りゅうちぇるの自殺から考えるLGBTQ、人種差別

別にファンでも、LGBTQを斡旋してるわけでもなんでもない私の考えね。

自殺者が世界一多い日本。経済状況もそんなに悪いわけじゃないのにどうして?と考えさせられる。

言えない環境、従う環境、溜め込む環境、それに打ち勝つキャパシティーがない人たちは負けてボロボロになっちゃうよね。
まずオナベ、とかオカマ、って侮辱する言葉、決めつけたがる言葉、周りがジャッチするような言葉、は、社会からデリートしていいのではないか。
例えば一昔前までは「障害者」だったよね、いまは「障がい者」と表記するところがほぼになったと思うけど。「害」って言葉を人に向かって使うことはなんか悲しいよね。「子供」も「子ども」と表記するようにと、保育士学校にいってるときに教えられた。「供」は、供える、ていみじゃん。「子ども」も一人の人間として権利があるように。なぜ決めつけたがるのか、言葉って相手と自分を繋ぐコミュニケーションのツールの大きな一部だけど、それが自分の言葉に当てはまらなくなったり、世間からはみ出ると、叩かれて、どうしてそんなことするのか?あなたの考えに、そうして私が当てはまる必要があるのか?

りゅうちぇるの話に戻ると、「男なの?女なの?」ってインスタのコメントみたことあるけど、それはあなたが決めることでもないし、別に決めなくても、一人の人間として生きてるんだからそれでいいじゃないか、と思ったりもした。二人親がお父さんとお母さんな必要はどこにもないし、ママが二人でも、パパが二人でも、御飯作って育ててくれたら、親は親じゃないか。そうじゃない?

自殺したのはそれだけが原因じゃないのかもしれないけど、そうやって相手の違いを受け入れられないことや、性別を決めつけたがること、結婚が遅いことを親が責めたり、それこそ海外に出るときにみんなが心配するようなこと、どうしてそこに当てはまりたがるのか、はめたがるのか。

それって小さい頃からの教育のせいなのか、人間ってそういうものなのか?
例えば保育士日本でしてたころを思い出すと、ひなまつりの制作で、男の子はおだいりさまを作って、女の子はおひなさまを作らせたり。それってどうして子どもに選ばせないのか。もしかしたらピンクがよかったのに青を渡された子がいるかも。制服も、スカートを履きたくないのに履かされてる子がいるかも。

どちらでもいいんだよ、あなたがしたいように、と、選択肢を与える機会を子ども時代に増やしたらもっと違うのかも。

要するに見た目で人を判断するような機会とか、場面とか、人とか、社会とか、そういうのに溢れてるよね。

それって人種差別とも似てると思うんだよね。人を肌の色で判断するって、どうしてそれは、何が間違ってそうなったのか。アボリジナルの映画をネットフリックスでみたけど、イギリス人がオーストラリアに突然来て、みんな殺して、残りは人間としても扱われていなかったなんて、それで今、はい、ごめんね、って済まそうとしているなんて、虫が良すぎる。って思っちゃう。私達の国なのに、返してよ、と思うだろうね。訴えても、もう届かない。でも戦ったら、また戦争になる。みたいな。どうして世界はこんなふうに支配されているのか。パワーや権力が平和に繋がらなかったら意味ないのに。そうやって力ずくで地位を手に入れて、肌の色で階級を分けたいのかなんなのか。

戦ってばかりで失ってばかりだと世界に何もなくなってしまうのにね。
LGBTQの話もそう、デモとか訴える活動に率先して行く必要はないけど、だってまた戦いが生まれちゃうからね。でも世間がもっと耳を傾けるべき、だし、気持ちを聞いてあげる優しい心をもつべき。人の中身を見るべき。

こんなにシンプルなことが、なんでこんなにも難しいのか。それはみんな違うからだよね。みんな同じだと、コントロールするのが簡単だから。なのかな。

めちゃめちゃ考えさせされた、りゅうちぇる、悲しい、、もっと優しい社会になっていきますように。。。

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