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娘のための世界史5 コロンビア史1

娘のための世界史5 コロンビア史1

 コロンビアという名前の国があるので、コロンビア史なんて題名にすればややこしいのは承知の上で、いわゆるアメリカを発見したのはアメリゴ・ベスプッチではなく、コロンブスだ--という意味で、あの両大陸の歴史を語るのに、コロンビア史としました。アメリカの首都ワシントンDCのCです。あるいは、カナダの西海岸のBC州のCです。

【関野吉晴のグレートジャーニー】

 ヤノマミに恋してる。知る人ぞ知るアイドル、ヤノマミ。
 と言っても人の名前ではなく、アマゾンのジャングルに暮らすインディジナス(先住民)の部族です。裸族かな。「探検部」にとってのデスティネーションのひとつで、関野吉晴さんにとってもそうでした。現地で役に立つからと医学部に入りなおしたほどです。そんな関野さんが1993年から始めた「グレートジャーニー」は、もともとは人類学の用語です。

 20万年前にアフリカに登場したと考えられる現生人類ホモ・サピエンスは、10万年前頃からアフリカを出て世界中へ拡散を始め、およそ1万4000年前には、当時陸続きだったベーリング海峡を経てアメリカ大陸に渡り、たった1000年で最南端のフエゴ島に到達したといいます。この「旅」のことを「グレートジャーニー」と呼ぶのです。
 関野さんの「グレートジャーニー」は、この拡散ルートを逆にたどり、フエゴ島から出発してアフリカを目指す旅でした。

 実は、人類の拡散は南米最南端で終わりではなく、3000年から2500年前に東南アジアから南太平洋のポリネシアの島々への渡洋があります。ノルウェーの人類学者のトール・ヘイエルダールは、ポリネシアの人々は逆に南アメリカのペルー辺りから渡ったのではないかと仮説し、バルサでつくった筏コンティキ号で実験航海してみせます。戦後すぐのことです。約100日で見事、6000キロ以上離れたポリネシアのトゥアモトゥ諸島へ流れ着いた。私が小学生の頃は、この記録『コンティキ号漂流記』は必読書的な立ち位置でしたが、残念ながらヘイエルダールの仮説は否定されています。閑話休題、アメリカだ。おっと、コロンビアだ。

【マチュピチュのグッバイボーイ】

 新大陸に渡った人々は、北米でインディアン、中南米でインディオと呼ばれるようになりました。コロンブスが到達した島をインドの一部と錯覚したことから、そこに住む人々をインド人だと思ったわけです。ほかに、アラスカやカナダにエスキモーやイヌイットと呼ばれる人たちがいます。ただ、呼称は現代社会ではいろいろとややこしいことになっていますので、自分で調べてみてください。


 今のペルーにインカ帝国がありました。南米最後の先住民国家です。13世紀頃に成立したとされ、16世紀にスペイン人に滅ぼされました。このスペイン人たちをコンキスタドレス(征服者たち)と言います。文明人という名の野蛮人で、インカを滅ぼした隊長の名はフランシスコ・ピサロです。その残虐非道は、ラスカサスという神父が『インディアスの破壊についての簡潔な報告』でスペイン王に訴えようとしましたが、かえって禁書とされてしまいました。

 さて、インカの遺跡マチュピチュはウルバンバ渓谷から400メートル上がった標高2300メートルの山の中にあって、20世紀になるまで忘れ去られていた「空中都市」です。今はつづら折りの道ができて、観光客はバスで行き来します。マチュピチュ見学を終えて、バスに乗り込むと、男の子が「グッパイ」と手を振ってくれます。バスはつづら折りを下ります。コーナーに差し掛かると、おや、再び男の子が現れ「グッバイ」と手を振ります。S字をショートカットで駆け下りて先回りしてきたのです。次のコーナーでも、その次のコーナーでも、また。そうして結局、ふもとのウルバンバ川まで見送ってくれ、最後はバスに乗り込んでチップを集めて回るのです。


【コロンブス記念塔@バルセロナ ベレンの塔@リスボン】

【ニューアムステルダム】






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