嫌いな言葉「親ガチャ」
「親ガチャ」という言葉が気に食わない。
まず、親を「ガチャ」という、ゲーム感覚で見ている時点で嫌いだ。
別に「あの親は良いな〜」だとか「自分の親ってこうなんだよな〜」みたいに思うことはもちろんあって良いことだけれど、
まるでゲーム感覚かのように「ガチャ」とか言うのは良くない。
それから、親を何だと思って見ているのだろう。生意気だ。シンプルに。
親をゲーム感覚で見るかどうかはとりあえずさておき、
親を評価できるだけの実力が既にその人自身に備わっているのか、というところをまず考えたほうが良い。
世の中には確かに、『ハズレ』に値するような親がいるというのは否めない。残念なことだ。
しかし、『ハズレ』の親を持ったというだけで「親ガチャミスった」というのは、ちょっと早い。
親に制御されているから、その下にて自分の自由にできない。親ガチャ親ガチャと言う人たちは、そんな気持ちなんでしょ?
だったら勉強して、親よりも明らかに優秀になりなさい。
親が黙るくらいになりなさい。
親と完全に関わらなくなっても、自分ひとりで十分に生きていけるだけの実力を持ちなさい。
「親ガチャ外した」と言う人たちは、自分が思い通りに行動できないのを「親への責任転嫁」しているだけだと思う。
だからそう考えると、
本当に「親ガチャを外した人」と呼べるのは
「親がいつまでも子どもに干渉しすぎて、子どもがなかなか自立できない状況」
それくらいしかないと思う。
ただ、その場合は親は善意でやっていることが殆どだと思われる。
それに対してわざわざ「親ガチャ外した」なんていうのはあまりにも性格が悪すぎる。
要するに、「親ガチャ」というのは、少なくとも私たち“人類”の中からは生まれる筈がないのである。