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一年の計は大欲にあり

 ……という言葉を最近聞いて、単純に

 なんじゃそりゃ

 と思いましたので、
 着地がどうなるか分かりませんけどもまとめてみます。


 仏教説話として聞きまして、
 「欲望とは違いますよ」
 とも言われましたので、ますます

 なんじゃそりゃ

 と、
 家に帰ってから漢字字典で、
 「欲」と「望」とついでに「希」を、
 調べてみたのですが、

 欲 …… 大きく開いた穴を前に身を屈めている様
 望 …… 今ここに無い月を見ようと身を伸ばす様
 希 …… 布越しに外を見ようと目を凝らす様

 なるほど微妙に異なる事は理解したが、
 だから何だと。

 一応仏教説話で教えられたところは、
 「大欲」とは「世界平和」のような、
 私心によらない大きな欲望を抱く事であり、
 そうした欲であれば仏教は否定していない。

 新年を迎えるに当たってこの世界の平和を、
 大いに願って下さいとの事だったんですが、

 それって幼い頃からあちこちの宗教で聞かされてきた、
 「小我は棄てて大我に生きなさい」
 みたいな文句が思い出されて私の心に抵抗があったわけだ。

 そもそも小我と大我って分けられんの?

 よしんば分けられると仮定したとしても、
 棄てるべき小我か抱くべき大我かを決めるのは誰なん?

 その疑問に「あなたの心にもいる仏様です」
 みたいな答え方をしてくれる方が、
 私は一応良い指導者だと思っています。
 (この一件だけで見極めるのは困難ですので、
  「一応」と付けさせて頂きます。)

 「そこを見極めるために修行しましょう」とか、
 (「仏様ですから仏を敬いましょう」はまだ良いとして)
 「それは周りが決める事ですので周りに従いなさい」とか、
 文言は多少異なっても似たような事言うてくる連中だけは、
 ホンマに一切信用ならんと思っている。
 
 お前が何様や

 ってごめんなさい。素で思うので。



 ついでにちょっと思いついた言いたい事があるんですけど、
 宗教に入っているとですね、
 託児所も学童もデイケアもいらなくて
 (つまり教会や集会所がその役割を担ってくれて)、
 結構楽ではあるんです。

 戦後や高度経済成長期のワンオペ育児時代にいたとして、
 その有り難みを想像してみて下さい。

 どうしてそんなのに入るの?
 という疑問の答えは、
 実のところ実質的だったりします。

 いや私自身は今現在入っていないんですがw
 入ってる事が即「異常」とも言えない事は確か。

 強いて言えば、
 入るか否かは個々人で決めさせろや。
 なぜ家族全員が入ってこそ幸せだと思い込む。

 関係、あれへんぞ。

 
という心からの不満はあります。


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偏光
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