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スガシカオは「めっちゃナルシスト、でもいいナルシスト」
音楽の話になってスガシカオが好きですと言うと、当時私が片思いしていた女性はそう言ったのだった。「めっちゃナルシスト、でもいいナルシスト」と。その言葉を折に触れて思い出す。ライヴに行った帰りは特にそうだ。
スガシカオのライヴに行って、スガシカオは自分がいいと思ったものに絶大な信頼を寄せていると改めて思った。スガシカオはおもねることをしない。「これ、どうですかね、へへへ」なんて態度を絶対にしない。「これ、いいっしょ。最高の出来」と何のてらいもなく言いきる。
何がスガシカオをしてそうさせているのかと考えると、変わることをおそれない強さにあるように思われる。アーティストとして確立された地位(それと同時に確立されたシステム)を手放してインディーズに戻った時期もある。その頃の気持ちを忘れないようにスガシカオは「Hitori Sugar」というライヴを続けている。
そのライヴではステージ上にスガシカオしかいない。興業も準備も最少人数で行う。スガシカオに全権がある分だけステージ上ではスガシカオの気が向くまま本当に自由に演奏する。アレンジもアドリブも連発であり他で再現されないであろう音楽が響く。
一般的なライヴではアルバムの発表にあわせてツアーが組まれて新曲の披露が中心になる。ファンの側もアルバムで聴いた曲の生歌を期待する。だが、そこでファンが暗に求めているのはアルバムで聴いた通りの音であり歌である。「喉からCD音源」というのはファンのそういった心理を表している言葉だろう。
アルバム発表とツアーというルーティンに閉塞を感じてスガシカオはメジャーからインディーズに戻った。そこから再びメジャーに戻ってきたスガシカオはライヴに来た目の前のお客さんをいかに楽しませるかをひたすら追求している。CDがもはや時代遅れとなり配信中心からサブスク隆盛となったなかで、今そこにいることの価値を最大限に高めようとパフォーマンスする。その気持ちは必ずしもスガシカオのファンという立ち位置でない人にも伝わる。
一番印象的だったのはスガシカオ。所作すべてからオーディエンスを楽しませ、自らも楽しむ気概が伝わった。スターでありながら気のいい営業部長みたいな空気。真夜中の虹という歌の中で「許されるなら君の痛みを僕のレスポールで粉々にしたい」って歌詞があって、これがロックだよなぁ、と。#ビバラ
— せっちん丸 (@OKB460) May 4, 2019
スガシカオの曲の良し悪しを音から語ることはできないが、歌詞をもとにして語りたいことはいくらでもある。なにより私が一番いいと思うのは、スガシカオは生きていることにともなう様々な気持ちや出来事をいつだって歌にしてみせることだ。
「ぼくらは位置について 横一列でスタートきった つまづいている あいつのこと見て ほんとはシメシメと思っていた」kokua「progress」
誰しも耳馴染みのある曲だが、歌いだしからスガシカオはひとをドキッとさせるようなことをさらりと出してくる。「そう思ったらいけないなんてことは分かってる。自分でもいやだ。そうは言っても仕方がないじゃないか」と投げ出したくなるようなことをスガシカオはよく題材にしている。その歌は腐った気持ちをまるで腐葉土みたいにして新たな気持ちを芽生えさせる。
私は毎日じぶんが少しずつ腐っていくような感覚があって、それを上回る新しさがなければ朽ちていく。スガシカオ自身の変わることを恐れない姿勢と行動は、常に新しくなりたいと希求する私にとてもよく響いてくる。「ああ、私がスガシカオの曲を好きなのはそういうスガシカオのスタンスもあってなんだなあ」と実感した。スガシカオがライヴ最後の曲で「まだ見ぬ明日へ その先のストーリーへ どこまでも続く ぼくたちは進む」と歌い上げたことは私にとって象徴的だった。
そのスガシカオは日付が変わった今日2月26日にデビュー24年目を迎える。生きている限り私はスガシカオの曲を聴くだろう。
東京1日目、無事終了…来てくれたみんな、ありがとう
— スガシカオ@ゆるフォロバ (@shikaosuga) February 25, 2020
デビュー23年目ラストを飾るにふさわしい、すごいLIVEだった
特にKey Drが入っての数曲は神だった
これがホンモノのFUNKなのか・・・そんな感じ!もう夢見心地
明日は東京2日目アニバーサリーLIVE、岡野くんも来るし、めっちゃ楽しむぞー pic.twitter.com/9FMqV9utGK