ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 07.カウアイ島には別の歴史がある?
2006年、調子に乗ってカウアイ島へ
今思えば、当時のわたくしは怖いもの知らずでした。ハワイ島の本の売れ行きが良くて、次の本の話をいただきました。何を書くか決めていいと言っていただいたので、カウアイ島を選ばせていただきました。2006年のことです。
カウアイ島と言えば、かつては、オアフ島の次に人気がある島でした。が、1992年、ハリケーン・イニキの直撃を受けてからは、マウイ島、ハワイ島に観光客を奪われ、超ガラガラの島。わたくしも、本を出すことが決まるまで、何度か行っていましたが、人が少ないことは知っていました。
どうしてマウイ島じゃなくて、カウアイ島にしたのか? 答えは簡単です。わたくしはカウアイ島のことをよく知りませんでした。ハワイのガイドブックを読んでも、カウアイ島の紹介はとっても少ないです。もっと知りたい!
ダメって言われるやろうなあ、と思っていたんですが、出版社さんはOKしてくださいました。
わたくしは調子に乗って、ハワイ島を取材した時と同じような日程でカウアイ島に滞在し、あちこち取材しまくりました。もともとよく知らない島なので、取材はめっちゃ楽しかったんですが、この本はあんまり売れませんでした(涙)
ハワイ島の本が売れた、と言っても、それはガイドブックです。わたくしが書いた小説が売れた、というのとはちょっと違います。やっぱり、観光で訪れる人が少ないということは、そんなガイドブックを買う人も少ないわけです。
あんまり売れませんでしたが、このカウアイ島取材で得たものはかなり大きかったです。ハワイ諸島の中で、カウアイ島だけは違う時間が流れています。それを知ることができました。
カウアイミュージアムには違う歴史が流れていた
カウアイ島の中心地は、リフエという町です。降りる人はそんなに多くないのに、リフエ空港はマウイ島やハワイ島の空港と同じくらい大きいです。2006年に取材で行った時は、わたくしはまだ「ハリケーン・イニキ直撃」のことは知りませんでした。あ、いや、聞いたことはあったかもしれませんが、カウアイ島について、ちゃんと考えたことがありませんでした。
まずはカウアイ島のことを知らねば。と、リフエにあるカウアイミュージアムへ向かいました。
わたくしは、オアフ島のビショップミュージアムみたいなものを想像していました。規模は小さいかも知れないけど、似たようにハワイの歴史ものが展示してあると思っていたのです。が、そこに展示してあったのは、全く違うものでした。
何が違うんやろう?と思いながら見学して行って気がつきました。カメハメハ1世に関する展示がないのです。1世だけではありません。ハワイ王国になってからの展示もとても少ないというかなんというか。
※これは2006年に取材した時の話です。現在は変わっているかもしれません。
ハワイ王国になる前の歴史が描かれていました
その展示は、カウアイ島へ上陸した時のリーダーから始まっていました。西暦300年ごろからスタートして、カメハメハ1世に下ってハワイ王国に組み入れられる西暦1810年までの王が何人か紹介されています。
オアフ島のビショップミュージアムにも、カメハメハ1世に征服されるまでのハワイを紹介する展示はあります。が、それらは文化や生活に関するものがほとんどです。が、カウアイミュージアムには、カウアイ島の王たちが紹介されていて、カメハメハ1世の展示はありません。
ちなみに、カメハメハ1世は南のハワイ島から島々を制していき、1795年にオアフ島を制します。カメハメハ1世がカメハメハ王朝樹立を宣言したのはこの時。カウアイ島へはこの後、2回攻め入っていますが、2回とも途中で断念しています。
・最終的に、カウアイ島の王がカメハメハ1世の軍門に下ることを決めたので、1810年にカウアイ島もハワイ王国に組み入れられた
と聞いていたのですが、なんだか微妙にニュアンスが違うような気がしました。
これについて、帰ってきてから調べてみました。
・カメハメハ1世がカメハメハ王朝樹立を宣言した時のカウアイ島王はカウムアリイ
・カメハメハ1世がカウアイ島を2回も攻めて2回とも断念したのは嵐や病原菌繁殖が理由
・戦わずしてカウアイ島を守ったことでカウムアリイは神がかり的な見方をされるようになっていた
カメハメハ1世にも神がかり的に語りづがれている話はいっぱいあります。
なんと、カウアイ島最後の王、カウムアリイも、神がかりな逸話をたくさん持っていました。カメハメハ1世は、その他の敵対する軍隊を徹底的に壊滅しています。が、カウアイ島だけ壊滅しなかったのは、何か感じるものがあったのかもしれません。
カウアイ島はカメハメハ1世を拒んでいた
カウアイ島の本を出したずっと後のこと。2007年ごろやったと思います。ひょんなことから、ハワイ島ヒロにあるカメハメハ1世像は、もともと、カウアイ島へ行くはずやった、ということを知りました。
カウアイ島には、プリンスヴィルという高級リゾート地があります。ハワイについて知識がある方はご存知やと思いますが、ハワイの地名は基本的にハワイ語です。そうでない場合は、ハワイ王朝の時代に、欧米移民の富豪によって買い取られたものやったりします。カウアイ島のプリンスヴィルもそうです。
プリンスヴィル/Princeville
これは英語で、しかも造語です。このリゾート地も、ハワイ王朝の時代に欧米移民の富豪によって買い取られ、現在に至ります。近年、オーナーが、プリンスヴィルにもカメハメハ1世像を建てようとしました。が、カウアイ島の住民に反対され、止むを得ずヒロへ送られました。ヒロにカメハメハ1世像が設置されたのは1997年。本当に最近の話です。
わたくしが見学したカウアイミュージアムの展示物も、そんなに古いものではありませんでした。つまり、カメハメハ1世に屈してからも、カウアイ島は、「自分たちは違う」ということを思うだけでなく、表現し続けているわけです。
それはなぜなのか?
その理由は簡単でした。
。。。。つづく