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地球のせいにするな
2023年10月31日
明け方4時半頃に浮かんだ思考。
(見出し画像は「地球」で検索して、
月からはそりゃ普通に「地球見」だよな、
と頷けたので選びました。)
(文字数:約1000文字)
まず初めに言っておきたいのだが、
地球は怒っていない。
泣いてもいないから気をつけろ。
地球、を主語にしたその瞬間から、
責任放棄は始まる。
口にしたいのであればせめて、
「地球は怒っているように、
私は思います」
と自分を主語にした方が良い。
それでこそ、
「私はそう思いませんが、なぜですか?」
「私も概ねそう思いますが、
この部分は意見が異なります」
と人同士の対話が始められる。
とは言え今18歳以下の若者は仕方がない。
彼らが生まれ育ち物心つく過程には、
すでに世に満ち溢れていた表現形式だ。
しかしながらその実は、
80年代に表れ始め、
90年代頃に定着した、
一種の流行であり、
その裏側には、
「地球の怒りに気付かず、
怒りを鎮める対策も取らない奴から、
罰が当たってくれればいい」
という呪いにも似た文脈が潜んでいる。
自分個人の行動とその影響からは、
目を逸らさせるレトリックでもある。
だからこそ、
今可能な方は勇気を出して、
自らの口(あるいは相応技術)を動かし、
言葉に変えてごらん。
「私は環境を破壊しました」と。
(地球、は付けなくていい)
いや。
「今現在も私は環境を破壊し続けています」と。
地球は怒っている、
という前提など無い方が、
まだしも口に出しやすく感じないか。
その通り。
地球様は何も人間ごときに罰など与えて下さらない。
環境を破壊したのも、
今現在破壊し続けているのも、
破壊された環境により苦悩・困窮しているのも、
おしなべて人なんだよ。
自分がどうにかするしかない。
まずは自分一人の価値観で、
自分一人に出来る範囲からな。
自分一人で責任が取れない領域に関しては、
何も自分一人だけのせいじゃないんだから、
同じ問題に関心がある方、
どなたか一緒に考えてくれませんかって、
他人に物事を頼む時には、
せめてそうした流れで話を運べと、
地球の意志を代弁できるかのように、
上から目線で持ってくるなと、
私は思うんだが如何か。
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