7年前ボツにした小説「魔法のない世界」 p.3
「で、その手紙を受け取ったと」
「ええ。嬉しかったですわ。あのアリス先生が私を頼ってくださって」
来客用の椅子から乗り出して、セラは喜びを隠すことなく言った。
一方でローリエは、頼もしい増援に安堵するのと同時に、少々困惑していた。
ビナエラは学生も厳しいところだ、と事前に聞かされ、彼女の多くの失敗や、講義に関する相談を受けていたこともあった。ローリエは、彼女から聞いていた話からは想像だにしないセラの信頼ぶりに、アリスの優秀さをみた気がした。
「アリスは、どのように授業を?」
「ええ、アリス先生はほぼ何も、教えませんの」
ローリエは、手に持った紅茶のカップを口元で啜ったまま静止した。
「あはは、本当ですわよ。まあそれも最初のうちだけでしたけれど。おかげ様というべきか、私もいよいよ魔女様にお会いすることが許されました。ついに先生や、ローリエ先生と肩を並べることができると思うと、万感胸に迫る思いですわ」
そう言って、彼女は豊かな胸にぐっと両手を沈めこんだ。その様子を見たローリエは、一瞬驚いた表情をしたが、彼女、セラの打ち解けた様子をみて、椅子から気持ちだけ乗り出し、話し始めた。
「実は……訳あって、瞬間移動の法を先に教えるべきと思いまして、そう言いつけたんですが、学生のひとりと、どう接したらいいか、考えていまして」
「そうですか。アリス先生は何とおっしゃっています?」
「いいえ、まだ何も。それに、できる限りは自力で解決したいので」
「そうですか……」
セラは紅茶を啜り、目を伏せた。
「私も、ものすごく反発しました」
「アリスにですか?」
「ええ。それはもう。事実、その当時はクラスで一番出来が良かったものですから。テングになっていました。自分よりずっと小さい子が、先生役をしてるだなんて、おままごとみたいって。いじめみたいなもので、何の理由もない反発でしたわ。でも、アリス先生は冷静でした。まだ幼さの残る少女だと思って、舐めてかかっていましたの。何ておっしゃったと思います」
黙ったままのローリエが、じっとどこかを見つめているのを感じ、セラは返事を待たずに続けた。
「あなたが先生をやって、と言われました」
ローリエは、脳裏に屈託のないアリスの顔を思い出していた。
「本気でしたわ。嫌味でもなんでもなく、教師を代わってほしいと言われました。それはあなたの仕事でしょうと言ったら、じゃあ学生であるあなたの仕事はなんだと、言い返されてしまいまして。忘れていました。魔女協会に属するということが、どういう意味を持っているのか」
「はあ……アリスらしいですね」
「私にとってはローリエさんも、ただただ尊敬に値する人物です。絶対に追いついてみせます」
そう言って、にっこりと笑った。
・・・
なかなか講義に戻ってこないローリエに、エマは苛立ちを露わにし始めていた。
瞬間移動の法など、ほとんどの学生ができる、とエマは言ったが、ビナエラ大学全学中主席のクレアと、次席のエマ以外にできる者はおらず、結果として以上の二人が、代わりに授業を実施していた。それでも、講義時間の半分が経過し、いまだ、最年少のエミリをはじめ、他学生の理解は見られない。
「そう、これは決して簡単ではありません。すぐに出来ることではありませんわ。出来なくても、仕方ないのです」
そう言うと、エマは納得したような表情をみせた。
「クレア、何だか飽きましたわね」
「うん……でも、先生が、あとで熟達を見るから」
「面倒ですわ。できなかったということで、いいんじゃないかしら。これだけ言っても、できないものはできないわよ」
エマはちらりと、教室全体を見やった。
その視線に、室内の学生は、目を伏せたり、気にかけなかったりと、様々な反応を見せる。エマはクレアの返事を待たずに言った。
「では、解散ですわ。私はやることがありますので帰ります」
「エマ、いいの?」
「いいわ。半端な教師に付き合ってなどいられない。私には私のやり方がありますから」
「でも、魔女協会の人だよ」
エマの動きが一瞬だけ止まるのを、クレアは見逃さなかった。
それでも、エマは帰り支度を止めない。何かに駆られるように、彼女はペン入れと講義用のノートをカバンにしまいこんでいく。
「一対一の差し合いであなたに惨敗するような者、私の姉にかなうはずありません。今日は姉が家に帰っていますの。姉に教えを乞う方が数千倍、いや、比較にならないほど有意義です」
彼女は支度を終え、挨拶もなく教室を後にした。がらりとドアの閉まる音が教室に響き渡る。
「……じゃ、みんな、しょうがないから……続きしようか」
クレアのかすかな声が沈黙を破る。主席であり、大学四年目の彼女が一声かけると、ふたたび活気が戻り、学生たちは瞬間移動の法の練習を再開した。
「戻りました。皆さんどうですか?」
それから数分と経たないうちに、ローリエがセラを連れて教室へと戻ってきた。
二人が教室を見渡した時、全員が席を立って、ある者は呪文のような言葉の羅列を唱え、またある者は絶えず唸り声をあげていて、試行錯誤をしている様子が伺えた。
「エマさんは?」
ローリエが問いかけると、嘘のように教室は静まりかえった。
何があったのかと、教室を見回すローリエに、
「帰りました」
誰かがぽつりと言った。
その一言を聞いたローリエの顔を、セラはじっと見つめた。
ローリエは黙って頷き、
「では、約束通り、熟達の度合いをみます。一人ずつ、やってみましょう。まずはエミリさんから」
授業の一区切りでもある、実技試験を始めようとした。だが、ローリエからも、クレアとエマにも何も教えて貰えてなどいないエミリには、瞬間移動の法がすぐにできるはずなどなく、彼女がただ、その場に立って、渋い顔をしたまま、沈黙が過ぎていく。
「難しい?」
エミリは、この場で誰よりも小さく、非力な体を震わせたまま動かない。
「今回は、私が先生を訪ねてしまって、講義の邪魔をしてしまったし、仕方が」
セラがエミリの目をしっかりと覗きこんで、諭すように話しかけた、その時、
「大丈夫、できるよね」
ローリエが、彼女の肩に手を置いた。
・・・
帰宅したエマは、執事の報告を受けていた。
「では、入れ違いに?」
「はい。もうひと時ほど前に」
少し肩を落としたエマだったが、はたと表情を変え、自室に荷物を置くと、
「追いかけてきますわ。まだ夕餉には早いでしょうし」
「そうですか。いってらっしゃいませ、お嬢様」
早々に引き返していった。
平生とは大きく異なったエマの様子に、執事は幼少の頃の面影をみていた。大学へ再び戻り、引き返してくるとあれば、あと三時間ほどはかかる。執事はメイドに耳打ちをした。
「今日はシチューにしましょうか」
ビナエラ大学の近辺に不審者の影が発見されたのは、まさにその時のことである。
はじめは通りを歩く学生が、次に大学の護衛官たちが。無人の教室に響く複数の足音。お互いを呼びあった後、彼らは散会した。大学の広い敷地の中で、複数の影が、何らかの目的をもって徘徊している。その事実を一番早く知ることができたのは、魔女協会の選任講師であるローリエだった。
「あなたで最後ね、クレア」
ローリエがクレアの目の前に立ち、試験開始の合図を出すが、クレアはしばらく棒立ちして、正面の教師を両目でしっかりと見つめたまま動かなかった。
「どうしたの? あなたなら、きっともうできるはずですよ」
「……どうして、そんなに怖い顔をしているんですか」
セラが、隣のローリエを見る。先ほど、面接室で話したときと同じ、柔和な表情。
「え、そ、そうかな……」
そう言って、ローリエはセラをちらりと見つめ返す。何でもないですよね、とお互いが微笑みあう様子を、クレアは瞳だけ動かし、品定めをするかのようにローリエの挙措をじっと見つめる。
「そう……ですよ。それに熟達の度合いを見るって……言っていたのに……先生が、肩に手を乗せて……エミリを、みんなを、先生が、みんなをどこかに移動させていた。先生、みんなを、どこへやったの」
彼女の問いに、ローリエは表情を崩さず、口をぱくぱくと動かし、クレアの肩へ手を伸ばした。
「クレアさん、ごめんなさい。今日は帰るべきよ」
「先生、飛ばさないで。あたし、分かる。何かが近くまで来ている。普通じゃない何かだよ。あたしも戦います」
「気のせいよ。とにかく、今日は終わりです。このまま転移して、帰ってください」
「先生――」
次の瞬間、教室のドアが蹴破られ、瞬間的に距離を詰めた侵入者が、ローリエの背中へ、高速で剣を振り上げていた。
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残ってた部分はこれでおわりです!
あとはオムニバスみたいに時系列もとぎれとぎれでしたので、そっちは出せなさそうです。
お読みいただきありがとうございました。