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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 33.そして5世も亡くなります。5世のパウアヒに対する想いとは...

カメハメハ5世は、パウアヒに王位を継ごうとしますが…

1872年の年末、カメハメハ5世は病気で寝込んでしまいます。何の病気やったか、いろいろ調べてみたんですけど、見つけられませんでした。当時のハワイアンは些細な病気で亡くなっているので、些細な病気やったのかもしれません。

カメハメハ5世は結婚していなかったので子どもはいません。そして、王位をパウアヒという女性に譲ろうとしますが、パウアヒは断ります。

パウアヒは、カメハメハ1世の孫娘にあたり、実は若い頃、カメハメハ5世の嫁になることが決まっていました。チーフ・チルドレン・スクール後にロイヤルスクールという名前になる学校)の卒業生です。が、パウアヒは、西洋人と恋に落ち、カメハメハ5世との婚約を破棄してしまいます。そして、19歳の年(実際はまだ18歳の時)にその西洋人と結婚していました。それはちょうど、カメハメハ5世がカメハメハ4世と一緒に、アメリカ本土を旅している時やったそうです。パウアヒの結婚式には、人は集まらなかった、と書いてある資料があるので、やっぱりハワイ王族としては歓迎されない結婚やったのかもしれません。

その後、カメハメハ5世は、ずっとひとりでした。結婚しなかったのは、パウアヒへの気持ちを忘れられなかったから、なんて書いてある記事もありますが、実際はどうなんでしょう。とにかく、自分が死ぬかもという時に、パウアヒを呼んで王位を継がせようとしたのは事実です。が、パウアヒに断られ、カメハメハ5世はそのまま意識を失ったそうです。他にも継承できる人物はいたみたいですが、カメハメハ5世はそのまま亡くなります。12月11日。42歳の誕生日でした。

そして、カメハメハを名乗る王は、カメハメハ5世が最後になりました。

パウアヒについて補足。ビショップミュージアム

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何とも皮肉なことですが、パウアヒは王位を継続しませんでしたが、カメハメハ系の財産を引き継ぐことになります。彼女はカメハメハの財産を引き継ぐ最後の人だったそうです。が、彼女も52歳で亡くなっています。彼女は、この財産をハワイアンの子どもたちのために使って欲しい、と言って亡くなります。

パウアヒの夫の名前は、チャールズ・リード・ビショップ。ニューヨーク生まれのアメリカ人です。

財産目当てでパウアヒと結婚したのかな?と思ってしまいそうですが、違います。ビショップは自力で大成功しています。例えば、ファーストハワイアンバンクのルーツをつくったのはビショップです。商売だけでなく、ビショップは政治の世界でも大活躍しています。

1884年、パウアヒが亡くなると、その遺言に従い、ハワイアンの子どもたちのために動き始めます。

1889年、ハワイアンの子どもたちのための教育施設、カメハメハスクールをオープンさせました。その建物は今も残っています。現在、ビショップミュージアムとなっている建物(旧館)です。カメハメハスクールはその後もどんどん大きくなり、現在は、ビショップミュージアムを見下ろす山の中腹に移動しています。

※2020年現在、カメハメハスクールは、ハワイアンの血を最低でも25%継いでいないと入学できません。

ちなみに、カメハメハスクールの旧館(現在のビショップミュージアム)は、カメハメハスクールの管理ではなくなっているそうです。が、現在のビショップミュージアムにはハワイアンの歴史がわかる資料がいっぱいあります。わたくしは大好きです。でも基本的に英語での展示なので、英語が苦手な方は、辛いかもしれません。わたくしは英語がダメなので、いつも辛いです。

※Wifiが使えるスマホなら、日本語で解説を聞くことができます。

1872年にはハワイアンホテルが誕生しています

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カメハメハ5世が亡くなった1872年には、ハワイにホテルが造られています。ワイキキではなく、ダウンタウンです。イオラニパレスがあるあたりの近く、現在はハワイ州立美術館となっているところです。ハワイ州立美術館の建物はなんとも品格がありますが、その理由はかつて豪華ホテルやったからなんですね。改装されたりしているので、オープン当時とまったく同じ見た目ではないですが、構造は同じみたいです。

ちなみに、ダウンタウンからチャイナタウンまでを通っている、現在バス専用道路となっている「ホテルストリート」も、この頃に造られたみたいです。ずっと後に、ハワイには移民労働者がたくさんやってくるようになります。ホテルストリートには、ホテルがいくつも建てられることになりますが、ホテルストリートという名前はその前からあったわけですね。

で、どうしてここにホテルが造られることになったのか。

当時、カリフォルニア=ハワイ=オーストラリアを結ぶ定期船が走るようになっていました。飛行機なんかない時代です。船が定期的になってくることになっただけでも、人の行き来は大幅に増えます。訪問者が増えたので、高級ホテルを造ろうということになり、ハワイ王国政府が融資してこのホテルを建てることになったそうです。ちなみに、その時の王はカメハメハ5世でした。

ホテルについて紹介しているサイト▼(英語)
http://hawaiiantimemachine.blogspot.com/2010/10/streetwise-hotel-street.html

6代目王 ルナリロ

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カメハメハ5世が亡くなり、カメハメハという名前を継承する王はいなくなりました。が、親族はいました。6代目王として知られているルナリロです。ルナリロは、カメハメハ1世の息子や孫ではありませんが、甥っ子みたいな存在です。厳密には違いますが、6世を名乗ることもできたかもしれません。

上の絵をご覧ください。これは、ビッショップミュージアムで見ることができる、ハワイ王の家系図です。家系図なのに、ややこしいのは、キリスト教になるまでのハワイアンは、あっちこっちで子どもを作ったりしていたから。カメハメハ1世だけでもあちこちに顔写真が貼りつけてあります。

2世もキリスト教じゃなかったみたいですが、子どもがいなかったので、省略してあります。3世からしっかりキリスト教に入信していて、奥さんもひとりしかいません。で、上の方、カメハメハ1世のおじいさんに当たる人に、Keoua Kupuapaikalaninui という人がいらっしゃいます(赤い丸印)

なんと、この人は、ルナリロのひいおじいさんなのです。なので、ルナリロはカメハメハ1世の親戚です。

カメハメハ5世が亡くなるときには、このルナリロも立ち会っていたことになっています。が、カメハメハ5世はルナリロを指名しませんでした。それはなぜなのかについては次回。


。。。。つづく


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