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さざなみ

映画『さざなみ』を8年ぶりに観た。
8年前、観終わってすぐ興奮をおさえきれずにSNSに記録しておいたのだが、数年経て同じ映画を観るというのは、なんだかタイムカプセルを開けたような気持ちになる。

映画は「ラスト15秒の衝撃」と謳っているだけあって、初めて観た当時、そのラストシーンに雷に打たれたようになった。

さて、2回目。
もはやショックなど微塵も受けなくなっていた。予めストーリーを知っているからという意味でなく、裏切られたような気持ちにならなかったのだ。すべて、順当、妥当。当然のなりゆきだと思った。賛否はあろうが、いまの私はこの映画を「夫婦の崩壊物語」だとは思わない。

45年連れ添ってきたとしても、
互いに余生の方が短くなってきたとしても、
相手に一歩譲った方が楽だったとしても、
一人の人間として、さてどう生き死にするのか。
その大事な選択だけは、何を失ってでも、決して譲るまい。
これはとある婦人の「生き様」の映画なのではないか。

原題は『45 Years』。個人的には原題の方が好きなのだが、まさにこの45年という歳月、その膨大な質量こそが、夫婦をわずか6日で破壊してしまった。
その破壊力と崩壊速度は、連れ添った歳月に比例するのではないかと、「絆」の反対のようなことを考えた。
45年という歳月の、鉛の鉄塊振り落とすような暴力性に、ひたすら戦慄する映画でもあった。


何年後かに、また観てみようと思う。


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