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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 29.カメハメハ4世とクイーン・エマ

カメハメハ4世の奥さん、クイーン・エマはジョンヤングの孫です

20歳で王に就任し、かっこいい演説を行ったカメハメハ4世は、就任した翌年の1856年6月に結婚しています。奥さんはクイーン・エマ。ハワイ王国設立時、カメハメハ1世の参謀的役割を果たしたイギリス人、ジョン・ヤング(第14話参照)の孫にあたる女性です。

2人はロイヤルスクール第24話で紹介したハワイ王国を担う子どもたちを育てる学校)で出会っています。子どもの頃から結婚を約束してたそうです。クイーン・エマはカメハメハ4世より2歳年下です。2人が結婚した1856年6月は、カメハメハ4世が22歳、クイーン・エマは20歳でした。めっちゃ若い夫婦ですね。

2人が結婚式をあげたのは、オアフ島で一番歴史があるカワイアハオ教会です。

カメハメハ4世は、世界特使旅行中にアメリカで受けた差別体験がもとで、アメリカが大嫌いになっていました。なので、アメリカの宣教師が造ったカワイアハオ教会で結婚式をするのはすごく嫌やったそうです。で、しょうがなく、カワイアハオ教会で、イギリス国教会式の結婚式をあげました。これが後に、セント・アンドリュース教会(イギリス国教会の教会)を造るきっかけになります。

カメハメハ4世と言えば、前回ご紹介させていただいた王位継承の就任演説が有名です。
「ハワイアンに友好的な外国人は歓迎する。が、ハワイアンを使って儲けたりしようとする人たちは歓迎しない」
と言った演説ですね。が、強そうな印象があるのはこの時だけで、結婚してから後は、あんまり良いことがおこりません。

ハワイ王国の王の歴史を書いた本があることは、カメハメハ3世の記事で紹介させていただきました。カメハメハスクールが出してる本です。

8人の王に一冊づつ本があって、それぞれ、欧米人とやりあった悲しい歴史が書いてあります。そんな中、カメハメハ4世の本だけは、誰と戦ったのか分からない、やるせない話がいっぱいです。

ヘンリー・A・ニールセンとアルバート王子

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カメハメハ4世の本で、一番覚えているのは、ヘンリー・A・ニールセン(以下ヘンリー)という友人です。カメハメハスクールが出してる本は、子ども向けの本なので、どこまで書いてあったか覚えてないのですが、それがきっかけでわたくしはヘンリーについて調べるようになりました。

ヘンリーはアメリカ本土からやってきた若者でした。カメハメハ4世より10歳ほど年上ですが、4世が王になるずっと前に知り合っています。2人は仲良くなり、一緒に狩りへ行ったりするだけでなく、ヘンリーが病気の時には(若い時の)カメハメハ4世の家へ連れてきて看病したりしています。

カメハメハ4世は、この友人ヘンリーをピストルで2回も撃っています。

1回目は誤射でした。1856年、カメハメハ4世が結婚祝いでもらったピストルの試し撃ちをしたところ、それがヘンリーの足に当たってしまいます。

2回目は殺そうとして撃っています。1859年、カメハメハ4世は、クイーン・エマとヘンリーが浮気している噂を聞いて、酒を飲みまくります。そんな噂を聞いても、クイーン・エマのことを信じていたら怒ることはなかったと思いますが、カメハメハ4世は酔っ払い、落ち着かせようとする人々に八つ当たりしています。そしてついに、ピストルを持ってヘンリーの家を訪ね、慌てて逃げるヘンリーを撃ってしまいます。弾は胸を貫通し、即死は免れましたが、ヘンリーは倒れます。クイーン・エマがカメハメハ4世を止めようとしますが、カメハメハ4世は怒って「お前も王子も殺してやる!」と脅した、と言われています。

あ、これに関する記事が載ってるWEBサイトがあるのでよろしければご覧ください。英語ですけど▼
Kamehameha IV and the Shooting of Henry Neilson

やがて、カメハメハ4世は落ち着いてきて、最終的には、自分の思い違いだったと謝ったそうです。が、ヘンリーはそのまま寝たきりになってしまいました。そして、3年後の1862年2月に亡くなります。

実際に浮気してたかどうかは分かりません。でも、クイーン・エマは、1858年にアルバート王子を出産したばかりでした。奥さんが出産や育児で大変な時に旦那さんが浮気する話はよく聞きますが、出産したばかりの奥さんに浮気する時間と体力はないような気がします。わかんないですけど。

悲劇はさらに続きます。1862年(ヘンリーが死んだ年)の夏のこと。日頃は良い子のアルバート王子が、その日は言うことを聞きませんでした。カメハメハ4世は叱るつもりで、アルバート王子に水をぶっかけたそうです。アルバート王子はそれで体調を壊し、そのまま亡くなってしまいます。4歳でした。

虫垂炎だったとか、風邪を引いたから、とかいろいろ書かれていますが、当時のハワイアンは、本当にちょっとした病気で亡くなっています。アルバート王子の死因ははっきりしませんでしたが、カメハメハ4世が水をぶっかけたことが関係しているのは間違い無いのでしょう。いやしかし、水をぶっかけるってどうなんでしょう?

この行動については、いろんな書物で読むことができますが、カメハメハ4世を守るように書かれてたり、責めるように書かれてたりします。わたくしはどっちの立場でもないので、これ以上は細かく書かないでおきます。

とにかく、この頃のカメハメハ4世は悲壮な表情をされていたそうです。これが前回の最後に書かせていただいた、「どうして反転したカメハメハ4世の写真があるのか?」の理由だと、わたくしは勝手に思っています。

写真を反転させた人(誰だか分かりませんけど)は、夫婦が仲良く向き合う絵を描きたくて、合成写真を作ったのではないでしょうか。で、何故かその反転写真が出回ってしまい、現在のように使われまくってしまうことになった。あ、ここまでがわたくしの勝手な推理です。

ハワイ王室の墓地、ロイヤルモザリウムに最初に葬られたのはアルバート王子でした

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カメハメハ4世は、王としてもちゃんと働いていました。が、歴史に名を残すような功績を残していません。なので、紹介される文章は、主にヘンリーとアルバート王子のことばかり。なんだかかわいそうな気もしますが、しょうがないです。

さて、現在、ハワイ王朝の墓地として大事にされているロイヤルモザリウムというものがあります。これを造ったのは、カメハメハ4世とクイーン・エマみたいです。それまでは、ハワイの王族のお墓は、現在イオラニパレスがある近くにありました。が、カメハメハ3世やジョン・ヤングのお墓などが増えてきたので、王族や関係者の墓地を造ることになります。そこで選ばれたのが、遠い昔、オアフ島のアリイ(王族)の墓地があったとされるヌウアヌ・エリアでした。そこに作られたのが、このロイヤルモザリウムです。

ロイヤルモザリウム/Mauna ʻAla ― Royal Mausoleum State Monument

悲しいことに、この墓地に最初に葬られたのは、4歳のアルバート王子でした。

ロイヤルモザリウムは、ダウンタウンの山側、2261 Nuuanu ave にあります。日中は解放されていて、ゲートが開いていれば中へ入ることができます。お墓なので、ちょっと怖いような気もしますが、こういう歴史を知ってるせいか、近くを通ったらよく寄り道してました。わたくしは怖がりなんですが、なぜかここでは怖いと思ったことがありません。そんな話はどうでもええですな。


アルバート王子の存在は、いろんなところで感じることができます

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オアフ島のダウンタウンに、セントアンドリュースという教会があります。日本からやってきて、ここで結婚式を挙げるカップルもいるので、名前だけは知られていると思います。この教会は、イギリス国教会です。カメハメハ4世は、アメリカ人宣教師たちが造ったカワイアハオ教会が気に入りませんでした。それだけでなく、イギリスとも仲良くなろうとしていて、実際にクイーン・エマは、イギリスのビクトリア女王と文通したりしています。そんなこともあり、ホノルルにイギリス国教会の教会が造られることになります。

セント・アンドリュース/Cathedral Church of Saint Andrew

この教会が建てられることが決まったのは1860年と言われています。ヘンリーもアルバート王子も亡くなる前です。が、完成したのは二人とも亡くなった後の1886年。なんともやり切れません。

そうそう1/セント・アンドリュース教会は、ステンドグラスが有名ですが、なんとその中に、カメハメハ4世とクイーン・エマとアルバート王子がいらっしゃいます。アルバート王子は、亡くなられた後の天に召される姿で描かれています。歴史を知ってから見ると、なんだかジーンと来るものがあります。

そうそう2/わたくしは取材でこの教会へ行ったことがあります。日本語だと「アンドリュース」なのに、どうして英語では「Andrew」なのか?「s」がないのは何故か?というくだらない事を調べに行きました。実際に教会内に展示してあるいろんなものを見ると、

・Cathedral Church of Saint Andrew
・Saint Andrew’s Cathedral
・The Bells of St.Andrews

ううむ。よう分からん。

ウエディング関係のベテランさんは即答してくださいました。
「これは、イギリスの方言というかなんというか、あんまり深く考えなくていいと思います。わたくしたちはセント・アンドリュースと呼んでます」
そ、そうですか。

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そうそう3/1960年に、カメハメハ4世とクイーン・エマは、2歳になったアルバート王子を連れて、カウアイ島へ旅行に行っています。この時、ハナレイの近くに土地を持っていた外務大臣(スコットランド人)がいて、王に敬意を表して(っていうか、ゴマをすって?)、その土地に名前をつけました。それが、プリンスビル(王子村)です。現在も人気のリゾートエリアですね。

このリゾートエリアにあるホテル、プリンスビルリゾートには、カメハメハ4世の絵が飾られています。アルバート王子の絵だと悲しすぎるからでしょうか。


。。。。つづく


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