見出し画像

知情意で男女を定義しなおす

こんにちは!日頃はツイッターで発信しております、ひろかむです。

 何だか堅苦しいタイトルになってしまいましたが、私の中でとても重要なテーマになっており、また読んでいただいた皆様にもちょっと考えの引き出しを増やすお手伝いができるんじゃないかと思い、書いていきます。

 ちなみに前回のnote「文章パラダイスのどこに座るか」で、このことに触れています。合わせて読んでいただけると、もっと分かりやすくなるのではないかと思います。

 まず前回のおさらいになりますが、世の中には「知の人」と「情の人」というのがいます。お、何だか一気に変な感じになりましたね。大丈夫でしょうか、もうしばしお付き合いください。「知の人」というのは”多くの場合”男性です情の人というのは”多くの場合”女性です
 なぜこんなことを言うかと申しますと、数学者岡潔のこの言葉に端を発します。

私には、女性は情から知へ意志が働くし、男性は知から情へ意志が働くように見える。すると二つ合わせると、意志は全く働かないことになって安定するのかもしれない。

 ここで岡潔は男性と女性と言い切っていますが、私はここに独自の解釈を加えました。つまり、意思の働き方を生まれ持った身体の性とは切り離し、「知の人」と「情の人」という分け方をしたのです。これで、ジェンダーに縛られず、全ての人について考えることができます。ちなみにここまでは前回の記事でもお話ししました。今回は、もう一歩踏み込んで話したいと思います

「知の人」は情に疎く、「情の人」は知に疎いのでしょうか?

 よく言われる例としては(女性が男性に対して)「理屈っぽい」、(反対に男性が女性に対して)「感情的すぎる」というのがありますよね。もっとキツイ言い方だとさらに分かりやすいかもしれませんが、読者を不快にさせることがこの記事の目的ではないのでこのへんにしておきます。(笑)

 このあたりについては、再び岡潔の言葉を引用します。

男性の心の動かし方は、感覚-知性-感情の順に心を動かす。一方女性の場合は感覚-感情-知性の順ではないかと考えます。本当にそうかどうかは、みなさんにも考えてほしいことなのです。

 先ほどと内容は同じですが、「知性」と「感情」という言葉が出てきました。先ほどの「知」と「情」をより親しみのある表現に変えたところに、文末にある「みんなに考えてほしい」という想いの強さを感じます。
 ではもう一度文をじっくりと見ていきたいと思います。(先ほどと同じように、「男性」は「知の人」に、女性は「情の人」に置き換えて考えていきます

 知の人は感覚ー知性ー感情の順に心を動かすとあります。具体的にはどういうことを指すのでしょう?ここではタンポポを例に出したいと思います。例えば、タンポポを見た時に、知の人はまず「何だろう?」と思います。それから花が綿毛になる事や茎が水に濡れると丸くなる事をまず”知って”、それから(タンポポを)”好き”になります
 情の人についても同じように考えていきます。まず、タンポポを見た時に情の人はまず「好き」と思いますまず”好き”になってそれから気になり花が綿毛になる事や茎が水に濡れると丸くなる事を知っていきます。
 ここで、先ほどの疑問をもう一度繰り返したいと思います。

「知の人」は感情に疎く、「情の人」は知性に疎いのでしょうか?

 確かに、思考の”入り口”に関してはそうと言えるかもしれません。知の人は知性の働かないものを好きにはなれないし、情の人は好きでないものに知性を働かせることができません
 しかしここで踏みとどまって考えて欲しいのは、思考が”進めば”知の人は好きになり、情の人は知性を働かせるということです。
 この事実はとても大事なことです。

 前回の記事「文章パラダイスのどこに座るか」でもお話しましたが、今の教育は知の人を育てるカリキュラムで組まれています。(知の人を育てるのに十分かという問題は今回は置いておいて、ベクトルの方向として、という意味でお話ししています。)教育がそうということは、つまり社会のニーズは雇用であり、雇用のニーズは知性にあるということを意味しています。ここの何が問題かというと、情の人はそのカリキュラムから逸れるか、真面目に進むなら「知の人」として生きることを迫られることです。
 情を育てる基盤がないということは、情の精度が落ちるので結果として「知に疎く」なり、悲しいことに「感情的だ」と揶揄される機会も増えます。
 そしてこれは岡潔も危惧していたことですが、情を育てずに「知の人」としてふるまい続けてきた場合、「家族の恒常性を保ちながら子を産み育てるという圧倒的に情を必要とする場面でつまづく」。ということです。
 「恒常性」なんて少し聞きなれない表現をしてしまったので説明すると「家族の恒常性を保つ」とは「知の人」の対極としての役割を果たして関係を安定させるということです。ちょっと抽象的ですが今回はここでお許しください。

 何だか危機感を煽るような言い方になってしまいましたが、だからどうするというのはもっと慎重に考えるべきというふうに思っていまして、今回は「言われてみればそう考えることもできる」と、状況の一端を感じていただければ本望です。

 先ほど「社会のニーズは雇用で、雇用のニーズは知性(だから教育も知性に重きを置く)」と書きましたが、これからの時代はここが大きく変わることが予想されています。つまり、社会のニーズが、雇用で無くなる可能性です。雇用のニーズに感情も加わる可能性です。ここを説明しようとすると、AIやシンギュラリティ(ちなみに私はシンギュラリティよりももっと短期的な時間軸で考えたいのでマルチプリシティを支持しています)に話が広がってしまうので、ここまでに致します。

 最後に...私は(おそらく)「情の人」です。もしこの文章に知性を(程度は問いません!恥)感じたとすれば、私がこの分野を「好き」で研究しているからです。蛇足になってしまいましたが、一つの事例に加えていただければ幸いです。

 なぁがい!長い長い!
読ませておいて難ですが、目をしっかり休めてあげてくださいね。
お疲れ様です。読んでいただいてありがとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!

ひろかむ(岡潔とモンテッソーリ)
ひょっとしてサポートをいただけるかもなんて思っているからこそこの説明文を書いているわけですが、貴重すぎるのできっと記念にとっておいたりするのだと思います!「日記でお金をいただけた記念!」とかいって。そして、そんなこと言いながら息子の絵本を買ったりするのだと思います...!