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授業参観でのanother story

先日、子どもの小学校で授業参観があった。

私はイタリア、韓国で子育てをしてきたので(コロナで一時帰国中)日本で子どもの授業参観に参加するのは初めての経験だった。日本の教育、子ども達がどのように日本の学校に適応しているかを見れる良い機会であったため、とても楽しみにしていた。

2年生の授業は道徳。あひる、白鳥、カメが泳いで向こう側の島に遊びに行こうとしているところに、泳げないリスがやってきて、一緒に行きたいという設定。でもリスは泳げないから一緒に行けないと言って、アヒル、白鳥、カメの3人で泳いで島に行ってしまう。取り残されリス。

3人の動物はどのようにしたら良かったのかを、グループで考えて発表するという内容の授業だった。

みんなの発表はこんな感じであった。

亀さんの背中に乗せてリスさんも一緒にいこう。さっきはごめんねって謝ろう。みんなで行った方が楽しいよ。

みんなと仲良く、人に優しく、仲間外れをしない。親として聞いていると、なんて立派な発表なんだろうと思わずにはいられない内容だった。教室は拍手で溢れていた。

仲良くする、仲間外れをしないことがテーマで、一人一人がこういう場面に出会った時、どうすればいいかを考えて発表して、授業は終わった。

子ども達、成長したな〜頑張っていたな^ ^チャンチャン。では終わらない、私が感じた違和感。

確かに小学生の私があの授業を受けていたら、きっとそうやって答えただろう。親にも先生からも、口酸っぱく言われ続けてきた言葉たちであったから。みんな仲良く。

確かにとても大事なことである。他者を受け入れて、共存していくのが社会であるから。

ただ私はもう一つのストーリーが見えてしまった。オズの魔法使いのanother story ウィキッドのように、もう1人の魔女にフォーカスが当てられたら。自分がリスさんだったらどうしたかという視点。

長い海外生活で、不便なこと、外国人として傷ついたこともたくさんあった。これ日本と違う、日本人はこんな対応してくれないと、泣いていたって傷ついていたって、何も周りが私に合わせて変わってくれたりはしない。

優しく誘ってくれる友達を待つより、自分がリスだったらどうすれば良かったかを考える、その視点をもつこともとても大切だと思ったのだ。

白鳥、あひる、カメだけじゃなく、友達って探せばもっといる。泳げなくて島に行けないなら、泳ぐ練習をしよう。1人になっちゃったから、1人でしか出来ないことをしよう。そんな風に舵をとれたら、また違う世界が広がっていくのではないか。そう、フォーカスは他人ではなく、自分。

ウィキッドのように、違う視点から物事を見ると、まったく別の思いもよらない物語が繰り広げられていたように、あひる、白鳥、カメの物語のみならず、リスの行動にも視点を向けることが出来たらという私なりの気づきであった。

世界には様々な価値観があり、正義があり、暮らしがあり、信じるものも、食べるものも違うのにみんな仲良くしようなんて、無理なことである。小学生には現実的過ぎなんて思うかもしれないが。

そう、最近の私のテーマ。過去と他人は変えられない、自分と未来は変えられる。

この視点に気づけると、世の中に嫌いな人なんて居なくなるのではないか。

私の好きな歌詞が頭をよぎる。

人はそれぞれ正義があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない。だけど、僕の嫌いな彼も彼なりの理由があると思うんだ。

家に帰って、自分がリスだったら、どうしてた?どうしたら良かったかな?と次男に尋ねると、それは3年生から考えることでしょう。という返しには、拍子抜けである。





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