劇場版『ルードヴィヒ』舞台『ケンジトシ』そして『狐晴明九尾狩』
『ケンジトシ』の配信が終わっちゃいましたね。
劇場版の『ルードヴィヒ』も、もう観に行けるタイミングが無くなっちゃいました。
舞台は生ものなので、毎度毎度「円盤化はあるのか?」「TVで放送はあるのか?」とソワソワしちゃいます。
あとは円盤の到着を待つだけの『ルードヴィヒ』
ベートーベンの苦悩の人生。
繊細な音の震えも聴き取れた僕の耳 鋭利に磨かれた宝石を奪わないでくれ
音楽がすべき事は無限にあるのに この耳鳴りが告げるのは恐怖だけ
神よ何故だ何の仕打ちだ 奪われてなるものか絶対!絶対!絶対!
一度聴いただけで忘れられなくなりました。
聞こえなくなって「困る」よりも「恐怖」。
生活に支障が出ることよりも、音楽をやりたい。
「僕の耳を返してくれ!」という慟哭は耳に付いて離れません。
そしてこんなにも母性を刺激されるとは思いませんでした。
ルードヴィヒをぎゅっと抱きしめてあげたくなりました。
ちなみに「聴こえなくてもよどみなくピアノを弾くことはできる」ってサラッと歌ってましたけど、うそんって思いますよね。
とんでもない音感です。
最初にマリーがルードヴィヒの元を訪れた時、聴診器を使ってお話をしていましたよね。
『ER緊急救命室』season2-18話-夜勤-のエピソードで、耳が遠い高齢の患者と聴診器を使って話をするシーンがあったのを思い出しました。
完全に聞こえなくなっているわけじゃなければ、こんな方法も使えるんだと知りました。
今、私はよく骨伝導のイヤホンを使います。
骨伝導って、もしかしたら難聴の方に使えるんじゃ?と思って調べてみたら、難聴にもいろいろ種類があり、一部の方には有効なんだとか。
現代の医学ならば、もっと技術があります。
そんな技術が無かった時代、音楽家でありながら音を失うということがどんなに恐怖だったろうか。
以前、夫とこんな話をしました。
もし、ベートーベンの時代に現代の医療技術があって治療していたら、もっと言えば、難聴になっていなかったらどうなっていただろう。
きっと難聴になる前の曲は変わらずあると思います。
難聴になった後にできた曲は、もしかしたら生まれないのかもしれない。
でも、その代わりに別の名曲がたくさん生まれていたのかもしれない。
そんなパラレルワールドがあるのなら見てみたいと思いました。
そして、配信が終わったばかりの『ケンジトシ』
「サッパリワカラナイ」から始まって、劇場・配信・アーカイブと、もう数え切れないほど観ることができました。
ありがたい限りです。
何度も観ていくうちに、「ワカッタ!」と言い切れなくとも『ケンジトシ』の世界観に浸ることができました。
倫也氏のインタビューで「ワカラナイから面白いと思って受けた」って聞いた時、相変わらずの変人発言だなと思いましたが、今はその面白さが伝わって来た気がします。
シス・カンパニーさん、円盤化の期待薄なんですよね。
でも、WOWOWで放送の予定があるとのうわさ。
これは契約して録画&保存しないと!ですね。
最後に『狐晴明九尾狩』のWOWOW放送がありますね。
内容が円盤と違う編集らしいので、こちらも録画必須です。
さて、『ケンジトシ』の上演・配信・アーカイブと『ルードヴィヒ』の上映と『狐晴明九尾狩』放送の情報が重なって沼女のみなさん大忙しでしたね。
日付が変わって今日は東京千穐楽ですし、間もなく大阪の公演が始まります。
東京と大阪のキャパが違い過ぎて、どう変化するのか楽しみなんですが、行ける日が無い!ということで無事の完走を祈りつつ、大人しくお仕事してます。