人間はロボットになるのを目指している
仕事ができる人と言いがちだが、仕事で求められる能力は、簡単に言い表せるものではない。
最近は生産性、生産性、と言われるが、実際に生産性という言葉が似合うのは機械やロボットのほうだろう。
人間にはいろんな仕事があるが、人間がやるべき仕事は多くのものを素早くこなしていくような仕事なんだろうか。
記憶の容量では人間と機械では、機械に勝てるわけがない。仕事の正確性も違う。疲労も人間と機械では差があるし、コストも人間より機械のほうが長期的には安いはずだ。
機械に仕事を奪われてしまうという表現をするが、よく考えてみると、機械が増えたことで生まれた仕事もあると思う。
奪われた仕事もあれば、新たに生まれる仕事もある。それは蒸気機関車が電車になったように、石炭をスコップで放り込む人はいなくなったが、その分少ない人数でも快適に電車が走行できるようになったといえると思う。
世の中において仕事は1つではない。今の時代ならインターネットがあるので、仕事も簡単に見つけられる。地理的に離れていても履歴書をメールで送れるし、人とビデオ通話で話すことも出来る。
もちろん仕事の全体量が増えただけで、自分のやりたい仕事や得意な仕事が増えているとは限らないし、便利になっていくとおもいきや、単純な肉体労働よりカスタマーセンターのようなストレスのかかる仕事が増えている気もする。
どんな仕事が向いているかは個人によって違うとは思うが、やはり一日中座ってパソコンをずっと見ているような仕事は健康的とは言えないし、多少なりとも身体を使う仕事のほうがリラックスできるとは思う。
肉体労働で億万長者になるには、スポーツ選手のようになるしか無いと思うが、やはり高度な技術やアイデアを持っている人間は高収入に繋がりやすい。
そういう意味では、高度な技術を持つ人間が市場では求められている。今までできなかったことが出来るようになることが求められているし、これから未来へ向けての問題を解決できるような人が求められていると思う。
ただ、どうしても生産性と聞くと、ロボットのような素早い計算や処理速度が速いイメージを抱いてしまう。
人間らしさが欠落しているというか、ただ速くて正確であることが求められている気がする。
それならば、人間がやるべき仕事はなんだろうか。
単純に考えれば、機械に出来ない仕事を人間がやるべきであると思う。
人間はミスをするし、言われたことを言われた通りにやらない能力もある。忘れるし、疲れる。歳を食う。
人と協力することもできるし、協力できないこともある。利害関係で能率が落ちることもあるし、上る可能性もある。報酬の減少でモチベーションが下がることもある。
生産性が上げることは、これから機械に置き換わると思う。人工知能であったり大規模な設備により大量生産が低コストで可能になれば、ほぼ人がいる必要はなくなっていくと思う。
この仕事は手作業じゃないと出来ないんですよ。という町工場の職人もいるだろうが、多分機械が発達すればできるようになると思う。
ただ、それは機械で作ったものが人間と同じということではなく、人間が機械レベルで精巧な作品を生み出せるという付加価値のようなものが付くと思う。
単純に労働時間と利益や売上だけで考えれば、同じ商品であれば大量に作って、大量に売れる手段を考えるべきだと思う。ただ、サービスや商品の受け取り手が人間である以上、様々な感情が生まれるし、様々な価値観の変化で付加価値も生まれる。
人間のために何かを生産する以上、何が価値があるかという点は、世情や社会のムードによって変わる可能性がある。
プラスチック製品が環境の観点から控えられるように、プラスチック製品の生産性が上がることをネガティブに捉える消費者もいると思う。
そうなると、単純作業の生産性が上がることへの、社会的な価値そのものがマイナスになる可能性もある。
大量生産は大量のゴミを生むし、より高度な生産性が求められる可能性がある。規模が大きくなるほど、人間が生産性の波に飲み込まれることになるし、そこから抜け出すには機械に任せて、人間は人間らしい仕事をするべきだと思う。
そもそも私は、人間が無理して働く必要はないと思っている。
テクノロジーの進化はワクワクするがマイナスの影響が生まれるならこれ以上拡大化しなくてもいいと思っているし、高いビルを崩して、また高いビルを新たに建てる必要もないと思っている。
捨てるほど物があるのに、それを普通に無駄に捨てないように広く行き渡らせるシステムを作ればいいと思っている。矛盾するようだが、それにはテクノロジーが必要だろう。
人間は想像したり、何かを創作したり、ストレスを減らすような生き方をするべきだろう。
今回のコロナの自粛期間で、暇潰しがてらに、何か自分が好きなモノを見つけられた人もいるかもしれない。それこそが人間らしさである気もする。
仕事を金儲けの手段と考えて、生産性という言葉がいかに金を生み出すかということに焦点が当たっている以上、今後も私達の生活は便利になるだけで、貧しい人が救われたり、ストレスが解消されることはないかもしれない。
金儲けをするには、ストレスは付き物で、それに耐えられる人間が有能な人間だという考え方もあると思う。
それは一理あると思うが、そこまでして金を手に入れて、何か世界が変わるのか考える必要もあると思う。
もちろんストレスという言葉が曖昧で、自分の努力で目標まで壁を打ち破るストレスなのか、単純に労働に搾取されるストレスなのか、虐待でもパワハラでも、いろいろな表現でのストレスがあるとは思うが、モチベーションが上がるストレスならまだしも、病気になるようなストレスは良くないと思う。
金を稼ぐことに集中して、非人道的な経営であったり、ストレスという概念が自分の中で生まれないほどサイコパスであれば、大金を稼ぎやすいとは思うが、それが果たして良いことなのかは謎ではある。
金を生むために今やる必要があるのか、社会を救う為に必要なのか、私達の多くは前者でこれまで進んできたと思う。
戦後焼け野原から日本は復活したという表現をするが、その時の日本人は生活も貧しくて、自分の生活はもとより、多くの人達を救いたいというようなモチベーションがあったと思う。
最近でも、もちろんそういうビジネスをやっているところはたくさんあるが、やはり経済の隙間を突いたセコいビジネスもありふれていると思う。
生活するには金がいるが、金を稼ぐために自分たちの人生はあるのだろうか。生産性を上げると言っても、どこまで生産性を上げれば満足するんだろうか。
生産性をいくら上げても、国民がパニックで買い貯めをすれば、すぐに全国で欠品してしまう。
人間に出来ることは、これから「生産性」をどのようにコントロールして、社会を効率的に回していくかということだと思う。
それには多くの人の意見を再現できるリーダーシップが必要であるし、日本にはまさに求められていると思う。
そのリーダーシップまで機械にコントロールしてもらうのか、人間が行うのかはわからないが、多くの人達の意識を変える必要はあるかもしれない。
金を生み出さずに、多くの人に便益を与えるような構造を将来的には作れるだろうか。社会のシステムはどうあれ、貧困が生み出される構造は変える必要がある。
今の社会構造であれば、人間がロボットになることで大きく金を稼げるかもしれない。それはその人の立派な技術だし、需要がある人間というのは素晴らしいと思う。
ただ、社会全体がロボットになることを目指すのではなく、大きく社会をどのようなものにしていくかデザインを考える必要性もあると思う。
人口減少に加え、社会変化で多様な価値観が生まれる日本において、金に操られる人間だけでなく、金に代わるほどの生きがいを、人間は見つける必要があるかもしれない。
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