醜くて無知で幸せだった前世のお話

前世療法に限らず、カウンセリングやセラピーを行うときのカギのひとつに、セラピストとクライエントの信頼関係があります。これが成立しているとしていないとでは、セッションの成果がまったく違うこととなります。
ほとんどのケースでは、選ぶのはクライアント側です。信頼できるセラピストなのか、まずは体験セッションを受けてみるという方法もありますが、ただではないので、勇気を要する方もいらっしゃるでしょう。私もそうでした。
幸い、今は情報を簡単に迅速に取得できます。私はKindleを愛用していましたので、そこで前世療法やヒプノセラピーに関する書籍を読み、後の師となる方を見つけました。
Youtubeやブログで情報を公開している方も多いので、そこから探してみるのも良いかと思います。

さて、前回のセッションで手応えを感じた私は、その後継続セッションを申込みました。
最初の前世体験は他所で行ったものですが、それを含めて、3つ目の前世となります。

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一面の焼け野原。崩れた建物の残骸に、熾火が燻っています。
天災か人災かはわかりません。私は怒りと悲しみに押しつぶされそうになりながら、破壊された街の中に立っていました。

私は若くはない女性でした。背を丸め、子どもように小さく、細い首に大きな頭がのっていました。ぼさぼさの髪を結うでもなく、くたびれ果てた貫頭衣のようなものを引きずるように着ていました。
皮膚はあちこちにたるみ、大きな鷲鼻の目立つ顔は、カートゥーンに出てくる森の魔女のようにしわくちゃでした。

私の傍らには5歳くらいの男の子がいました。子供らしい溌剌さはないものの、目の奥に強い光を宿していました。

「この子は長男だ」

私はその子を、現世の長男の過去世だと感じました。

私は男の子の手を取って歩き始めました。
男の子と私の間には、血縁は感じられませんでした。この災害で身寄りをなくした子どものようでした。

喋れないのか、本来無口なのか。男の子と私は、ひとことも言葉を交わしませんでした。

ただ、手を繋いで歩いていました。

道の傍らで横たわる人、うずくまり、両手に顔を埋める人。生き残ったものの、どうしたらよいかわからず、また気力も果てた人々がいました。

男の子と歩いていった先に、白く輝く男性がいました。
男性は広場の中心で、人々に呼びかけていました。力を合わせて、生活を取り戻そう、と。

やがてその男性を中心に、コミュニティができました。私と男の子も、そのコミュニティの隅で生活をはじめました。

寝て起きて食事を取り、人々と交流し、自分のできることをする。

そんな当たり前のことを、少しずつ取り戻していきました。

私は明らかに異質とも言えるような風貌をしていたにもかかわらず、それを理由に迫害されることはありませんでした。文化的な理由なのか、本人が気づかなかっただけなのか、私を傷つける人はいませんでした。

災害で住むところを追われたり、身内を亡くしたりした人たちがあつまり、コミュニティは大きくなっていきます。そんななかで、コミュニティ内で分裂が起きました。

大国の庇護下に入ろうという一派が起こり、コミュニティのリーダーと対立したのです。
私は二人の男性が言い争うのを見て、ただ怖いという感情がありました。私には知識がありませんでした。おそらく読み書きもできなかったのでしょう。世界情勢や政治的なパワーバランスなど、説明を聞いても理解できなかったのだと思います。
ただ、私の目には、対立派の中心人物が、赤々と燃えているように見えました。コミュニティのリーダーは初めて見たときと変わらず、白い光を放っていました。

私はリーダーを信用していましたし、尊敬もしていました。それでも再び男の子の手を引いて、今度は対立派についていきました。
理由はわかりませんでした。なぜなら過去世の私は、将来のリスクを考えられる材料、すなわち知識を何一つ持っていなかったからです。損得勘定で行動できたとは思えません。

やがて大国の庇護下に入った私達は、寝て起きて食事をとり、人々と交流し、自分のできることするという生活を続けることができました。
私は幸せでした。醜くても、知識がなくても、生きていることが幸せでした。

小さかった男の子は、勉強して、成長し、対立派の中心人物だった男性の補佐をするようになりました。
私達は相変わらず言葉を交わすことはありませんでしたが、家族のように生活をともにしていました。

やがて年老いた私は、自宅の台所で倒れて、そのまま息を引き取りました。
男の子は立派に成長しましたし、思い残すことは何ひとつない一生でした。

セッションは死後の世界にへと移り、前世の私はその人生で関わりがあった人たちと再会します。

男の子は誇らしげに笑うだけで、相変わらず無口でしたが、それだけで私は涙が溢れました。

言葉で伝えられなかったことを悔やんでいた前回の棟梁だった前世とは一転して、言葉がなくても満ち足りた人生だったことは恣意的でした。

また、当時の私はリスク管理とマルチタスク、タイムマネジメントを実生活と職務に必要不可欠としていましたから、その本質と向かい合う必要があったのかもしれません。

最後に前世の私からメッセージを受け取り、統合してゆきます。

前世の私は

「みんなを幸せにしてね」

と言いました。

スピリチュアル的な考え方では、周りを幸せにするには、まず自らが満たされた状態になることが前提です。
当時の私はとても満たされたとは言えない状態にありましたから、この言葉を額面通りに受け取ることはできませんでした。
しかし、私の性分としては自分ひとりで幸せになることは不可能でした。周りが幸せでないと、おちおち幸せになどなれないところがあるのです。ひとりだけで美味しいものを食べていたら、なんだか後ろめたいじゃないですか。
だから、私を含めて「みんなを」幸せにするという意味だと、私は受け取りました。

※※※

前世療法は、自分の潜在意識とアクセスするためのツールでもあります。
セッションで見た前世が本物かどうかということは、セラピーの本質からいうと、正直意味がない場合があります。
肝心なのは、見た前世から、今の自分に必要なメッセージを読み取ることです。自分の中に見つけた答えが、あなたを癒やし、変容へと導いてくれます。

ですので、私が見た前世についてやその解釈を言葉にしてみても、私の内側で起こっていることなので、どのように読み手のみなさんに伝わっているのかわからないし、よくよく考えれば少し怖かったりもするのです。

ただ、もし、今の自分を変えたい、苦しみから解放されたい、よりよい自分になりたいと思っている方の、一助となれば幸いです。

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