「女盛り考察記」考察記

テキトーに見ていたこのYoutube「女盛り考察記」の番組が面白い。

なんかショートドラマと、ショートドラマの設定の解説みたいな動画が交互に上げられていて、私は本編っぽいショートドラマより、ドラマ設定上のテーマ討論しているこっちの動画のほうが好きで見ている。

なぜかタイムマシーン3号の山本さんが出ているのも謎のキャスティングで面白い。

最近、ホストに貢いで飛ぶ若い女性が問題になっているらしい。なんというか、私にとっての社会の理想と世界の現実があまりにもかけ離れすぎていて、困惑するばかりではある。

”推し活”なんて言葉もあるが、自分が貢いで、貢いだ相手の人生が向上していく様子を見ると、貢いだ側も自分の夢が叶ったような感覚になるらしい。

カネがない生きていけないというのは理解できるが、身体を売るまでしなくても生きていける手段はあると思う。ましてや、それが自分のためではなく、他人の夢のために身体を売るのだから、女性は強いというか、仕事が続けられない私に言われる筋合いはないだろうが、本人たちは意外とそれを望んでいるということもあるらしい。

簡単に言ってしまえば手っ取り早くお金を稼げるので、それでいいらしい。そのようなお店に所属するより、自分で道端で立っていた方が、待機時間が少なくて回転率が良いらしい。ここまでいくと、経営とかマーケティングの勉強にもなる気がする。

確かに一発1万5000円だとしたら、一日二発やれば3万。3万をなら週4でも月48万くらいにはなる。

そんな借金まみれになるなら、ホスト行かなかったら良いだけの話やん。で終わってしまうのだが、借金を作ってまでその人を愛しているのかと思ったら、案外そういうことでもないらしい。

見栄というかプライドというか、自分がどれだけホストに貢いでいるかで、女の格の違いを見せつけるような戦場にもなっているらしい。キャバクラであれば自分の権力を誇示するかのように、めちゃくちゃ貢いでいる男の人もいるかもしれないが、それが女性でもあるというのは新鮮だった。

そしてなぜかカケにして女性が風俗で借金を返済して、女性が身体壊すか何かで女性に返済能力が無くなって飛ぶと、売掛けだったホストも飛ぶらしいのだが、よくもそんな面倒くさいことをする気力があるなと思う。

日本人というのは、あんまりカネ目当てで働かない民族だと思っていた。それは、低収入でも10年20年働く人がいたり、なぜかわからないが仕事を辞めることが悪いことのように吹聴する人が多いからでもある。

でも最近は若い世代から、環境が悪かったら辞めるという感覚が育ってきて、それが屈折してナントカハラスメントの主張ばかりが横行している感もある。

最終的に信じられるのは、自分とカネが全てみたいな感じになってきているんだろうか。そんな雰囲気が最近すごい感じられる。

理由の一つとして「友達いないんですよ」の人が正義になってきているムードがある。別に友達なんか、いたらいたでいいし、いなかったらそれでいい。くらいに私は思っているが、なんというか昔で言う「陰キャ」の方がマジョリティみたいないびつな構造になってきている。

人間の社会生活を送る上では、社会不安が大きいほど、カネに依存するケースが大きいようにも思える。それは誰でも貯金がたくさんあれば、生きやすくなるし生命維持への不安も減る。

個人的に人間の中には「何が何でも生き残ってやる」と思う人と「やりたいいことが出来なければ生きなくても良い」と思っている人がいるような気がする。大概は前者なのだが、仕事を選択する上でなかなかこの2択が影響しているようにも思える。

売春というのは、駄目で駄目でカタギの仕事に就けないから最終的にやるものだと私は思っていた。だが、現代だと案外そうでもないらしい。守りとか消去法というわけではなく、積極的に攻めの姿勢で売春しているように思える。

確かにパパ活というのも普通に一般認知されている。それをビジネスと考えればそうかもしれないが、それならしっかり顧客から受け取ったものに対して納税する義務もあるだろう。

ホストやキャバクラというのは、欧米ではあまり見られない。アジアにはあるのかもしれないが、なんとなく日本発信でアジアの諸外国へ広まっていったような気もしないでもない。

欧米の人から言わせると、なんでただ話して酒飲むだけなのに相場の数倍も値段を支払うの?みたいな、理解できない人が多い。むしろ、私の価値観もそっちの人寄りではあるが、なんだか不思議な文化ではある。

かといって日本人は散財する文化があるわけでもない。ただひたすら貯金する人も多い。お金を大切にしているのかと思えば、オレオレ詐欺に引っかかるような人もいるし、変な保険や投資商品を買う人もいる。結局このような文化はマネーリテラシーが低いのか高いのか、あまりよくわからない。

ただただ不安だからお金を使わないし、不安だから何でも良いから手っ取り早く稼ぎたいと言うことなんだろうか。

人間の価値は金に置き換わりつつある。改めて考えてみると、そういう考え方からは逃れられないのかもしれない。

収入が安定している人が結婚しやすい。それは誰も疑う余地はない。そりゃあ貧乏で苦労するような人と一緒にいたいとも思わないし、将来の不安は増すに違いない。自分がなにかに選ばれるということに、金が付きまとう。

かといって、ものすごい富裕層だからといって結婚生活や人間関係がうまくいくものでもない。金というのは、あくまでも導入というか、入試みたいなもんで、学校に入ってからどうなるかは本人次第みたいな感じだろうか。

個人的に金に頼りすぎている社会というのも、どうなんだろうと思ったりする。田舎が良いというのは、金に頼りすぎず住民たちのコミュニティで、損得勘定が別の価値観に置き換わっているからだと思う。生活コストが安ければ、将来の不安もいくらかは減っていく。

世の中が便利になるにつれて、あらゆるものがカネに代替される。だが、カネを支払ったからといって、人間の能力がどんどん飛躍するわけではない。人間にできることは限界はある。

そのような犯罪まがいのことに手を染める人もいれば、精一杯もがき生きている人もいる。楽しく安定して生きている人もいれば、安定から落ちた人もいる。

私の同年代の人たちの様子を見ると、本当に様々というか、いろいろな人がいる。いろいろな人の思考があって、いろいろな人生がある。私が思っていた正義など、簡単に否定されているような感覚にもなるし、自分も何も正しい行いをしてこなかったんじゃないかとさえ思う。

この歳になると人生の目的みたいなものが見え隠れする。恋愛を主軸に結婚相手が欲しくてたまらない人もいれば、そんなことをお構いなしに働いている人もいる。働かずに家でじっとしている人もいれば、海外に住んでいる人もいる。

何かやりたいことを達成するために人は生きるモチベーションを持っているんだろうが、自分にはそれを達成できる気概というものがない。

たとえ犯罪に手を染めても、自分の応援するホストや好きな人に振り向いてもらいたいみたいなモチベーションもない。かといって、カネが欲しくてたまらないから、四六時中働くという人間でもない。

熱の方向性を間違うと犯罪になるのかもしれないが、熱がない人間というのは、本当につまらないし魅力のない人間だなと思う。

一体自分がこれまで何を成し遂げてきたのか、何に向かっているのか、いい年してまだそんなこと言ってるのか、恥ずかしくなってくる。

失敗してもいいから思い切ってなんかやってみようとか、そういうモチベーションを失ったら、人としてはもう出涸らしみたいなもんかもしれない。



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