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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 27.外国人が土地を所有することができるようになって、ハワイ王国はどんどん変わっていきます

1851年、キャッスル&クックという会社が動き始めます

前回書かせていただきましたが、1850年の憲法改正で、外国人もハワイの土地を所有できるようになりました。この憲法改正は、ハワイ王国にとっていいことではありませんでした。そもそも、ハワイアンは土地を所有するという習慣がなかったので、この憲法も理解できませんでした。理解できないハワイアンに対して、外国人(特にアメリカ人)は容赦しませんでした。ガンガン土地を買いまくり、記録を見ると、1862年までに、なんとハワイの75%が外国人の土地になっています。

その中でも、ビッグファイブと言われる5大財閥は、この後、ハワイの経済だけでなく政治を仕切っていくことになります。

・C. Brewer & Co.
・Theo H. Davies & Co.
・Amfac
・Castle & Cooke (キャッスル&クック)
・Alexander & Baldwin

この中の、キャッスル&クックという会社が1851年からスタートしています。キャッスル&クックを作ったのは、アメリカ本土からやってきた2人の宣教師(アモススタークック、サミュエルノースキャッスル)でした。

キャッスル&クックは雑貨店からスタートしました。商売という感覚がないハワイ王国は、何をやっても儲かる場所です。そのうち、サトウキビプランテーション(下で説明させていただきます)関係の仕事にも手を出し、やがて、ハワイ王国の議会でも働くようになります。

1852年、清から労働者移民がやってきます

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1850年の憲法改正でハワイの土地を持てるようになった外国人(主にアメリカ人)たちは、今までのハワイ王国では考えられなかったことをどんどんやり始めます。1835年に、サトウキビプランテーションがスタートしたことは第23話で書かせていただきました。そのサトウキビプランテーションの規模を広げ、造った砂糖をアメリカ本土へ輸出することを考えたのです。ハワイの製糖業が一気に加速します。

これも第23話で書かせていただいてますが、免疫が無いハワイアンは、軽い病気で亡くなったりして、すごい勢いで人口が減っていました。その労働力を補うために、事業主たちは異国から移民を連れてくることを考えます。5年だけハワイに住んで、サトウキビ畑で農作業をする、という契約期間がある移民です。

その当時の東南アジアは、植民地だらけでした。日本も鎖国中です。そこで選ばれたのが清(中国)でした。この後、いろんな国から移民労働者がやってくることになりますが、これが最初です。

※清からやってきた人々は、5年の契約期間が終わると商売を始めたりしました。農作業よりも商売の方が性に合ってたのかも知れません。その結果、チャイナタウンが生まれることになります。

※契約期間が終わったら帰らなくて良かったのか?と思ってしまいますが、現代と違い、そのころは今のように厳しくはなかったみたいです。帰国する人もいれば、そのままハワイ王国に住みつく人もいたようです。

サトウキビプランテーションについて

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今後のハワイの歴史に重要な存在になってくるので、サトウキビプランテーションについてちょっと書かせていただきます。

プランテーションというのは、取引価値がある単一作物を大量に栽培する農業のことです。コーヒー、綿、ゴムなんかもそうですが、ハワイではサトウキビが選ばれました。

サトウキビは、ムギやとうもろこしと同じイネ科の植物です。太い茎が特徴で、そこに糖分がぎっしり溜まります。この茎を収穫して、加工し、砂糖を造ります。

へなしゅんは、2005年にカウアイ島の製糖工場を見学したことがあります。収穫した茎から糖分を絞り出し、火を通してドロドロにする作業を見せてもらったんですが、かなり手間のかかる工程でした。大量に扱うので、工場はかなり大きいですが、自動化されていて、作業している人の姿はあまり見かけませんでした。その工場で使われている機械のほとんどは、1850年代にはなかったものです。昔はどうやって砂糖を造っていたのか、その頃はまったく想像できませんでした。

その後、いろいろ勉強して、最初は大きな釜に入れて煮込んでいたことを知ります。とっても危険な作業やったみたいです。

工場よりも畑です。

サトウキビは、とても長い葉を持っています。収穫の際は、この葉をカットして取り除かねばなりません。が、この葉はとても丈夫で、人間にとっては超危険です。カッターみたいに、人の肌を切ってしまいます。

※ハワイではお馴染みのシャカサインは、「人差し指」「中指」「薬指」を切り落としてしまった人が手を振っているのを真似したことから始まった、と言われています。あの指が切れたのは、畑の葉ではなく製糖工場で機械に挟まれて、です。

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オアフ島ワイパフに、ハワイプランテーションビレッジというところがあります。当時の移民労働者たちの生活を体感できる、リアルな博物館?です。ここに再現してある当時の住宅を見て、「ハワイに住めるなら、その移民労働者として働いてもいい!」と言う、ハワイ好きの方がいらっしゃいますが、いやいや、移民労働者の仕事も生活もとても過酷なものでした。

上の写真右/ハワイプランテーションビレッジで展示してある住宅
上の写真左/サトウキビプランテーションが始まった頃の住宅

サトウキビプランテーションが安定するまで、労働者はこんな家(左)で寝起きし、朝から晩まで農作業をしていたのです。

この年には、再び憲法が改正されています

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1850年の憲法改正の元になったものは、1840年に作られたハワイ王国初めての憲法でした。が、これは、西洋社会の真似をしたもので、例えば、西洋人とハワイアンの裁判は別々に行われていました。カメハメハ3世は、1852年、憲法を根本的に改革して、西洋人とハワイアンの裁判を一緒くたにします。簡単に言えば、ハワイ王国のための憲法にしたのです。

サトウキビプランテーションだけでなく、西洋人のプランテーションや工場で働くハワイアンは奴隷のように扱われていました。カメハメハ3世はそれをなんとかしたかったみたいです。

1852年の憲法改正について、いろいろ調べてみたのですが、日本語で取り上げられてるWEBサイトはそんなに多くありません。Wikipediaが一番詳しいかも(英語ページです▼)

この憲法改正では、いいこともありましたが、ハワイ王国にとって、ううむ、と思われるようなこともありました。

【ハワイ王国にとって良かったこと】
・奴隷のように扱われていたハワイアンが開放された
・ハワイアン男性の全てに投票権が与えられた

【ハワイ王国にとって悪かったこと】
・王の絶対的権力が弱くなった
・議会の力が強くなった
(議会には欧米人がたくさんいたので、結果として欧米人の意見が通りやすくなった)

憲法をいくら良くしても、一般的なハワイアンにとって、憲法はまだまだ分からないものでした。逆に、欧米人(主にイギリス人とアメリカ人)にとっては、自分たちが幸せになるには何をどうしたらいいかが明確になっていきます。議会にイギリス人やアメリカ人を増やし、意見を統一させることによって、ハワイ王国をどんどん支配していきました。

ハワイ王国のための憲法にしたはずなのに、結果的にハワイ王国の力を弱めることになったわけです。

。。。。つづく


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