レーシック手術をした日
目の悪さについてあまり不便に思ったことはなかった。
コンタクトレンズを毎朝つけることは日課になってたし、特段見えづらいというものもなかった。
前回のフィリピン出張の時だと思う。
前後の話の流れは覚えていないのだが、60近いおじさんたちと飲んでいた時に目の悪さの話になった。
あまり、記憶が定かではないのだが、誰かが発したレーシックという単語が頭に引っかかった。
それこそ、レーシックという言葉を初めに聞いたのは私が高校生の時だから、すでに10年は前だ。
塾の先生がレーシックをして視力を取り戻したと言っていたのを覚えている。
興味本位で調べてみたレーシックは、後遺症による被害ばかりが目についたのを覚えている。
怖いイメージしかなかった。
もう一度レーシックについて調べてみたのが約1ヶ月前である。
この10年で随分と値段が下がったように見える。技術の向上もあるに違いない。
15万のレーシックによって、生涯にかかるコンタクトレンズ代80万くらいが浮く計算だ。
すぐに品川近視クリニックで手術の予約をした。
当日、病院にはたくさんの人がいた。
我々はベルトコンベアに乗せられたように、次々と種々の目に関する検査を通過し、気づいたら手術室にいた。
検査と手術を含めて1日で終わるのだ。
この人数を毎日手術していたら、相当儲かっているのではないだろうか。
レーシックと歯科矯正は金のなる木である。
手術自体は10分ほどだった。
手術中は目が見える状態で行われる。
時計じかけのオレンジのような経験だった。
目の角膜を切られている感覚は気持ちいいものではなかった。角膜がペリペリと剥がれていくとともに、視界が歪んでいく。
最後に角膜をペロリと剥がした瞬間から世界はぼやけ、頭上の緑のライトしか見えなくなった。
ぼんやりとした視界の中で、映画2001年宇宙の旅のHALを思い出していた。
この光はHALと違って悪いやつじゃないといいけど。。。
そんなことを考えていた。
目の表面をレーザーで焼かれている最中は、目にほのかな熱を感じる。
1分ほどで終了し、角膜が再び目を覆った時には、ぼやけた視界の中に、すでに目が良くなった感覚があった。
再び自分の目でみた綺麗な空は、いつもの空だったけど、ほんの少しだけ、眩しく感じた。
思えば何年も裸眼で空を見てなかった。
年を取れば取るほど、色々と失っていくものだと昔は思っていたが、たまには得るものもあるみたい。