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『唱え奉る河内國春乃井学園御詠歌部』第8話
第1話(末尾に全16話分のリンクあり)
(文字数:約10500文字)
8 ケガしたら 「痛い」くらいは 言ってくれ
神南備の家は川北市の神社、なんだけど、住んでいるのは学園の近くで、歩いて十分くらいしかかからない。
それでも部活の日とか、普段より遅くなる日は親御さんが、車で迎えに来てくれる。
「私、お嬢様だから」
って親指立ててドヤ顔してきたのを、「はいはい」って僕は聞き流していたけど、
「ごめんなさい。一人で、大丈夫ですから」
心配だって、迎えが来るまでそばにいようとした廣江さんに、頭を深く下げて顔を見せて来ない。それは廣江さんに気を使うよなと思って、
「じゃあ僕が……」
って言い出したら、
「いいの」
って僕にも顔を上げずに返してきた。
「本当に、大丈夫。ありがとう。だけどまだ、会わせたくないの」
お嬢様、って言葉がやけに重苦しく感じたけど、
「張山さんここは大人しくぅ、引き下がりましょうぅ」
林さんがやわらかい声で言ってきた。
「まだ、という事はいつか、会わせるために準備が必要、という事でしょうからぁ」
顔を上げないままもう一つ深く頭を下げて来たから、嬉しいのか哀しいのか、気恥ずかしいのか腹立たしいのか、僕の胸の中が複雑だし微妙。
だけど林さんに従って、廣江さんも三人で、深見駅までは一緒になった。
「正直に申し上げますと昨年のぉ、秋くらいまでは決して楽しい部活でもありませんでしたぁ」
「そうなんですか?」
「一生懸命だし、頑張ってる事は、伝わっていたんだけど」
先輩と三人だし話題はやっぱり御詠歌部のこれまでになる。
「本当は好きじゃない。もしかしたら、大嫌いかもしれないものを、ムリヤリ好きになろう、ならなきゃいけないって、頑張ってるみたいで」
「張山さんが昨年からいて下さいましたらねぇ、バンバン物申して下さったでしょうにぃ」
「いや物申した自覚とか無いんですけど」
って口にしたら左右両方からクスクス笑ってきた。
「あと昨年は無理ですよ僕も……」
言いながら思い返していたけど僕も、田舎暮らしなんか本当は大嫌いで、大嫌いだって、思ってなきゃおかしいみたいに移り住むまでは思わされていて、どうにか好きになろう、ムリヤリにでも好きにならなきゃって、だから、人の事言えない。
「部室もね、『もらった方がいい』って、言ってる人たちは、たくさんいたの。いつ、誰が来ちゃうか分からないし、お唱え出来る環境じゃ、ないよねって」
「いつでもお唱え出来てこそぉ、という考え方もございますけどぉ」
「初心者には、嫌なものですよ。やっぱり。女の子とか」
だけど、部長はやたら堂々と返していたらしい。
「申し訳ないが、十月は一切の活動が出来ない。
もしかしたら九月に十一月も、無理かもしれないな」
試験期間に体育祭とか文化祭が重なって、教室が放課後まで結構使われる時期だ。自分達の教室だし、自分達が使うわけだから、部活の方を休みにするしかない。その分休みが多くなって、活動が少ないと部室申請も通りにくい。
いや。だから部室もらえって話なんだけど、って思った人達がもちろんいて、幸さんにも相談したんだけど、幸さんは幸さんでどこか有無を言わせない感じだったらしい。
「十月、と九月に十一月は……、何て言ったら良いのか……、
毎年家族で他所の国に行くのよ」
「事情が分かりましたら何となくぅ、うなずけますけどもぉ」
「二人とも学校には、来ているわけだから、それで『嘘ついた』とかまた、もめちゃって」
去年に去年のままの僕がいたら、その時点で呆れ果てている。と言うより入部していない。
「よくお二人が残ってくれましたね」
「何事もぉ、仏道修行と心得ればぁ」
って林さんは答えてきたけど、その途中から目が開いた。
「……と、言うのは方便で、初めから熱心な部活など期待していない者にとっては、このくらいが」
「親戚に、一人くらいいなかった? たまに会えるから、嬉しいおじさん」
廣江さんの言い方にはちょっと、二人とも吹き出した。
「毎日はちょっと、クセが強いかなって」
「ええ。はい。分かります」
と言うより関東にいた頃の、おじいちゃんおばあちゃんがそうだった。早口の方言で何話してるのか分からないし、お土産だってぬか漬けや梅干しタッパーに詰めて持って来るし、自分達とは、住む世界が違う人達だなって。
「そういう人って、なかなか関係、絶ち切れないでしょ? 腹が立ったって、次に会えた時には、もう、その時の気持ち無くなってるか、薄まってるの」
「しかし話されていた通り、九月頃から兄妹お二人とも、休みがちになりましてぇ」
「十月の、最後の週は全く。私は部長と同じクラス、だったんだけど、先生も、説明するのが難しいみたいに、『一家で旅行だ』って言ってた」
ちょうど鬼神楽の時期だ。
「だけど、幸さんに旅行の話を訊いても、『楽しくなかった』って、ひと言だけで、部長は十一月も、ずっと休んでいて、旅行先で何かあったの? って訊いたら、『あの子は、はしゃぎ過ぎたの』って」
「さすがにもう廃部でしょうかねぇ、と思っていましたらぁ、アレですよ」
今度は廣江さんがちょっと吹き出した。
「あのカツラ」
改めて思い出すと、吹き出しそうになるのを噛み殺す。だけど、林さんに廣江さんも似たような表情になっていて、お互いに気付いたら結局三人で笑ってしまった。
「アレは、なかったですよねぇ」
「笑うに笑えなくてずっと。結構最近からだったんですね」
「そう。それでもう、私達とマガキさんの、三人だけになっちゃった」
「私は『そうきたかぁ』と、面白かったですけどぉ」
「そうだったんですか? 真っ先に怒っていらしたかと」
「それは、誰かが怒って差し上げないと。誰がどのような言い方で何をぶつけてしまうか、分かりませんでしたからぁ」
うん。だから林さんは、良い人なんだよな。林さんにはあまり嬉しくない言われ方みたいだから避けてるけど、必要な時に必要なだけ怒れるのって、理不尽に八つ当たりしてくるのとは全然違う。
「悪くはないな、とは、思っていましたよ。何より空気がガラリと、明るくなりましたしぃ、何か好きになれるきっかけでもあって、のめり込んだんだなぁと、まぁ多少、のめり込み過ぎなところもありますがぁ」
「取り付かれた」
思わず口から飛び出したひと言だったけれど、
「ああ! まさにそんな感じですぅ」
うんうんうなずかれて実感した。
「去年の鬼神楽、僕観てるんです。実は、一昨年も」
「観てないって、話してませんでした?」
「観てない、とは、言わないように気を付けました」
って答えたら二人とも吹き出して、「すごい」って廣江さん、「素晴らしい」って林さんが呟いてきたけど、何を誉められたのか分からない。
「去年観た時は御詠歌なんて、全く知らなかったから、お経の一種みたいに思っていたんですけど、部長……」
言いかけて、そうだ『中の人』だって思い出した。
「去年の鬼は、御詠歌を聴いた後笑っていたんですよね」
「ああ。そこでおそらく常眼寺から、良い御詠歌を頂きましたかねぇ」
いや。なんか違和感がある。大体なんで仏を讃える歌を、鬼に向けて唱えるんだろう。それも、一日戦い続けた最後の、血にまみれて怒りに満ちた鬼に。
「だけど、マガキさんは、そこから『部長の目を覚まさなきゃ』って、『正しい御詠歌を聞かせなきゃ』ってもう、必死みたいに、なっちゃって……」
「え。だけど、『正しい御詠歌』なんてあるんですか?」
ちょっとした疑問のつもりだったんだけど、二人はちょっと困った感じに、僕を挟んで目配せを交わしあってから、
「はい。そのようなものは、存在しません」
林さんが答えてきた。
「ですが、私達にはマガキさんのお気持ちも、分かってしまう。部長のカツラのようにもしかしたら、上手い方に転ばないとも限りませんし、実際にそれでしばらくの間は、上手くいっていました。のめり込んで、楽しんでいる状態ですからねぇ、どれほど厳しく言われてもぉ、熱心に聞いていられますぅ」
「厳しい人だけど、理由がきちんとある厳しさで、『ガチ中のガチ』だって部長も、マガキさんには多分、他の人よりも、敬意を払っていたの」
「『ガチ』も怒らなかったんですね」
「うん。『もっと指導すべきところがたくさんあるでしょ』って、そこは全然」
初日に後ろ姿くらいしか見ていなかったから、甲高い怒鳴り声の印象もあってあまり良くなかった人みたいに、勝手に思い込んでいた。神南備は声くらいかけられたかもしれない。訊いてみたって良かったのに。
「だけど、やっぱりのめり込み過ぎって、良くないなって、大会に出て思った」
マガキさん本人も落ち込んでいたけどそれよりも、彼女の周りにいた人達の、反応の方がひどかったらしい。家の恥だと罵ってその場で除名願いを書かせて、嫌がる腕を引っぱってムリヤリ拇印を押させて提出したけど、窓口の僧侶は笑顔で答えたらしい。
「はい。預かりますけれど受理の方は後ほどご連絡を」
実際に見ていないから僕には林さんの声と顔が浮かんでいるけど。
「除名にされてラッキーでしょう多分。そんな所」
両側から驚いた視線が来たけど、ちょっとイラッとしていたから気にならなかった。
「今は、ちょっと無理かも分かりませんけど、何年か後にはそう思えるんじゃないですか? 家の恥、とか言っちゃう家って、そこ自体がちょっと、おかしい」
廣江さんはクスッて、しょうがなさそうに笑って、
「あの家を、知っているとちょっと……、そんな事はとても、口に出来ないんだけど……」
「あああ。すみません僕っ、何にも知らないくせに……」
「いえ。ですが、はい。仰る通りです」
林さんは声からやわらかさを抜いてくる。
「分かっていてもどうも、歴史とか、権威を重く受け止めると人は、おかしいと感じる自分の方が間違っているように思えてしまう。ですが、本当を言えばどのような所にも、間違いなどはない」
僕もだけど廣江さんも、僕越しに林さんを見て聞き入っていた。
「あったとしてもただ単独で、成立するものではないんです。間違いの周りにもおそらく、数多くの間違いがある。御詠歌をやっている以上そこは、家柄や権威に関係無く、押さえておいてしかるべきだと私も、本音では苦々しく」
電車が深見駅に着いて、僕は乗り換えだけど二人は改札に向かって行く。一旦挨拶して別れたんだけど背中から、引っ張られるみたいに呼び止めた。
「すみません」
二人並んで立ち止まり、振り返ってくる。
「さっき、鬼が笑ってたって僕、言いましたけど、間違いかもしれません」
言いながら舌の先がしびれる感じがして、
「いや、間違いです」
って言い切った時に治まった。
「覚えていたくなくて、忘れようとしていたから話している間に、観た時の感じだんだん思い出して来たんですけど、あれは、僕見たくなかったし、見ちゃいけなかった。一昨年より面白いって周りは盛り上がっていましたけど、もしかしたら、音谷でも評判が良かったのかもしれないけど」
見物席に座ったまま、立てなかった感じとか、自分の内側から黒いものが、引き出されて飲み込まれそうになる感じ。何よりすぐそこに絶対いたはずのおばあちゃんが、見えても聞こえてもいなかったあの感じは、後から思い出す度に何回だってゾッとして、
「神楽って、僕詳しく知りませんけど確か、神様に捧げるものですよね」
「ええ。まぁ大まかに言えば」
「だとしたら去年の神楽は」
どちらが答えてくれたか分からないけど、顔を上げて言い切った。
「きっと神様に怒られる」
乗り換えホームから発車前の最後の合図があって、
「あ。すみませんまた」
って駆け出してどうにか、扉が閉まらないうちに乗り込めた。走り出して離れて行くホームでは、林さんと廣江さんがそこでも寸止めの拍手をしていて、何だよそれ意味分からないんだってって思いながら、ちょっと笑ったけど、それが無かったら多分家に帰り着くまでが、もう少し、怖さを引きずったままだった。
ごめんねって、頭の奥から浮かんでくるけど、僕が謝るような話とも思わないから本当には口に出さないけど、おじいちゃんと音谷を歩きながらずっと、会いたいなって思っていた。会えるものなら、あの子に。
本当に、大丈夫だったのかな。ただの演技だったのなら、それはその方が良いんだけど。
会えたってきっと、例えばそこの立ち木の影から出て来たって、あの時の子だって分からないしあの時の話だって出来ない。そんなの何になるんだって言われたら、僕にだって分からないけど、ちょっとでも、ほんの一日でも早く、本当は苦しんでいるんだって知りたかった。
「ごめんなさい部長……」
「良いんだ神南備。私こそ心配をかけた」
部長が教室に入って来るなりまずは、そんなやり取りがあった。
「ちょっと昔の様々な事を思い出して、時間が欲しかった。もう大丈夫だ」
部長はそれで済んだけど、神南備は次に右端の列に座った幸さんに向かって、
「幸先輩も、ごめんなさい……」
「ええ」
って顔も向けられずに返されていた。そっちの様子も気にしながら僕は、教壇に向かう。
「部長。お盆の件ですけど」
「ああ。どうだったかな」
寸前まで自信たっぷりみたいな笑顔でいたくせに、
「ダメだそうです」
そう言った途端、空気でふくらむ人形の吹き込み口が開いたみたいに、膝を折って教壇に頭だけを乗せてへたり込んでいる。
「ダメか……」
「おばあちゃんから僕、結構しっかりめに叱られました。御住職は、お盆の短い期間だけで、古和にある全部の家々を巡るんだから、何日何時に約束なんて出来るわけない。第一失礼だって。御住職からしたらお仕事中なんだから」
「そうか……」
「しっかりして下さい。あと、お盆はそれぞれの御家庭で、自分達の御先祖様をお迎えするべきだって」
「ああ。それはそうだと思っていましたけどねぇ」
「ならば林くん、あの時に言っておいてくれ……」
「まだ、続いているんで聞いて下さい。代わりにおばあちゃんから僕、御住職の携帯番号もらったんですけど、檀家の孫がいきなりかけるのもどうかな、と思って高校の、御詠歌部として常眼寺に、直接電話して」
ピクッて目の前の頭が、ちょっと動いたと思ったら、
「お盆以外の時期、例えば七月の末くらいだったら、日時を決めて連絡すればその時間に、お堂を開けてお待ちしていますって」
そう言い終えた時にはもう、教壇の段差もあって、ちょっと見上げるくらいの背丈に戻っている。
「それを早く言ってくれないか!」
「いや話には流れと順番がありますよね。僕としてはおばあちゃんに叱られて、その内容も伝えたかったし」
ちょっと赤くなって目なんかキラッキラして、アイドルのライブチケットでも手に入れたみたいな感じだけど、お寺の御住職なんだけどなって、ちょっと呆れる。
「常眼寺で人の身で、笹森和尚のお声が聴けるとは……!」
感極まったみたいに教壇を掴んだ両手がちょっと震えてもいて、どこまでだよって、神南備もそうだけど僕にはついて行けない話でとことんまで盛り上がるから、たまにはこっちの様子も気にしてくれないかなとか思う。
僕とかいてもいなくても、部長や神南備の毎日は、特に何が変わる事もないんだろうな。
「ちょっとした疑問なんですけど、御詠歌って、仏に唱えるものなのに鬼に唱えても構わないんですか?」
訊いてみたら部長は意味が分からないみたいにきょとんとしたから、多分僕がまたワケの分かってない質問したんだろうと思った。
「すみません」
「いや。そこはちょっと……、昔からそうだと伝え聞いてきたから、そんなものとしか……」
「中には、人がいるからじゃないでしょうかぁ。いると思っては見なくてもぉ」
って林さんが言ってきたから、そうか上人にも唱えるから神楽を舞う人もアリなのか、って思いかけたけど、
「御詠歌しか唱えようがないわよね。寺にとっては鬼の正体が、分からないんだから」
いつの間にか教壇のそばにいた幸さんが言ってきた。
「鬼の正体、って、あるんですか?」
「ええ。と言うより、正体を隠して明かさずにいてくれる存在が、鬼よ」
鬼の語源、だってちょっと思い出す。
「明かしたところでヒトは、理解できないししたくない。認めたくもない。だから舞や歌で表すしかないの」
「え、っとだけど明かしてもらえなきゃ、理解できないかどうかも分からないような……」
とは言っても今訊いてもムダだって、諦める事もあるよなって思い当たった。
「あとそれって伝える方も難しくないですか?」
「難しいわね。今伝わっているものが本当にあるべき姿かどうかも分からない。少なくとも一昨年の私には違和感があったし。晃だって」
なんだかゴングが鳴り始めた。部長が爽やかっぽく苦笑してくる。
「それは、幸だけだろう。私は特に違和感は無かった」
「そうかしら。常眼寺にばかり偏っている気がするけど」
「幸さんにとっては常眼寺は、そこまで大事でもないんですか?」
「大事は大事よ。だけど、巡り下りて行く寺の中の、ただ一つよね。最後だからって何も、特別にも思わない」
一日戦って血まみれ、という印象は、一昨年には無かった事を思い出した。聞かされていた話は「寺を次々襲って最後に、常眼寺」だ。
「常眼寺でようやく満足を得て、鬼は音谷に戻るんだ。それが解らないようでは幸は、やはり正しいウツワではないよ」
それを聞いた途端に幸さんの表情が、もう一層だけ険しくなる。
「ウツワはただのウツワでしょう。正しいウツワなんか、本当にあるとでも思っているの?」
なんか、最近聞いた話に似てるって、林さん廣江さんに目をやったら、向こうも僕を見てちょっと、うなずいてきた。
「ウツワに関しては私も、譲れないし譲らない。ウツワは鍛えられ整えられてあるべきだ」
「そうよ! 整えるのよ! 中に何が入っても、壊れないようにね!」
「私は、壊れていないよ幸。見た目は派手だったかもしれないが、中身はこの通り無事だ」
「覚えていないだけでしょう! あとほんのちょっとで割れる、ギリギリのところだったのよ! ウツワのあんただけはもう、見ていられない!」
これ以上は聞いちゃいけないし聞かせちゃいけない感じがして、
「すみません僕の話まだ続いているんですけどー」
ちょっとムリヤリだけど言い合う二人に割り込んだ。
「あ。そうだったかな」
「続きって、何?」
「お盆の件では叱られちゃいましたけど、御詠歌部の人達が来てくれるのはおばあちゃん喜んじゃって、どうぞお泊まり下さいって」
って言った途端にだから、普段気を使いがちな人達がいざはじけて構わないってなると、神南備どころか林さん廣江さんも立ち上がって部長とハイタッチなんかしちゃっているけど、僕には自分の家なんだけど。
「ちょっと待って! 良くないわよそれって!」
幸さんだけがピリッととがった感じのままだ。
「弓月くんの家、御両親に御兄弟もいるんでしょう? 妹さんに、確かお兄さんも! おばあ様からは良いって言われたって、御迷惑よ! 日帰りで、常眼寺だけで良いじゃない!」
みんなの視線がチラッと僕に移ったり、幸さんに神南備に移ったりして、
「日帰りだと、かまど山がその、厳しいかなって……」
って廣江さんが言い出したけど、
「いらないわ伝承館なんか! 御詠歌に関係無いんだから!」
って返されて今度は神南備がムッとしている。
「直接は、関係無いですけどだから、『かまど山』ですよ?」
それを訊いて幸さんは、ちょっとハッとした様子になったけど、僕はまず誤解を解いておくしかない。
「あの、大丈夫ですよ。僕の家おじいちゃんおばあちゃんと、三人だけなんで」
みんなの視線が僕に集まって、一斉に、
「え?」
って聞こえそうになった。
「療養で……、一家で引っ越して来たんじゃないの?」
まずは幸さんが言ってきて、
「まさか。僕一人のために家族みんなの人生、犠牲に出来ます?」
「全員は……、それは、御兄弟は色々あるだろうが……」
次に部長が言ってくる。
「親御さんの、どちらかだけでもとか、ずっとは無理でも定期的に、通って来たりとか……」
「ああ。そういうのも全く、無いです。移り住んでからずっと、たまに思い出したみたいな電話とかメールくらい」
双子だからか戸惑い具合もそっくりだなって、僕は正面に見ていて思った。
「それも、『田舎の人間になっちゃってもう都会には戻れない』とか、『今まで家族にどれだけの負担をかけてきたか』とか、聞きたくもない愚痴ばっかりで、厄介払い出来たんですからせめて、おばあちゃんにお礼くらい言ってくれても、いいんじゃないかなって僕は思うんですけどね」
「弓月くん」
右側から神南備が近付いて来る。
「それ、私も今まで知らなかったんだけど」
「うん。話してないからそりゃ、知らないと思うけど」
なんか涙目になっていて、怒ってもいるみたいだけど、なんでだろう。
「だからどうして俺にそういった話をしてくれない!」
「足助もそういう事言うの?」
お昼も自分達の席で食べてるから、大体いつも足助と話しながらになる。五月も過ぎて湿度が上がってきたらさすがに暑苦しいって、髪の毛はマゲに結うようになった。
お弁当も、僕は自分で作っているんだけど、台所が広くて使いやすいし食材は買うよりも育てたり分けてもらえたりが多いから、自分で作った方が安上がりなだけだって言うのにやたら感心した様子で、足助も弁当を作り出している。今のところはまだ作ると言うより、詰め込んでるって感じだけど。
「どうだって良くない? 家族がどれだけどこにいて、今誰とだけ住んでるかとか」
「聞いている限りお前の場合はどうだって良くないぞ! 例えばだ。俺達が今、合戦から逃げ延びた足軽だとしてだ!」
「歴史で例えるのやめてくれない?」
「空爆から逃げる米兵でも良い! 好きな話に置き換えろ!」
今だったら市街戦や砂嵐かな、とか思いながらとりあえず続きを聞いておく。
「合戦の話なんかをしながら、途中で握り飯でも食いながら、何事も無いみたいに隣を歩いていたお前が、いきなり倒れて、調べてみたら深手を負っていた場合に、俺はどうしたら良い? それまでのんびり過ごした道中を、俺は激しく後悔するぞ! ケガをしたのならせめて「痛い」くらいは言ってくれ!」
「例えの話が遠すぎて良く分からないよ。それに言ったって足助に治療とか出来なくない?」
返しながら立場が違う似たような話に、最近出会ったような気はしていた。
「出来なくても誰か治療出来る奴はいないか探すだろう! 見つからなくてもいよいよ無理だと悟るまでは、他に何か出来ないか、やって欲しい事は無いか考えるぞ! とにかく何にも気付かせてもらえない事だけは勘弁して欲しい! 隣で苦しいままでいられるのは悲しいんだ。俺はお前が大好きなんだからな!」
「ありがとう。言われ慣れてきて今更驚かないけど、そういう事言っちゃうとすぐにさぁ」
「ぐふっ」
ってすぐ右ななめ前から聞こえてくる。
「ほら神南備が喜ぶから」
ぐふぐふ笑ってる肩が震えてる震えてる。
「神南備カップリングされる側って真っ剣に嫌なんだけど」
「ちゃんと歴史上の人物に置き換えました」
親指立ててドヤ顔してくるのも見慣れたけど。
「グッジョブ、って言わないよ嫌なんだから」
「ん? ああ。こないだ見せてもらった話か?」
「足助も見たのぉ?」
それはまだ、慣れていなくってへたり込む。
「なんでそういう事出来て平気かなぁ」
だから僕の事は「ネタ元」として好きなだけで、生身の異性としては部長の方が上なんだろうなとか、思っちゃうんだけど。
「ずいぶん詳しいところまで調べるもんだと、俺は結構感心したが。なんだ誰か弓月をモデルにした奴でもいたのか?」
「せめて足助が気付いていない事だけが救いだよ」
「そのまんまで書いちゃったらさすがに、あんまりかなって」
神南備から色々聞かされてるから、僕が「弓張月」って相当昔の小説の、主人公にもなった歴史人物だって分かってるけど、途中不思議の力で女体化しちゃったりもして、トンデモ感が物凄い。
「しかし情交シーンはあまりに夢物語が過ぎて笑うしかなかったな」
足助はガハガハ笑ってるけど。
「情交って、言い方」
「こっちだって何もリアルを求めちゃいないもの」
そっちはそうかも知れないけど、そう見えてはいなくても僕だって、男の子だからね?
嫌われそうで怖いから口になんか出していないだけで、こっちはガッツリ女の子だって、気にしながら意識しながら見ているからね? 見ていない、なんて事はないからね? 特に「止めた」時からは、もう一層深く。
部長ももしかしたらって、ちょっと気になってる。あれから幸さんが、神南備には笑顔を見せて来ない。
「それでさ。かまど山にも行く事になったんだけど、足助くんもどう夏合宿、来ない?」
「ん? 部外者だが、良いのか?」
「ってか僕の家だけどね。まぁ五人も六人も変わらないから」
だからそういう話でもあってくれた方が、気持ち的に助かる感じがした。もちろん部長に言ってみて、みんなの了解ももらった上で。
「バイトの終わり時間に合わせて伝承館行くから、ひと駅分歩いて、弓月くんちまで」
「ひと駅分、女性もいるのに大丈夫か?」
「山なんだからみんなスニーカー履いて来るよ。家は『かまど山』と次の駅との中間で、伝承館からは下り道だし」
「そうか」
って楽しみみたいに足助は言ってくれたけど、神南備も御詠歌部のみんなも、僕の家なんかそんなに楽しくもないと思うんだけど。
「ところでその、御詠歌ってのは何だ。どういったものだ」
訊かれて神南備とまずは、顔を見合わせて、二人同時に足助を向いて、
「分からない」
って答えたものだから、
「昔のアニメ映画の最後辺りのシーンか」
ってツッコまれたけど、笑いが起きてくれるにはまずフレーズが長過ぎたし、足助も僕達も見た覚えはあるけど詳しいところまで思い出せなかった。
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