えた結果、
もうとっくに好きでもなくなった物を、
「これが一番好きって言ってたよね?」
といつまでも忘れてもらえず差し出される事も、
変わったって何もおかしくはないはずなのに、
「これが一番好きって言ってたのに!」
とまるで嘘でもついたかのように責められる事も、
まぁそこそこ経験してきている。
それは質問自体が困らされるものにもなる。
と思われそうだが要するには、
「どれが一番好き?」といった質問に、
困らされた場合、あるいは、
相手の困る様子に困らされた場合には、
「好き」のタイムスパンが相手とは、
かなり異なっているかもしれない、
とちょっとだけ思ってみて頂きたい。
それで話が弾むか余計に困るかにまでは、
責任を持てなくて申し訳ないが。
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。