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【小説】『マダム・タデイのN語教室』6/10のb

(10回中6回目のb:約4600文字)


 後で切り取って渡せるように、ノートの1ページを使ってある程度間隔を空けて、アルファベットも添えた五十音字表を作る。テーブルの向かいからステファニーは、お茶を飲みながら今までのメモにノートを見返しながら、私の作業に首を傾げたりしている。
「これが、ひらがな」
 出来たページを上下逆さにして、ステファニー側に向けた。

   あ  a  い i  うu  え  e  お o
 k か ka  き ki   く ku  け ke  こ ko
 s さ sa  し si   す su  せ se  そ so
 t た ta   ち ti    つ tu  て te   と to
 n な na  に ni   ぬ nu  ね ne  の no
 h は ha  ひ hi   ふ hu  へ he  ほ ho
 m ま ma み mi む mu め me も mo
 y や ya       ゆyu      よ yo
 r ら ra    り ri  るru    れ re   ろ ro
 w わ wa              を wo
   ん nn

「N語の音はこれで全部」
「N……、オト……、ゼンブ……」
 はっきりとは飲み込めない感じに、まずは言われたままを繰り返していたけど、ノートを両手で受け取って、時間をかけて全体を眺めて、
「オト。モジ……、ゼンブ?」
 まつ毛の長い茶色の目を瞬かせている。
「文字は、もっと多いわよ。だけど、音は全部」
 五十音表はテーブルの上に置いて、手を放すが早いか自分の側のノートをめくり返し始めた。「あったあった。これこれ」みたいな事を多分言ってから、顔を上げてくる。
「オモシロイ!」
 こっちは少しのけぞりそうなほど茶色の瞳をキラッキラさせてくる。
「(これっ……、これ、すごいよ! 私はまだ、しっかりと分からないんだけど、アルファベットをこんなふうに分けて並べるって発想が、私には今までに無かったよ!)」
 D語でまくし立てられると私にはちんぷんかんぷんなんだけれど、
「(この、端の5つが母音だね。5つ? えっ? たったの5つにまとめ切れちゃったの?)」
 五十音表を指差したり指を立てた本数で数を表したり、ジェスチャーが入れば何となくだけど伝わる。
「(D語なんて、アルファベットじゃ足りなくて、ウムラウトって母音の上に付ける記号まであるのに。何がどこまでどう決まっているのか、ちっとも分からない、頼りない言葉みたいに思ってたけど、そうか、私には全然思い付かないようなところで、きっちり決まっていたんだ。そうだよね。N国人ってきっちりしたイメージあるもんね!)」
 そういったヒントが全く無いと、またちんぷんかんぷんに戻るんだけど、とりあえず面白がって楽しんではくれているみたい。今までのノートにメモをめくり返して、
「(じゃあ今まで書いてきたこの、アルファベットも、ここにある文字に置き換え切れるんだね?)」
「ええ。そうよ」
 パズルでも解くみたいに楽しそうに見比べ出している。前に私が書いて渡したメモも取り出して来て、一文字ずつを追いかけ始めた。
「(waが『わ』、になるのは知ってる。D国ではヴァ、だけどD国の、隣のF国だってそうだから。taが『た』、siで『し』。本当だ。だけど、音は決まってるのに文字はバラバラだね。とても書けそうな気がしないと思ったら、線一本で済むものもあったりして、ああでも、オモシロイ)」
 ふっと笑みが消えて「ケスティオン」って言ってきたけど、何を訊かれるのか予想はついた。
「wa、ta、si、wa……、wa、オト、オナジ。モジ、チガウ」
『(例外)』
 辞書のD語音声を出すと、「カタストロフィック……」ってため息をつく。
『(主語)』『(助詞)』『(わざと)』
 音声を続けて出したら頷きながら苦笑した。
「文字は『は』にするの」
「(なるほど。似た音にしようとは試みたんだね。あれ。だけど……)」
 前に書いたメモの「ステファニー」を指差してきた。
「『ス』、アル?」
「ああ。ごめんなさい。作るわ」
「(また作るの?)」
 ひらがなの五十音字のページは切り取って渡した。パズルを解いているから、今度は待つのが苦にならないみたいだけど、
「(N語の『ら』ってrなの?)」
 みたいな事を、鉛筆は動かしながらノートに目を落としたままで、話しかけてくる。
「(私にはrに聞こえなかったんだけど)」
「後からアルファベットを当てはめたからね」
 私の方でも手は動かしながら返している。
「(ああ。そうか。アルファベットが無かった……。ええっ? アルファベット知らなくてどうやって? 何も無いところから作ったってこと?)」
「お隣の国からもらったのよ。ヨーロッパはアルファベットで、アジアは漢字」
「(アルファベットはまだ形が簡単だから伝わるのは分かるけど……)」
 話している間に出来た。
「これは、カタカナ」

   ア  a  イ i ウ u   エ e  オo
 k カ ka  キ ki   ク ku  ケ ke  コ ko
 s サ sa  シ si   ス su  セ se  ソ so
 t タ ta   チ ti   ツ tu    テ te  ト to
 n ナ na  ニ ni   ヌ nu  ネ ne  ノ no
 h ハ ha  ヒ hi   フ hu  ヘ he  ホ ho
 m マ ma ミ mi ム mu メ me モ mo
 y ヤ ya        ユ yu       ヨ yo
 r ラ ra   リ ri    ル ru   レ re  ロ ro
 w ワ wa              ヲ wo
   ン nn

 ページを切り取って渡すと2枚を見比べながら、首を傾げている。
「オトは、オナジ?」
「そうよ」
 言葉が見つかっていないみたいだけど、表情や仕草全体で、「なんで?」って訊いてくる。
「(なんで、同じ音を表す文字が二種類もあるの? もしかして……、いや、まさかね)」
 辞書を操作してN語の音声を出してきた。
『外国語』
「うーん。そういうわけでもないの」
 少し悩んで2つの例文を、3種類に書き分けてみた。

   watasiwa mikusu sutefanii desu
 1 わたしはみくすすてふぁにーです
 2 わたしはミクスステファニーです
 3 私は御樟ステファニーです

   watasiwa tadei setuko desu
 1 わたしはたでいせつこです
 2 わたしはタデイセツコです
 3 私は田出井節子です 

「音は、全部、同じ。だから、この3つ全部、書いて大丈夫」
 ノートに落とした茶色の目を瞬かせているから、向かい側から下線や書き込みを続けながら説明する。
「だけど、1はどこが何か分かりにくい。2は人の名前だけが分かれて見える。3は主語と、名字と、名前がはっきりする。N国人なら『節子』は、女性の名前だって分かるからね。耳で聞いた時の音は同じ。だけど、目で見た時の、分かりやすさが変わるの」
「カンジはツヨイ……」
 うつむいたまま呟いてくる声が聞こえた。
「そうね。強いから、すごく多いと怖いわね。きっと」
 クスッと笑い声が聞こえたと思ったら、いきなり電子辞書を掴み取って操作を始めた。ステファニーの動作って、時々すごく勢いがあってビックリする。
『詩人』
 N語の音声が出たけど、
「N人は、シジン! ゼンブ、ミンナ、シジン!」
 それだけじゃ足りないみたいに口に出してくる。
「そんな、大したものじゃないわよ?」
 首を振りながら「ナイン!」を繰り返して、
「(言葉は情報とか、思考を正確に伝えるためのものだ! 誰が書いたってどんな気持ちがあったって、急いでいる時走り書きになったりはするけど、文字に形は変わらない!)」
 白い頬を赤くしながらD語でしゃべり続けてくるけど、そうなると私には一割未満も分からないんだけど。
「(だから、気持ちがある時には、どんな気持ちなのかはっきり言わなきゃいけないし、言葉で伝え切れない分は、キスしたり、抱き締めたりしなきゃダメなんだ! 少なくとも私が生まれ育った国では! 書く人によって、文字に見た目が変わる文章なんて、私は芸術の世界にしか見た事が無い! そうだよ芸術だ! あなた達は普段から、きっちり芸術をやっているんだ。きっちり芸術って、私も言っていて少しおかしな感じがするけど、でも、きっとそうだ! じゃあ、ねぇこれも、ちょっと、いいかな?)」
 バッグから前にも見せてもらった、「御樟 朗」って、ご主人の名前を書いたメモを取り出して、上から一文字ずつ指し示してくる。
「カミサマ。キ。スゴクアカルイ。ホントウ?」
 ご主人そういう教え方をしたのねって、ちょっと吹き出してしまったけど、
「そうね。本当よ」
 答えると顔中がにんまりと、嬉しくて楽しくてたまらないみたいになった。
「(本当なんだ……。すごい。カンジもちゃんと伝わるんだ。なんで? どうしてこの文字が、カミサマとかキになるの?)」
 って多分漢字の説明を求められている。冷や汗は感じたけど一応、ノートに矢印とか簡単な絵を書きながら話してみる。
「『御』は神様とか、偉い人の印。マーク、みたいなもので、『樟』はこの左側が『木』なの。右側は木の種類で、クスノキは……」
 D語の音声を出す。
「(カンファバウム! 左側がバウムって事だね。オモシロイ。D語の単語の作り方とも、どこか似てる)」
「『朗』は男の子の印みたいな……」
 いや。これだと「すごく明るい」の説明にはならないわ、って気が付いて、だけど、文字の意味までは知らないわねって思っていたら、有り難いわ電子辞書、漢字事典まで付いてるじゃない。
「右側が『月』で、左側は『白くてキレイ』。だから『月が明るい』ってこと」
「ナハト」
 って聞こえたからつい、
「そう」
 って頷いたけど、私どこでD語の「ナハト」が「夜」だって知ったのかしら、って思い返して、そう言えばN国でもよく流れる「アイネクライネナハトムジーク」が、「小さな夜の曲」って意味だって、どこかで聞いたかもしれない。
「(そうだね。周りは暗い、それか、暗い所にいるんだ。ただ明るいわけじゃなくて、暗い中で光ってる。光っていなきゃいけないって、光を集めさせられている。すごく分かる。その字は私にとって、すごく、ロウが思い浮かぶ)」
 本当を言えば私は、この間の「ロウオトウサン、キライ」が気になっていて、今日の雑談の時にでも、もう少し詳しく訊けないかしら、なんて思っていたんだけど、
「ミクス、カンジ、コワイ。タデイ、カワイイ。なんで?」
「田んぼも水もよく使うからね。多分」
 興味津々になっている生徒の気持ちを抑えてまで、自分が今知りたい事を訊き出そうと思える人は、どんな些細な事だとしても、誰かに何かを教えようとするなんて、きっとやめておいた方がいい。


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