人生を年齢で区切る意味
よく「20代でやっておくべきこと」「30歳になるまでにやっておくべきこと」的な本がある。
私は大学生の頃に20代の内にやっておくべきことみたいなものを読んだが、ありきたりな事ばかり書いてあって、特に為になるとは思わなかった。為にならないことはかいてないのだが、いかんせん具体的ではないので、目の前のことを頑張るくらいしかなかった。
自分は特に年齢を意識して目標を設定したり、焦って生きてきたつもりはないが、この歳になると何かを諦めたりしなければ、人生がうまく行かないことが多い。
男性なら何の問題もないが、女性の場合は身体的に若いほうが子供を産みやすい。そういうことを考えると、女性は計画的で、結婚を焦るのだと思う。男性の場合は、50歳でも60歳でも子供を作ることは出来る。ただ、子供が成人するまで元気で生きていられるのかという不安もある。
そもそも私は計画を立てるのが嫌いである。嫌いな理由は何度も書いているが、計画を立てたところで外部環境の影響で自分の努力の見通しだけで達成できない可能性が十分にあるし、計画を立てた時と自分の気持ちが大きく変わっている可能性もあるので、その場その場で考えている。
人生で確実なことは生まれてきたら100%死ぬということしかない。そしていつ死ぬか現代医療では今の所わからない。最近は卵子や精子を凍結したり、人間自身を凍結させて、100年後の未来に解凍してもらうパターンもあるらしい。
私が好きなSF小説のプロジェクトヘイルメアリーでも、初っ端の宇宙船のシーンは、冷凍から目覚めるシーンだった。でも、記憶が断片的に飛んでいたり、他のクルーは全滅していたりした。
昨今はAIの発展で、人間ができることと、人間がやらなくていいことがハッキリしてくると思う。人間の働き方も圧倒的に変化するかもしれない。
人間はいつまで楽しくないことをやるんだろうか。楽しくないことで人生の時間を浪費させることを普通にできる人間が周りに溢れている。それにすごく居心地の悪さを感じて、生きづらくて仕方がない。
かといって熱中できるものも見失っている。これが一番の問題だと思う。結局、そういう人間には何歳で何をやるとか言っても仕方がない気がする。
自分が何のために生きているのかわからなければ、生きている充実感もない。将来が不安というより、このまま生き続けることに不安を覚えるというか、自分の人生が本当に空虚で価値のないものにしか思えない。
お笑い芸人になって、大金を稼いで変なことをいって人を笑わせていれば、充実した人生だったんだろうか。そう勘違いしているかもしれないが、実際はどんな仕事でも結局変わらないのだと思う。
自分の中に何もない人間が、何か仕事を変えたからといって急に何か充実するわけでもないだろうし、目的もないのに熱中することもないと思う。
それがすごく不安を引き起こす原因になっている。子供を育てるとか、愛する人を守るとか、自分の一生涯かけて達成する目標に向かってるとか、前人未到の何かを成し遂げるために生きてるとか、そういうことがあればよかったのだが、何も見当たらない。
経営のセンスもなければ、踏み出す勇気もない。ずっと現状維持、それが停滞で下降。何も満足できず、不安で努力もできずにいる。成功体験がないので自信もなく何も湧いてこない。
年齢によって何かを達成するとか、そういうものに向かっていけるスタートラインにも立てていない人間が、そこまで考える余裕がないということだろうか。
自分にとって何が大切かと、ずっと問いかけている。きっと金を稼ぎたいとかそういうモチベーションは僅かながらにある。でも何かに耐えていく気力がない。その訓練は20代でしておくべきことだったのかもしれない。
東京でそこらじゅうを歩いている人は皆、こんな地獄みたいな環境に耐えながら生きてるんだろうか。だからこそ経済大国になったともいえるかもしれないが、結局今はそれで満足した人は増えたんだろうか。
ここのところ、経済が復調してきてようやくデフレのどんよりムードから抜け出せるかもしれない。きっと世界的にも景気が良くなりつつある。景気が良くなれば、人を沢山雇って、給料がどんどん上がって好循環になると思う。
それで自分の生活やマインドも向上すればいいが、その恩恵を受けられる人が限られているとしたら、また格差が拡がる原因にもなるかもしれない。就職氷河期世代と言われる年代は、1年違えば天国と地獄くらい違ったような事をよく言う。
それでも、自分はそこから抜け出せたから良かったな。と、地獄に落ちた人を見て安心感を得るのもどうなんだろうか。こんなことを考えていても仕方ないのだが、虚しさの方が勝ってしまう。
最近、1ヶ月の早さが異常すぎて、自分の人生は本当にこのまま終わってしまうんじゃないかと思うくらい不安になる。
何か自分が満足行く結果に自分の人生は辿り着くんだろうか。芸人の話で、「全く売れる気がしなかった」とか、そんな結果でもテレビで活躍している芸人もいる。
だが、自分には芸もなければ、何に向かって生きてるのかもよくわからない。とりあえずそれっぽいことを始めてみても、全く身にならないし、文句と愚痴しか出てこない。
周りの人が普通に出来ることが何も出来ない。社会に出るのに必要なことが、何も備わってない気がする。かといって周りの人の様子を見て、自分がそうなりたいのかというと、そういうことでもない。
自分がそうなっても、きっと今の絶望から抜け出せるものではないと想像ができる。
とりあえず笑って過ごせるような生活水準まで、自分の気持ちを持っていきたい。何もかも面白くないとぶーたれてるだけでは、進歩もないしおそらくもう本当に人間として何にもならずに終わると思う。
これからもう面白いことが起こらないんじゃないか、だとしたら生きてる意味あんのか、と、ぐるぐる余計なことを考えてしまう。
自分に何が出来るんだろうか。多額の借金を抱えて、もう必死に自分の人生を仕事に打ち込むくらい追い込まれれば、自分の考え方も変わったのかもしれない。死にもせず、生きることもせず、自分は今何をしてるんだと考え続けて、何もしていない。
自分の周りがどんどん変化していっても、自分だけが取り残されているような感覚がずっと続いている。これから自分の身に何か起こるわけでもなく、何かを成し遂げようとしているわけでもない。
ただ、傍観者のように自分とは関係のない社会が動き続けて、自分だけが変わらずに同じ場所に留まっている。肉体的には歳を重ねるほど老いる。だが、自分の中身は何も変わっていない。ずっと地獄のまま在り続けている。
普通にマトモな大学を卒業して、普通に就職していたらこんな感覚にはならなかったのかもしれない、と思う一方で、どんな人生を歩んだとしても、この地獄にハマったんじゃないかという謎の確信もある。
年齢による変化などではなく、幼少期からの社会に対する疑問や違和感が拭いきれずに、生きるしんどさが顕在化したのだと思う。そこに自分が何をしてどう生きていたかなど、あまり関係がないかもしれない。
そのような意識から、何か熱中するものがあれば気を紛らわせることは出来るかもしれない。それをしないと、おそらく私の精神的に数年も持たない気がする。それを何歳になるまでにやるか。ということだろう。
自分にただ向き合い続けても、自分が破滅するだけで、何も面白いことは生まれない。ただ自分が無能なだけで、何の役に立たない人間だと自覚するだけで、社会と自分の混ざり合えない感覚を慰めるだけで何も変わらない。
たまたまNHKをつけてみたら、美輪さんが不倫してしまった主婦の悩みを聞いていた。別にその悩み自体はどうでもよかったが、こんなどうでもいいことで悩んでいる人もいるし、そんな人でも普通に生きてるんだなと思った。
三輪さんは正負の法則という、言ってしまえば「人生楽あれば苦あり」と説いていた。自分の人生にも楽しい時期はあった。それがかなり人生の前半に集中してしまったばっかりに、後半が負でしかない。炭酸が抜けたコーラのように、まるで価値がないものを惰性で飲んでるような気分になる。
正負がいつか転換するんだろうか。自分にはそうは思えない。そう思える人も世の中にはいないかもしれない。今まで良いことがなかった人間に、「きっといいことあるよ。」という励ましは、全く役に立たない。
そう励ませる人は、別に悪いことをそこまで悪いことと受け止めてこなかったんだろう。40代で人生の8割が消化されたとしたら、30代はきっと重要な時間になる。正負の間で、自分はどう生きるのか。生ききれるのか。