わたしと息子を、社会につなげてくれたヒーローたち
こんにちは!
日ごろはツイッターで発信をしています、ひろかむと申します。けさはタイムラインにバスの運転士さんのツイートが流れてきて、どういうのだったかというと、「子どもに手を振ったら片手運転で危ないというクレームをいただいた」というものでした。「それでも続ける」ともおっしゃっていて、そうだそうだ!なんて勝手に盛り上がっていたわけですが、なんでこんなにも思い入れがあるのか、ちょっと書いておこうと思った次第です。
赤ちゃんを産んで、一週間の入院を経て家へ帰ってきた時の思い出から書きたいと思います。
夫も仕事へ行って、同居の祖母も働きに出るこの時代、私は赤ちゃんと二人っきりで長い時間を家で過ごすことになります。
愛しさはもちろんなのだけれど、それと同じくらいの心細さがしぃんとした家を包んでいました。まるでこの世界には私と赤ちゃんの二人しかいなくて、外へ出ることはもうないんじゃないか…今じぶんで言っても笑っちゃうけれど、とにかくそんな気持ちだったのを覚えています。
1ヶ月くらい経ってからは、おそるおそる抱っこ紐を使いながら、外の散歩もするようになりました。明け方にふらふらと歩いていると、散歩中のおじさんやおばさんが「大変ね、がんばってね」と声をかけてくれます。
6ヶ月が経ったころ、少しお座りができるようになって、バスターミナルへお散歩に行きました。バスターミナルにはベンチがあって、そこに座って出発するバスを見送るのでした。
(当時泣き止む(息子が満足する)のは授乳かお散歩でしたから、「座っても大人しくしていてくれる」(座れる!)というのはとんでもなく有難いことだったのです)
「バスがしゅっぱつするね!いってらっしゃいのバイバイしようか!」そう言って、バスにバイバイ(正確には、私が息子の手首を持ってフリフリする)をすると、バスの運転士さんも振り返してくれるではありませんか!いや、たしかにちょっと期待はしていましたけど、実際に振り返してもらえるとそれはそれは嬉しいものです。
「〇〇くん!みた⁉︎いま運転士さんバイバイしてくれたね!」息子はじぃっとバスを見つめているのですが、私の方がはしゃいでしまいました。
生まれてから6ヶ月、ほとんどの時間を家の中か、朝方や夜中の徘徊のような散歩をするという過ごし方をしていて浮世離れした感覚になっていました。それを、現実に引き戻してくれた瞬間だったと思います。
おそらく、その辺りを境に、子育てで感じていた緊張がほぐれていったと思います。もちろん座れる!という身体的な助けもそうですが、息子と私を歓迎してくれる場所があるというのは、それまでの孤立した感覚から解き放ってくれました。
今朝の、バスの運転士さんが手を振ったら「片手運転で危ない」という声は、私には思いもよらないことでしたが、そう思う人があるのは事実でしょう。シートベルトの着用義務も厳しくなる中で、そうした声も、考えられる事ではあります。
でもね、そう思われる方にお伝えします。せっかく批判されるなら、私のような考えの者があることも含めて、それでもどうしても危険だから禁止するのだと仰ってくださいな。それなら納得できます。ちなみにバスの運転士さんはバス同士ですれ違うときも、手を挙げて挨拶されています。それも辞めよということでしょうか。まさか「バイバイ」が"違和感があるから"反対している、なんていい加減な理由ではないことを祈ります。ぷんすかぷんすか。
さいごはなんだか厳しい口調になってしまいましたが、私が伝えたかったのは運転士さん、ありがとうということです。
バスの運転士さんも、電車の運転士さんも、ごみ収集車のお兄さん達も、道で声をかけてくれるおじさんおばさんも、小児科へ行った時のクリニックのみなさんも、スーパーの店員さんも、私と息子を社会と繋ぐ存在です。子育ての孤独から救ってくれる存在です。
ちなみにこのnoteやtwitterも、なにげに私と社会を繋げてくれる大切なツールです。