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超遅めのルイーズブルジョワ展レポ

「攻撃」しないと、生きている気がしない。

すごく身を打たれる表現だけど、おそらくこの展示を見に来ている人は、わたしも含めて、この言葉について、表層的な理解に留まっているように思う。ここでいう「攻撃」とはきっと、フェミニズムの文脈での抑圧への抵抗であり、ルイーズ・ブルジョワの攻撃とは、作品を通じて自分の受けてきた抑圧を変形させて、かたちにすること、だったんだと思う。

わたしは、わたしの受けてきた抑圧の歴史を、文章というかたちに変形させることを、今の人生における目標としている。

下手くそな重たい文章から始まってしまった。ほんとうは軽く、備忘録的に書き留めようと思ってたんだけど、後回しにしているうちに、展示を観に行ってから1ヶ月が経ってしまいそう。
でもわたしの「攻撃」を、納めようと思い、綴ることにする。



「あの蜘蛛つくったひと、ルイーズ・ブルジョワって言うんだ!」
と、
「六本木でやるんだ!」
だけの前知識で旅程に組み込んだ、らこの展示。

まず、蜘蛛ってなに??ってなるかもだよね。
六本木ヒルズにある、全長9メートルくらいのクソデカモニュメント、パブリックアート。

ママン ルイーズ・ブルジョワ 2003(1999)


六本木だけじゃなく、世界に9つも同じ作品(ママン)が存在してるらしい。レプリカ?だね。つないだら賢者の石とかできないかな……?(鋼錬の見過ぎです)

自分はここ5年くらい、街に存在する、なんでここにあるの?みたいなもの、例えばモニュメントとか、変な看板とか、がとても好き。今回の旅では下北沢で、こんなのをみつけた。

下北沢にて、壁にTOKYO IS YOURSと大きく書かれている。


モニュメント好きを理解してくれている友達が2年前に、これ絶対好きだよ!とおすすめしてくれたのが、蜘蛛(ママン)だ。ちなみに今回も同行してくれた。

初めてみたときの感想は、
「めちゃくちゃ好き!かわいい〜!」
だった。観光客なので、自分とのツーショット(?)を撮ってもらい、一時期はSNSのアイコンにしていた。でもただの好きという感情だけではなくて、腹部にある卵の気味の悪さも感じていた。それがこの作品において必要なんだろうな、という根拠のない確信もあった。


展示を開催している森美術館は高層階にある。高速のエレベーターで3回くらい耳抜きをして、コインロッカーに荷物を預けて会場へ。

最終日ということもあって人がとても多い。パニック症状がでそうになり、100%楽しめたという訳ではないけど、今の自分が語れる範囲で伝えることにする。


まず、ルイーズ・ブルジョワ(LB)って誰なの?と思っていたんだけど、1911〜2010、パリ出身、アメリカ合衆国のアーティスト、インスタレーションアートの彫刻家、画家、版画家、らしい。軽く調べただけなので、気になる人は調べてみて。でっかい蜘蛛から彫刻をイメージしていたけど、刺繍や布でできた作品もあった。

展示されている作品はたしか106点、入場の際に、性的な作品、ショッキングなものがありますというTrigger Warning(トラウマなどを引き起こしかねないことを伝える事前警告)もされていた。たしかに、男女の身体やその一部、生殖器などをモチーフにしていることが明らかなものが多く、吐き気を催すような力強さのある作品が多かった。フェミニズムアーティストと彼女自身は認めていない、というような記述があったが、明らかに脱構築を意識した要素が散りばめられていたため、わたしはフェミニズム作品として捉えた。

そんなTrigger Warningが必要な作品たちに囲まれた空間の中に、3歳くらいの子供を連れている2組がいた。一方は泣いていて、そりゃ泣いちゃうよね、大丈夫かな。と思い、もう一方は、
「おそとでたーいー!おうちへ帰るよぉ〜!まだまだまーだ朝だから〜!」
って言っていて、友人と笑いを堪えていた。その場はすごく和んだように思う(ちなみに16時ごろのこと)。自分は名古屋に住んでいるが、美術館に家族で行ったことはないなと思い、これが文化資本の違いなのだろうか、と思うなど。(文化資本という言葉の使い方を間違えている気がする、そこに界はあるんか?)

展示をまわるなかで、特に心を惹かれたのが、ヒステリーのアーチという作品。

ヒステリーのアーチ ルイーズブルジョワ 1993
(この写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利-改変禁止 4.0 国際」ライセンスの下で許諾されています。)

説明を読むと、

頭部のない男の身体が弧を描くように反り返っています。モデルは、1980年から2010年にブルジョワが亡くなるまで、助手として公私を支えたジェリー・ゴロヴォイで、このブロンズ像は19世紀フランスの神経科医ジャン=マルタン・シャルコー(1825-1893)が研究対象としたヒステリーを題材としています。シャルコーは長年、女性の病とされてきたヒステリーを、その研究成果によって男性も罹患する精神病であることを明らかにしました。ブルジョワは「美しい青年の背中を反らせた無理な姿勢」の彫刻をつくることによって、ヒステリーを起こすのは女性のみであるという固定観念を覆します。本作は、無意識下にある精神的緊張のエネルギーが解放される様子を、身体の動きとして提示しています。

〈ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ〉展示資料より

女性のものというイメージがついた"ヒステリー"という言葉を、女性が抑圧されてきた歴史を、男性に背負わせる。
これまで、多種多様な転換によってフェミニズムの歴史は紡がれてきた。クィアの歴史も然り。
ヒステリー、その語源を知ったときには閉口した。ギリシャ語のhystera(子宮)からきている。
かつて、女の病としてヒステリーは描かれてきた。2年前に大学で読んだ、ギルマンの『黄色い壁紙』では、精神科医の夫と乳幼児との関係の中で、精神疾患を抱えながらも適切な医療を受けられない妻が主人公の作品。段々と狂気が増していく女の様子は、抑圧からの解放としても読むことができる。
この作品の妻は、安静を強いられる。書くことをやめるように要請される。でも書くことを剥奪されないために、日記を隠し持つ。剥奪されたとしても、黄色い壁紙を"読み"、同化する。
狂気はきっと、正しいものだと、わたしは思う。



マルゴ・セントジェームズが売春肯定の立場をとるフェミニズム活動家という説明に友人は混乱していた。おそらくだけど、フェミニストは売春を否定するイメージがあったのかと思う。
フェミニズムの根底は変わらないため、どの時代のどの立場にあるかによって、主張は変わるものだと思う。それが反ポルノグラフィであったり、TERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)であったりする。現代での後者の主張について、わたしは明確に否定するが。
しっかりと文献にあたっていないため雑なことしか言えないが、おそらくマルゴ・セントジェームズは、セックス・ポジティブ・フェミニストだったのではないかという理解をしている。
女の性欲についても、ずっと抑圧されてきた歴史がある。女の性の解放を目指すセックス・ポジティブ・フェミニストと、ポルノグラフィが女性に対しての脅威だという立場の反ポルノのフェミニストの間には、1980年代、フェミニスト・セックス戦争と呼ばれる論争があった。その論争の中で、レズビアンやトランスジェンダー、売春婦などが俎上に載った。マルゴセントジェームズの属した立場は、売春婦が犯罪者として扱われてしまうことはよくないとする立場である。セックスワーカーが差別の対象となりやすいこと、セックスワークイズワークという言葉を調べてもらえると、多少は理解の助けとなるのではないだろうか。


C.O.Y.O.T.E、ファム・メゾン、カップル、など心に残る作品がたくさんあって、紹介したかったのだけれど、まとまりのない文章を書き連ねるだけになってしまうことと、自身の記述能力に限界を感じたため、一旦ここでわたしの記録は終わらせたいと思う。
本当であれば、C.O.Y.O.T.Eに関連して、セックス・ポジティブ・フェミニストの、マルゴ・セントジェームズについて調べ、記述したかったのだが、そこまでの力量が今の自分にはないため、また時間をおいてから追記することにしたい。

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