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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 22.あまり知られていないカメハメハ2世

カメハメハ2世はキリスト教に入信していません

ハワイ史を多少ご存知の方でも、カメハメハ2世のことはあまり詳しくなかったりします。ちょうど、宣教師がやってきた頃なので、話題を持ってかれてしまっているというかなんというか。今回はカメハメハ2世について書いてみます。

カメハメハ2世については、日本ではあまり紹介されてなかったりします。若くして亡くなってしまったから歴史が薄いこともありますが、この時期、カアフマヌ(カメハメハ1世の奥さんの1人)が活躍しはじるので、影が薄くなってしまってるんやと思います。

第20話にも書きましたが、カメハメハ2世が王の座につく時(1819年)、カアフマヌは当たり前のように位の高いマントを着ていました。日本で言う摂政みたいな位置についたのです。

・摂政/せっしょう
君主制を採る国家で、君主が幼かったりして政務ができない場合、君主に代わって政務を摂る役職のこと。

カアフマヌは、ハワイの風習を壊していきます。

・男尊女卑を無くす
・ハワイの原始的宗教を無くす
・キリスト教の布教活動を許す(1820年)
・カフナ(神官)の存在を無くす

わたくしは、偉大な王を失ったハワイ王国を守るために、カアフマヌはこのような行動を起こした、と思っています。ちなみに、カアフマヌ自身がキリスト教に入信するのは、1825年のことです。それは、後述しますが、カメハメハ2世が亡くなった後です。

カメハメハ2世は、キリスト教に入信してはいませんでした。カメハメハ1世と同じく、たくさんの奥さんを持っていました。カアフマヌは、ハワイの古い風習を壊しまくるような女性です。キリスト教を信じるべきと思っていたなら、そんなことは止めさせていたでしょう。

ハワイアンにとってのキリスト教はどうやったのか?

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ハワイアンが文字を覚えるのはもっと後です。この時代の記録として残っているのは、宣教師たちが書いたもの。なので、ハワイアンがキリスト教をどんどん受け入れた、と書かれてあったりしますが、それらはすべて宣教師たちの見解です。

ハワイアンが、宣教師たちの話をどこまで理解していたか、は、謎ですが、宣教師たちが、ハワイアンの言葉を勉強して理解しながら布教活動をしていたのはほんまみたいです。

宣教師たちはプロテスタントですから、聖書さえあれば充分です。前回も書きましたが、1823年、カイルア・コナに藁葺き屋根の教会が造られ、キリスト教の布教活動が始まっています。

それまでハワイアンが信仰していた宗教では、ヘイアウは身近な場所ではありませんでした。それが、プロテスタントのキリスト教では、誰でも話を聞かせてもらえるのです。ハワイアンは教会に集まり、宣教師の話を珍しそうに聞くことになりました。

資料を見ると、この年に、カメハメハ2世の母、ケオプオラニが亡くなり、カメハメハ2世はイギリスへ行くことを決めた、と書かれてあったりします。

ハワイ王国はイギリスと仲良くなりたかったのか?苦言を言いに行ったのか?

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カメハメハ1世がイギリスの艦長ジョージバンクーバーと仲良かった話第16話で書かせていただきました。その後も、ハワイ王国とイギリスとの関係は続いていました。が、イギリスはとっても遠いです。ハワイ王国の王が、自らそこまで行く必要があったのか?

いろんなWEBサイトに、イギリスと仲良くなるため、と書いてあったりします。この時代、船に乗って異国まで行くのは命がけでした。親睦を深めるためだけに命がけで船に乗るでしょうか。その昔、わたくしが出させてもらった本(2009年発行/ハワイタイムマシーン)では、同盟関係の交渉をするため、と書いています。

当時のわたくしには、強力な協力者がいました。わたくしが見つけてきた本を細かく訳し、え?それってどういうことなんでしょうね?と言うと、細かく調べてくれました。maruko女史と言う方です。インディアナ州出身のJansenさんと結婚して、アメリカ本土で暮らしているはず。コロナ騒ぎで大変な今、どうしてはるかなぁ。

と、そんなことはどうでもよくて。すんごく細かく訳してくれる方でした。当時、わたくしが見つけてきた本にはこう書いてありました。

・当時、世界は、イギリス、フランスが勢力争いをしていた
・オランダやスペインの植民地もまだいっぱい残っていた頃。アメリカ、ロシアが進出してきた頃
・イギリスが1番力を持っていた。ハワイと同じく、イギリスは王国
・ハワイもそのうち狙われるかもしれない。ハワイの王は、イギリスと同盟を組んで守って貰おうとした

が、最近、まったく違うことが書いてある資料を見つけました。

・ハワイ王国は、イギリスの商船からいろんなものを買うようになっていた
・当時は貨幣でモノを売り買いする時代になっていた
・ハワイ王国は、支払えるお金を持っていなかったので、後払いで商品を輸入していた
・負債が膨らんでいき、これをなんとかせねば!と、イギリスまで交渉しに行くことにした

こっちの方が正しそう。

とにかく、カメハメハ2世はイギリスまで行くことにしました。って言うか、そう書いてあるわけじゃないけど、これって、カアフマヌに言われて行ったような気がしないでもないです。

カメハメハ2世はイギリスで亡くなります。26歳でした

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カメハメハ2世はキリスト教に入信していませんでした。なので、カメハメハ1世みたいに奥さんがいっぱいいます。イギリスへ行くときは、その中で一番、位があるカママルを連れて行ってます。カメハメハ1世にとってのケオプオラニみたいな存在の女性ですね。カメハメハ1世みたいに、ひれ伏したりはしていませんでしたが。

いやしかし、ハワイからイギリスまではかなり遠いです。船酔いは大丈夫やったのか?と思いますが、ハワイアンはもともとカヌーに乗って動き回っていた人々です。平気やったんじゃないでしょうか。と、勝手に解釈。

さて、カメハメハ2世は出発前に、当時のイギリス王国宛に手紙を書いています。が、手違いがあって、その手紙はカメハメハ2世と同じ船に載せられてしまいました。カメハメハ2世は、到着したらすぐ、イギリス国王に会いに行けると思っていましたが、いきなり待たされることになりました。

待つだけではありません。白人が世界を侵略していた時代です。イギリスのメディアは、なんやあいつら、みたいな感じで、カメハメハ2世たちをいじりまくったそうです。

カメハメハ2世はイギリス国王に会えないまま、1カ月以上を過ごすことになります。オペラを見に行ったり、お食事会が行われたりしたみたいですが、まったく会える感じにはなりませんでした。

記録では、カメハメハ2世たちがロンドンに到着したのは1824年5月18日。イギリス国王に会う予定やったのは6月24日でした。予定やったというのは、その前にカママルが病気になって寝込んでしまい、中止になったから。これまたウソみたいな話ですが、カママルは麻疹(はしか)で倒れたのです。南国ハワイで、外部との接触がないまま生きてきたハワイアンは、免疫力が全くありませんでした。今なら死なないような病気で、そのまま帰らぬ人になってしまいます。カママルはそのまま亡くなり、それを追うように、数日後、カメハメハ2世も麻疹で亡くなってしまいます。

・7月8日 カママル死す
・7月14日 カメハメハ2世死す

2人の遺体は、船に乗ってハワイへ帰ってきました。


。。。。つづく


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