善女竜王にロウソクを
高野山駅に着いたとてそこで終わりではない。
バスに乗るのである。
東西に細長い高野山の町の、
東側半分は奥の院まで続く墓所。
西側の三分の一ほどが大伽藍と、
総本山である金剛峯寺。
西側の目的地に最寄のバス停があったとて、
奥の院方面に比べてバスの本数が少ないために、
メインの大通りに出る「千手院」バス停で降りて、
歩いた方が早いと勧められる。
(足腰が十分に健康そうな場合には)
そんな次第で「千手院」で降りて、
予約した宿坊のチェックインには、
まだ一時間弱の時間があった。
注意:宿坊で指定された時間等は、
可能な限り守りましょう。
出来なければ連絡を入れましょう。
理由は後日「宿坊」の記事に書きます。
なので明日行く予定の霊宝館、つまり美術館と、
今夜行く予定の大伽藍を下見しておく。
来た道を逆に戻ってもいいんだが、
霊宝館側から大伽藍に入れる道は無いか、
探しながら歩いていると砂利道を見つけ、
「観光の方は中門からお入り下さい」
という立て札もしっかり目に入ってはいたんだが、
初めはこっそり徐々に堂々と進入した。
そこに池とお堂が見えたからだ。
池の中央に小島が造られ、
お堂が立っているという事は、
具体的に知らなくとも察し切れる。
水神系、つまり龍神様だろう。
それを察し切れるのも、
私の生まれ故郷の氏神が水神系である事と、
空海が京都の神泉苑にて、
雨乞いのために青龍を呼び出し、
見事雨を降らせた伝説を知っているからだ。
そして小島に渡ってみると、
やはり件の青龍、善女竜王であった。
事前に知っているエピソードだったもので、
「ここにいらっしゃいましたか」
って何となく知り合いに会えた感覚。
善女竜王(ぜんにょ・りゅうおう)またの名を、
沙羯羅竜王女(しゃかつら・りゅうおうにょ)。
つまり龍王の娘、しかも8歳。
橋本正枝先生の漫画『マハラジャ』が、
結構大好きだった私としては、
「龍王が嫡女」って決め台詞を思い出して萌え。
更に言えば曲亭馬琴作『南総里見八犬伝』で、
伏姫が籠っていた岩山で読み上げていた経本、
法華経巻五 提婆達多品十二
のメイン登場人物でもある。
(ええ。私の知識はマニア熱で構成されています。)
その内容をめっちゃざっくり説明すると:
お釈迦さまの弟子二人と口論、と言うより、
「8歳の童女が悟れるわけないだろ」
ってイチャモンつけられたので、
二人の目の前で男子に変成して見せた。
しかしだ。
それはつまり「女性も悟れる」と言う意味なのか、
「やはり男性にならなければ悟れない」と言う意味なのか、
善女竜王という名前ではあっても女性とは限らないぞと、
男性像で描かれることも多いのだが、
が、
男性だの女性だの、
しょうもない事気にしやがんなタワケどもが。
……って言ってるだけじゃないのかこのエピソードは。
(余談だがタワケとは「田を分ける者」
自分一人分の労力しか使おうとせず、
自分一人分の実りしか得ようとしない愚か者、
を意味する農村由来の言葉なので、
水神である龍王が叱咤に選んでも不相応ではなかろう。)
ところで私はお賽銭には、
なるべく100円玉を使っているのですが、
お賽銭という物は、
神仏の前に立つに当たって、
自分の身の汚れをくっつけて落とすだけの役割なので、
10円玉だろうが5円玉だろうが1円玉だろうが、
別に構いはしないんですよ。
まぁとりあえず100円玉を落として手を合わせて、
ロウソク立てがある事に気付き、
昨年から神社仏閣では、
ロウソクを上げるのがマイブームになっているので、
よし上げようとロウソク立て下の棚を引き開けたら、
ちょうど切らしていたらしく一本も残ってない。
あら残念。
ってちゃうわ。
水神様に火を捧げて何になるねん。
ちょうど切れていて良かったと、
善女龍王にロウソクをあえて上げず、
小島を離れ池を後にしたのだった。