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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 36.カラカウアの妹リリウオカラニと、盛り上がる製糖産業について

ハワイ王国最後の王リリウオカラニは、カラカウアの妹です

今回は、リリウオカラニが若い頃の話からスタートします。ハワイ王国最後の王です。

ハワイ王国は、1795年から1893年まで太平洋のど真ん中に存在していた国です。97年間の間に8人の王がいました。

・カメハメハ1世____1795 ~ 1819年
・カメハメハ2世____1819 ~ 1824年
・カメハメハ3世____1825 ~ 1854年
・カメハメハ4世____1854 ~ 1863年
・カメハメハ5世____1863 ~ 1872年
・ルナリロ_________1873 ~ 1874年
・カラカウア_______1874 ~ 1891年
・リリウオカラニ___1891 ~ 1893年

最後の王、リリウオカラニはカラカウアの妹です。前回の記事に書かせていただきましたが、王位を継ぐはずの弟が亡くなったので、王位を継ぐ存在になりました。悲劇の女王としていろんな本が出されていますが、あまり語られていないのが若き日のルナリロとの関係です。34話でも書いていますが、リリウオカラニは若い頃、ルナリロと結婚する話がありました。本によっては、口説かれたけど断ったみたいに書かれてあったりしますが、一瞬だったとしても二人は付き合っていたように記されている資料もあります。リリウオカラニとルナリロは、音楽などで話が合ったそうですから、何もなかったことはないのでは、と、わたくしは思っております。

結局いろんなところから反対されて、この結婚話はなくなりました。

あ、上の写真左は若き日のリリウオカラニです。右はカメハメハ5世との婚約を破棄したパウアヒ

ちょっとややこしいですが、当時のハワイには、「ハナイ」という養子制度がありました。位の高い家では、子どもを外の家で育ててもらうという仕組みです。リリウオカラニは、この「ハナイ」で、パウアヒの家で育てられています。ちなみにパウアヒも「ハナイ」で、違う家で育てられているので、一緒には生活していません。が、親交はあったみたいです。

リリウオカラニ/1838年生まれ パウアヒ/1831年生まれ

リリウオカラニがジョン・ドミニスと結婚したのは王になる前の話です

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リリウオカラニは、1862年9月、23歳の時に結婚しています。相手はジョンドミニスというニューヨーク生まれのアメリカ人。1862年といえば、カメハメハ4世の息子アルバート王子が亡くなった年です。

※アルバート王子が亡くなったのは1862年8月

そのため派手な挙式は控えましたが、それでも一部では批判されたりもしたそうです。

何も知らないと、ジョンドミニスはリリウオカラニの地位とか財産目当てか!?と思ってしまいますが、違います。ジョンドミニスのお父さんは貿易関係で大成功してハワイへやってきた人です。そして、ジョンドミニスは、ハワイ王国で活躍しています。カメハメハ4世の時代から王国の中で重要な仕事を任され、カメハメハ5世の時代にオアフ島知事を任されています。

ついでに書いておきますが、リリウオカラニは、ジョンドミニスのお母さんに嫁姑的に辛くあたられています。あんまり書きたくないですけど、有色人種に対する差別は今よりもひどい時代やったと思います。

では、カラカウア王の時代に話を戻します。

ポルトガルから移民が到着します

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1878年、サトウキビ畑の作業員として、清(中国)、日本に続いて、ポルトガルからの移民が到着します。ポルトガルといっても、彼らはヨーロッパ大陸西端のポルトガル本国ではなく、大西洋に浮かぶ島々からの移民やったそうです。

・アゾレス諸島
・マデイラ諸島

Google MAPで検索していただいたらわかると思いますが、これらの場所はこんなところに島々があったんか!というようなところです。この島々の人々が勤勉でマジメなのは、捕鯨時代から知られていました。

第一弾の移民は120名ほどでしたが、最終的に1万人以上のポルトガル人がやってきました。

▼現在のハワイ島ラウパホエホエ・トレインミュージアムにある展示です

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ちなみに、ハワイにマラサダを持ち込んだのもこのポルトガル移民です。

ハワイにサトウキビ列車が登場します

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1875年、カラカウアは、ルナリロがやり遂げることができなかった、アメリカ合衆国との交渉を成功させました。その結果、ハワイの製糖業は一気に活気付きます。そして、ハワイのあちこちにサトウキビ畑や製糖工場が造られることになるわけですが、もうひとつ増えたものがあります。それがサトウキビ列車です。

広いサトウキビ畑から、収穫したサトウキビを工場や港へ運ぶのは大変でした。この搬送を列車でやれば効率的なのではないか。そんなことを考えたのは、マウイ島のトーマス・ホブロンという人でした。そして、1879年、カフルイレイルロードが造られます。これがハワイのサトウキビ列車のスタートです。

※わたくしが調べた限りではこのカフルイレイルロードが初めての列車なんですけど、違ってたらご指摘ください。

・カフルイレイルロード

 1879年 ワイルク~カフルイ
 1880年 パイアまで延長
 1913年 クイアハまで延長

パイアは、マウイ島のサーフポイントとして知られている町です。クイアハがどこか分からなかったので、Google MAPで検索してみたのですが、見つけられませんでした。パイアよりさらに東に、クイアハ湾という港があったので、そのあたりまで走っていたと思います。

※ちなみに日本初の鉄道(新橋~横浜)は1872年(明治5年)開通です。

。。。。つづく

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