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樹の年輪のように

 母は優秀な人間である。
 でもそれ以上になぜだろう、きっと私の方が優秀だという
根拠のない自信がある。

 それは肌のケアの仕方だったりスマホの使い方という時代の技術の恩恵もあるけれど、きっとわたしの中には母の記憶がすでにあるからなんじゃないかと思っている。

 ちいさい頃からなんども聞かされてきた「お母さんは昔ね...」ではじまる数々の思い出たち。嬉しいことも、悲しいことも。

 母の記憶を追体験しながら、私は育ってきた。

 人の一生は季節に似ていると思う。

 生まれてから命の春が芽吹き、激動の夏を経て、実りの収穫に勤しむ秋をすぎると、やがて冬をむかえ、命を終える。

 どの時点が優れているか、というよりも、きっとどの一瞬を切り取っても
尊い。

 それでも確かに言えることは、2年前の春に生まれた息子は、きっと私よりも優秀なのだろうということ。

 私の「お母さんは昔ね...」をうんざりするくらい聞きながら、私の記憶を、父の記憶を、いろんな人の記憶を追体験しながら、生い優っていくのだろう。

 木の年輪のように、春も冬も、何度も経験しながら、一つの大木がかたち作られていく。全ての記憶を、その太い幹に納めながら。

 


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ひろかむ(岡潔とモンテッソーリ)
ひょっとしてサポートをいただけるかもなんて思っているからこそこの説明文を書いているわけですが、貴重すぎるのできっと記念にとっておいたりするのだと思います!「日記でお金をいただけた記念!」とかいって。そして、そんなこと言いながら息子の絵本を買ったりするのだと思います...!