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好きに生きればそのうちに【私も家事が好きになる】

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 こちらの企画に参加します。↓

(文字数:約2000文字)



まず私は脳内に三人格います

  ↑ここはすんなり受け入れて頂きたい。
   (私にとっては日常生活なので。)

  「家事を好きになれるアイディア」……。
  それを「ください」との事……。

  私こそが教えてもらいたいので、
  ちょっと真剣に考えてみよう。

  それと言うのもこれを書いている、
  11月13日から見ての昨晩、

  私の脳内の別人格が、
  「あれもやってない。
   これも出来てない。
   お前はクズだ。
   今すぐ死んでしまえ」
  と右肩から呟き続ける状態に、
  落ち込んでくれたばかりか、

  配偶者も二人分並べた隣の布団で、
  眠りに落ちるまでの間ずっと、
  「死ね」
  「クソが」
  と呟き続けていたから。

  いびき立ててようやく寝入ってくれた、
  と思ったら、
  ふっと目を覚ました途端にまた、
  「死ね」
  と呟いてたりもして、
  どんだけ頭に残りまくってんねん。

  つまり今このお題を考える事は、
  我々夫婦にとって喫緊の課題であり、

  どうやら家事だけでもなさそうだ、
  と配偶者の様子を見て思えてきた。


「仕事」とは何だと教わったか

  これにより同じ「仕事」であっても、
  定義に感覚は人それぞれ千差万別になるので、
  同じ議題での話が大変に進めづらくなる。

  あくまでも私の場合、
  幼少期から教え込まれてきたのは、
  「日々接する他人様全員に、
   当たり前の毎日を過ごして頂く事」だ。

  当たり前に過ごせる事が大前提。
  当たり前がちょっとでも滞ると、
  それは失敗。
  責められもして大反省。

  「失敗ばかりのドジ娘」
  として扱われ、
  笑ってもらえるならまだ良い。
  心からの軽蔑に、
  罪悪感まで乗せ掛けられたりもする。

  しかもその「当たり前」は、
  他人様の感覚や都合によって定められ、
  他人様の人数分どんどん積み重なる。

  楽しいわけがあるか。

  楽しく感じられているのであればそれは、
  接する皆様がずば抜けた善人か、
  運良く感覚が合う他人様とだけ、
  接し切れてきただけだ。


「昔の人は偉かった」に対する反論

  京都か江戸に住めている、
  貴族か武家の暮らしぶりしか、
  現代人はイメージできてないからな。

  宿場町や農民で考えようぜ。

  昔の家事は大変、だったからこそ、
  洗濯の日、
  掃除の日、
  お風呂(入浴及び掃除)の日、
  がそれぞれに分かれていたんだ。

  農村には商店も存在しないから、
  お買い物に行く手間もかからず、
  予算に頭を悩ませる事もない。

  頂いた着物が晴れ着であり、
  作った着物が普段着だ。
  何日も似通った装いでいたって、
  襟袖が多少汚れていたって、
  誰もがそんなもんだから恥ずかしくもない。

  手に入る食材を工夫して、
  食えるもんは純粋にそれしか無いから、
  味付けだの栄養価だのに、
  文句を言われる筋合いも無い。

  それを踏まえて現在を見るに、
  庶民のただ一人に対してまで、
  質量ともに多くを求められ過ぎなんだよ。


「当たり前」の恐ろしさ

  個々人それぞれが抱いている、
  本当にやりたい事全てに加えて、

  同居する家族や世間様の目が、
  やって当然だと思い込んでいる事全て
  (家事も仕事も同様)を、

  そもそもこなし切れるわけがない。
  土台から個人に対してキャパオーバーだ。

  それなのにそれこそが、
  「当たり前」の生活だと、
  思い込まされているものだから、

  出来ない分、
  やり切れていない分は、
  ひとえに個々人の能力・資産不足か、
  効率の悪さに置き換えられてしまう。

  だから私は死にたくなるし、
  配偶者は隣で「死ね」と、
  誰に対してか知らんが呪い続ける。


じゃあどうしようか

  対策を考えなきゃね。

  つっても今思いついた事は、

  今目について気がついたもんから、
  気がついた分だけやる。

  くらいかな。

  ところがこれがちょっと難しい。

  一度手をつけようと考えたら、
  「じゃああっちもやらなきゃ。
   こっちもついでに」と、

  これまでの、
  かつ多方面からの蓄積が、
  頭を一気に埋め尽くして、
  「とても無理。
   今そんなに出来ない」
  気分になってしまうので、

  そこにだけは宗教を利用。

  「神様(あるいは仏様)が、
   今ここにあるこの分だけを、
   気付かせて下さった」
  と出来る事なら思っておく。

  その分だけを片付けたら、
  自分に向けた方が良いんだけど、
  無理なら神仏に、
  「ありがとう」を言っておく。

  それを一日一日の積み重ね、
  しかないのかなって、
  今は思います。


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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偏光
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