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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 19.ロシアの要塞がカウアイ島にある理由

カメハメハ1世、ハワイ全島制圧

直接戦ってはいませんが、カウアイ島のカウムアリイは、2度もカメハメハ1世の攻撃を防ぎました。これにより、人々の中で、カウムアリイの存在がちょっと神聖化されていてたみたいです。そう、カメハメハ1世が破竹の勢いで敵を倒しまくった時のように。

カメハメハ1世は、カウムアリイと戦うことを止め、軍門に降るよう交渉します。カムウアリイはこれを受け、1810年、カウアイ島とニイハウ島もハワイ王国に組み入れられました。

このあたりのことは、結構あっさり書かれていることが多いのですが、実際はそうでもなかったみたいです。カウアイ島がカメハメハ1世の軍門に下ることに反対したアリイ(王族)たちがいて、なんと、カウムアリイを暗殺しようとしています。反対したってことなので、カウアイ島のアリイやったのでしょうか? でも、カウムアリイがオアフ島へやってきた時に暗殺しようとしたようなので、これはオアフ島のアリイ? もしくは共謀? すいません。わたくしはそこまでは調べられませんでした。

とにかく、カウムアリイは暗殺されかけますが、これを、当時オアフ島をまとめていたアイザック・デービスが助けます。アイザック・デービスってのは、第14話で紹介した西洋人です。彼はカメハメハ1世の片腕として、活躍しまくっていたようです。

アイザック・デービスが動いたおかげで、カウムアリイは無事にカウアイ島へ逃げ帰りますが、暗殺を計画した人たちは怒ります。アイザック・デービスは、カウムアリイの身代わりみたいな感じで、殺されてしまいました。なんとも悲しい話です。。。


カウアイ島にロシアの要塞ができていた

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カウムアリイはハワイ王国に組み入れられることに合意しましたが、本当に素直に従ったんでしょうか?

それを知ることができるものが、カウアイ島に残っています。

第7話でも書かせていただきましたが、2006年にわたくしはカウアイ島の本の取材のために、カウアイ島に長期滞在しています。まだ、ハワイ史についてはほとんどわかってない頃です。とにかくキョロキョロしながら、島中を走り回っていました。と、カウアイ島の南にフォート・エリザベス(FORT ELISABETH)という観光地?があることを知ります。

※看板にはFORT ELISABETHと書かれていましたが、GoogleなどではFORT ELIZABETHと表記されてます

わたくしの英語力はかなり低いですが、FORTが要塞みたいな意味を持っていることはわかりました。でも、RUSSIANという文字は何やろう?ロシアと思えるけど、あの寒い国ロシアの要塞がハワイにあるわけないしなあ。

現在なら、その場で、スマホを使って検索できますが、当時はそんなことはできません。コンドミニアムへ戻ってから、パソコンを立ち上げて調べました。調べてびっくり。RUSSIANはやっぱりロシアでした。1815年にロシアがやって来て、カウアイ島に要塞を造っていたのです。

ちなみに、その要塞が、ロシアの領土みたいな感じで機能していたのは、1815年~1817年の2年間でした。1815年といえば、ハワイ王国にカウアイ島が組み込まれてから5年しか経っていません。カメハメハ1世がカウアイ島を領土に組み込んだすぐ後の話です。何が起こったのか!

カウムアリイは、何をたくらんでいたのでしょうか?

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ロシア領土は3カ所に設けられていました。ややこしいので箇条書きにしてみます。

・ロシアの商船が近くで座礁した
・カウアイ島の人々がこれを助けたことから接触が始まる
・船はロシアン・アメリカ・カンパニーという貿易会社のもの
・ロシアン・アメリカ・カンパニーは要塞を3箇所に造った

どうしてロシアの船がハワイまでやって来てたのか?これは簡単です。この時代、アラスカはロシアの領土でした。アラスカを持っていたこともあって、太平洋は今より身近な海やったみたいです。

※アメリカがロシアからアラスカを買い取ったのは1867年(明治維新の1年前)

これについて、よく書かれているのが、ロシアン・アメリカ・カンパニーがカウムアリイを騙して、カウアイ島を乗っ取ろうとした、という説です。わたくしはこれに関しては、それはちょっと違うのでは?と思っています。こんなごっつい要塞が完成するまで何も気づかないなんてことがあるでしょうか。しかも、3つも造らせているのです。いくらなんでも、途中でこれはやばい!と気づくはずです。

どうしてそんなものを造らせたのか。カウムアリイは、ロシアン・アメリカ・カンパニーを利用して、もう一度、カメハメハ1世と戦う気持ちがあったのではないでしょうか。戦わないとしても、カウアイ島は渡さないぞ、みたいな。

あ、これはわたくしの意見というか見解なので、捨て置いてくださいまし。


アレキサンダー・アダムスがカウアイ島まで行っています

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この頃まで、アイザック・デービスとジョン・ヤングという2人の欧米人がカメハメハ1世の参謀みたいな感じで動いていました。が、前述しましたが、アイザック・デービスは1810年に暗殺されてしまいます。

その後、同じような感じで活躍するのが、アレキサンダー・アダムスというスコットランド人です。

アレキサンダー・アダムスは海軍の船乗りでした。ちょうどこの頃にハワイへやって来て、その後、ジョン・ヤングと共にハワイ王国の海軍を指揮することになったと記録にあります。

ハワイへやって来てすぐ、カメハメハ1世に言われて中国へサンダルウッドを売りに行っています。どうしてそうなったのかまで書いてある資料を見つけられなかったので判らないんですけど、アレキサンダー・アダムスはいきなり挑戦しています。

この商売は上手くいきませんでした。中国(清)の港で港湾料金というものを取られるので、手間賃や時間を考えると、差し引きして、サンダルウッドの商売はそんなに儲からなかったのです。が、この航海で、港湾料金というものを知りました。

その頃、ハワイの港には、異国からやって来た捕鯨船がいっぱい泊まっていました。それらの船からハワイも港湾料金を取ればいいのではないか。カメハメハ1世がこのことに気がついて、港湾料金を取るようになった、と書いてある資料があります。でも、のちにマウイ島ラハイナが捕鯨船の寄港地として賑わうことになりますが、寄港料金は取ってなかった、という記録もあります。港湾料金と寄港料金は文字が違うから意味が違うのでしょうか?

よく分からないので、それについてはそのままにして(そんなんでええんか!)、ハワイにロシア領土が造られた話に戻します。

カメハメハ1世が、カウムアリイに手を焼いていたのはなんとなく分かります。でも、わざわざ自分でカウアイ島まで行くことはしていません。ハワイ王国はまだまだできたばっかりで、微妙な頃やったと思います。出向くとしたら3回目になるし、そこでまた何か起こったら、王国の体制そのものがやばくなるかもしれません。

で、カメハメハ1世は、1817年にアレキサンダー・アダムスをカウアイ島へ送り込んでいます。

アレキサンダー・アダムスは、ロシアン・アメリカ・カンパニーの商人と交渉し、カウアイ島から追い出しました。なかなかやり手です。

いやしかし、そのロシア人たちは、本当に商人やったんでしょうか? 要塞を造るってことは半分軍人みたいな人たちやったのではないでしょうか。いろんなところで、いろんな風に紹介されてるので正しくは分かりませんが、とにかく、ロシアの要塞は機能しなくなり、カウアイ島は守られました。そして、カウムアリイも、おとがめなしでした。カメハメハ1世はことを荒立てたくなかったんでしょうね。


。。。。つづく


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