派手で安っぽいドレス
先週家族と出掛け、父が服を買ってくれると言ってくれた。派手で安っぽいけれど、憧れの人が着てそうな服をを手に取った。
低い身長だと、マキシ丈のワンピースがしっくりくることって殆どなかったし、派手な服を着て不良してみたいと思っていたわたしにとって、サイズも気持ちも、その安っぽさも、丁度ぴったりだった。
試着すると、妹は似合うと褒めてくれた。
父は苦笑いしてやんわりと買わないほうがいいと言った。
わたしは結局買ってもらわなかった。
安っぽくて派手すぎるし、中国人のお水の人みたいだと父が言った。
わたしはその通りだと思ったし、つまらないとも思った。
父の言うことは、いつも正しくて、いつもちょっと偏っていて、窮屈に感じる。
だから少し距離を置いて、わたしが欲しいと思ったものに躊躇しないと密かに意気込んでいたのに。
子は、親の影響を受けずにはいられないし逆らえない。こんな時、例えが最低だけれど、洗脳されている感覚を受ける。
愛情からくる発言だって知っている、でも愛情だけの発言じゃないこともわかっている。
また、店に行って買い直すほどのことじゃない。
駄々こねて買ってもらうほどの高い値段でもなんでもない。
買ったって、露出が多いあのワンピースを纏って、東京を歩ける覚悟はない。
それでも、わたしは安っぽくて派手なあのワンピースのことをよく考えてしまう。
もし、あのワンピースが部屋のクローゼットにあったなら、どん底な日のわたしを救ってくれるかもしれない。
せめて、あのワンピースを着て夜遊びしてからにしようって思い留まることができるはず。
もし、このまま、あのワンピースを手元に置けなかったら、どん底な日に底まで落ちてしまいそう。
ー日経新聞 4月4日
「親というのは、目の上のタンコブ」
「乗り越えるべき親がいたという点では、とても理想的な家庭」
あの派手なワンピースを鎧にして、お父さんと戦ってみたい。あの安っぽいワンピースを自分で買うことで、初めて同じ土俵にたてる気がする。とても、恵まれている。明日買いに行こうかな、やっぱりやめとこう。