漢字考
はじめましての人も、
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
Pixivで公開してきた小説以外の文章を、
noteに移して行きます。
(文字数:約1600文字)
夢枕獏氏の小説、並びに、
岡野玲子氏のマンガにおいても、
安倍晴明が類似の事柄を述べていた気がするが、
最も簡単な呪いは言葉、
中でも名前である。
言葉が呪いである、
という事は、
日本語と、
中でも漢字は強い呪縛性を放っているように思う。
言葉は人々の心を分断する、
という命題がすでに各国語において、
哲学的に為されてもいるが、
特に明治以降の日本語においては、
威圧的な「正しさ」「美しさ」をもって、
我々の感覚に精神に迫っている。
多少でも間違っていると、
そもそも書けないと、
知性面で劣っているようにみなされる。
時に線一本の多い少ないに、
バランスのゆがみであったとしても。
戸籍に正式に登録されているのは姓名地名の、
「漢字」のみだというのに、
ゆえに書籍やテレビなどでは、
わざわざルビをふられていない事が多いのに、
特殊な読みをしていても、
地域的な慣例的な読みであっても、
間違えて読んだなら、
失礼なり恥ずかしい事とされてしまう。
若者語が極端に省略され、
暗号化されていくのもうべなるかな。
とかく「国語」としての日本語は、
その中でも漢字は、
はっきり言ってしまえば「偉そう」度が過ぎる。
正確に扱えない者に対する、
蔑み度が過ぎると言い換えてもいい。
そう言いたくなったのも私が普段、
視覚障害者を相手に仕事をしているからであり、
日頃から視覚的に不便な状況があるだけで、
皆ごくごく普通の人達だよなと思っている事もあり、
所属しているボランティア団体の中でも、
知識が豊富で物腰も柔らかく、
周囲から敬意を払われているFさんの、
漢字にまつわる不便を綴った文章を、
読んだからでもあるが、
ちなみに点字は基本的に、
かな文字オンリーの世界である。
漢字の混じった文章を組み立てる事は、
不可能ではないが相当な困難を経ての作業になる。
それなのに、
残念ながら現行日本社会では、
誤字があるだけで書いた者の知性が低いように、
書かれている内容も浅いものであるように、
思われてしまう事が実に多い!
そんな事はないだろう、
と感じている方は今一度、
バラエティー番組等の、
おバカキャラのイジラれ具合や、
その根拠とされているのが、
所詮日本語の乱れ程度である状況を、
思い返してもらいたい。
漢字に限らず万事において言える事だが、
知っているだけで偉い、
という事はまず有り得ない。
使いこなせて伝わってなんぼであり、
場合によっては使わない、
という見極めも重要なのである。
視覚障害者向けの文章で言えば、
漢字の熟語を多用して、
同音異義語が増えまくった文章を作るよりは、
言い方自体を変えてみた方が良い。
どうしても二重の意味を持たせたい場合は別だが。
しかしそうした場合もそこまで多くはあるまい。
自転車普及協会の栗村修氏は、
漢字がやや得意ではない事で、
ファンの間からイジられているが、
10代後半から単身フランスに渡った、
彼の偉業と業績を考えれば、
納得を越えて潔い。
ヨーロッパの人間相手に、
漢字ごとき正直どうだっていいわけである。
総じて「正しい」「美しい」
「こうでなくてはならない」とされている事は
(私自身決して嫌いな感覚ではないが)、
その外側に追いやられる者を造り出す、
いびつな構造に簡単に変わり得ると、
心得ておいていい。
こだわりや美意識を捨てる必要は無いが、
あくまでも、
自分個人の規範にとどめておくべきだ。
他人に押し付け切れるほどの道理は無い。
また自分の規範に適さないからといって、
相手を見下せるほどの道理など存在しない。
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。