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物語る人々のための修辞法①黙説 のための、前置き



「語る」ためのシリーズを「語らない」ことから始める…?


はい。私には、とても意味のあること。

『物語る人々のための修辞法』は、黙説(レティサンス、言葉の脱落、言わないこと)から始めたいと思います。

紙幅は限られています。

文章は前から後ろに、文字ごとにしか進みません。

しかし、物語はそこに生き生きとあり、少なくとも、生き生きとしてある、そのように、あなたは物語りたいはずです。

書くことのなんと、もどかしいこと…どうすれば「これ」を物語れる? 

…書き手には、身近な悩みですよね、ええ、書き手の皆さんはきっと、ご存知でしょう、物語は文字の連なりではない…物語は、文字の連なりの向こうに、非常に特殊な在りようでもって、「ある」ものです。

あなたが書いた人物はそこに「いる」。

人物が見る風景はそこに「ある」。

あなたが物語るために並べたその文字は、物語のほんの一部でしかない。…ですよね? 私たちには分かっています、本当に、というのは現実に、物語世界があるわけでも、人物がいるわけでもない。けれども、確実にあって、いて、私たちはその存在を、知っている。

そう、そこに文字があるようなありかたで、物語があるわけではないのです。言葉を強めてみると…物語るために書き手が心を砕くべきは、文字の使いかたではむしろなくて(物語に対して文字の占める割合の、なんとまあ、小さなことでしょう)、文字しか道具がない状態であるにもかかわらず文字以外の領域をいかに使うか、つまり、いかに雄弁に黙るかだとさえ、私は思っています。

雄弁に黙る…撞着でしょうか。けれども例えば、

乱れたシーツが、情事の激しさを物語っていた。

という「物語る」に、言葉があるでしょうか? そう、物語は言葉によってしか示されませんが、言葉によって語られるのでは、ないのです。

どうでしょうか…。

「物語ること」の端緒が、掴めてきました…? 

では…まずは、言葉のない世界へ…私は水先案内には頼りないかもしれません、だから、どうぞ一緒に、足を踏み入れてください。

今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。