だけどセクシーな服だって着たいじゃん

なんとなくぼんやり思い出すことがある。

いつもより露出した服(黒レースで体にフィットしたトップスにスキニー)で電車に乗車してしばらくすると、胸あたりに違和感をおぼえた。
ふと横目で見ると、スマートフォンを横向きにして動画を見ているスーツ姿の中年男性が、電車の揺れに合わせてスマートフォンを持つ手を私の胸に当ててきていた。
…なんとも言い難い。正直、これしきのことで大声を張り上げて痴漢というのも気が引けるというか、微妙なラインを攻めてきていてすごいなと逆に感心してしまい結論としては呆れ果てていた。

そんな話を友達に共有したら、私が押し殺そうとしていた怒りの感情をむき出しにして「絶対許せない」と寄り添ってくれ、父は即座に通学方法をバスに変更してくれた。

当初はこれくらいのことで、だとか、この程度ならこの人の家庭や人生を壊すことの方がなんとなくこわくなってしまう、だけど次の犠牲者を出したくないし…なんて考えて自分の感情に向き合わず適当に処理しようとしてしまったけど、時間が経っていくうちに苛立ちや悲しみが溢れてきていた。なぜ自分だったのか、もし警察に被害届を出していたらこんな格好をしたからだと詰められるのだろうか、こんなに悲しい思いを背負いながら公共交通機関を使わなければならないのか?…等々

しばらく電車に乗るのが億劫で、自分の体型に合っていると思われる体にフィットしてボディラインを魅せるような格好がするのを躊躇っていた。

また時間が過ぎて、ある男の子とちょっとしたはずみから「露出した格好をしている女の子は罪深い」といった趣旨の内容を話すから、その気持ちをわかるような部分はあれど、なんとなく引っかかってしまい自分が傷ついた経緯を話してみた。

すると彼は、バツが悪そうな顔をして「やっぱりそういう格好をしていると、見てしまうかな…触ったりはしないけど」と言った。

触ったりはしない、という部分にまた少し引っかかったけど(それは前提であって欲しい…という願望)なんとなくせめてみんなこの結論でいてほしいという結論に最近は至った。

私は正しさを統一して誰かの正しさを蔑ろにしたり真っ向から否定することはしたくないから、セクシーな服を着て「エロいな」と感じる気持ちは否定したくないと感じている。だけど、その気持ちを何の落ち度もない(もしかしたらセクシーな服を着ていることそのものが落ち度という方もいると思うが)第三者を傷つけることは許されないと思っている。

この辺のジレンマというか、なんというかが自分の中で対立しかなり苦しんでいた。

こんな状態の時に、たまたま見返していた鳥飼茜さんの「地獄のガールフレンド」(漫画)3巻に、1回飲んだ男の子が帰り道騒いだら殺すと言いながらカッターを持って待ち伏せしてて…と話してるコマがあり、それに対し周りの女の子は「それだいぶトラウマじゃない!?男性恐怖症的な」といったことを話した。
それに対し、被害にあった子は「いや翌日は髪巻いて超ミニで出勤したよ だってそんな奴のために「カワイイ私」やめんのなんて嫌じゃん!」とあり、それを聞いて「それは正しさとかじゃなく そうしたいことだから だから素直にそれがとてもステキでまぶしい」と主人公の心の声〜って下りがあったんですよ。

ま〜〜〜〜ほんとにほんとに単純すぎて短絡的すぎかもしれないけど、とっっっっっっっても救われて…。

ああ、私は私が好きな格好をしていいんだ、自分が好きな私で堂々といていいんだなって思えまして。

その日から何かの呪縛から解けたように、バチコリセクシーな服を着るようになりました。

たま〜に痴漢にも遭ってしまうし、何が解決した訳でもないといえばないんだけど、だけど自分が好きな格好をしているのにそれを突拍子のない第三者の行為によってやめたりしなくていいのかもしれないと気が晴れました。(自分が好きな格好が局部を露出すること、といったものなら話は別となりますが)

痴漢を行なってしまう人が悪意を持って行っているのか、やめたくてもやめられないのか、色んな人がいるとは思うけど、みんなが自分で好きな服を着て彩の多い豊かな世界で暮らしていくためにも1人でも多く突然の恐怖を感じるようなことが起きないように望みます。そもそも、何の了承も得ていないのに自分のタイミングで勝手に人の体を触ること自体には強く否定します。これだけは。

自分の中で向き合いたくなかったり、社会から否定されているような感情にも自分と向き合って、なくしていったりせずにどう付き合っていくか?どのように他者との関係の中で折り合いをつけていくかをじっくりじっくり一人一人が考える必要があると思う。 引き裂かれるような、悪夢のような感情だってあるかもしれないけれど、それを無闇になくしたりそんな感情を持ってしまう自分自身を責めたり否定しすぎないで欲しい、「下心」として自分の中で存在はしているけど他者に行使したり傷つけたりしないようにより丁寧に丁寧に、慎重に扱って欲しい。

なんかうまくまとまんないけど、私は自分の感情を皆が否定することなく、色んな感情と向き合って他者との関係の中で傷つけてしまう恐れがある感情は慎重かつ丁寧に扱い、人を楽しませる感情は思い切り出せるようになれたら、そんな環境がつくっていけたらと思う。豊かになりますように。

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