「やりたいことだけをする」を許さない常識のような謎のエゴ

お久しぶりの投稿ですが・・・

前回の投稿からかなり時間が空いてしまい、久しぶりの投稿になります。
今回は、最近なんとなく感じたことについて完全に私の主観で書いてみたいと思います。

やりたくないことをやることが偉い

私も社会人になりまして、仕事を通じていろいろな方と出会います。
全然関係ないですが、私はSNSもやっています。

このリアルな生活とSNSというネットの世界のどちらにも共通して存在する考え方があるなと思っています。
それが、「やりたくないことをやることが偉い」という考え方。
これをエゴという言葉がふさわしいかどうかは一旦多めに見ていただいて、この考え方って意外と多くの人が持ってるなとすごく感じます。

私はこの考え方が間違っているとは思いません。だって、「やりたくないこと」をやるってエネルギーがいるしすごいことだと思うからです。

でも、それを「当たり前」とすることは100%間違っていると思います。

明日の生活のために、行きたくない会社に行かなきゃいけない。
あの大学に合格するために、したくない勉強をしなきゃいけない。
あの人から嫌われたくないから、約束を断れない。

大きいことから些細なことまで、結構生活の中で我慢していることって多いと思います。

それが悪いとか良いとかどうかはどうでもいいです。

何が言いたいかというと、こういった「やりたくないこと・嫌なこと」をやらずに、「やりたいことだけをする」ことを批判してはいけないと私は思ってます。

だって、限られた人生の時間の中でやりたくないことに時間を費やすって無駄だと思うからです。
(というかどこの世界線にやりたくないことを進んでやりたい人間がいるのだろう、やりたいことだけやってた方が絶対楽じゃんって思ってます。)

これを言うと、「嫌なことをやったときに思わず良い経験や出会いがある」と言う人がいます。
私はこれに大賛成です。だって経験値は確実に貯まるから。

でも、これを理由にして嫌なこと・やりたくないことをしない人たちを批判することは絶対に肯定できないと思います。

結局自分の人生しか生きれない。

結局何が言いたいかというと、私は「やりたいことだけをする」といった考え方に賛成です。
それは、他人がこういった生き方をしていてもそれは自分の人生でないし、他人に迷惑をかけない限りこの考え方を批判する権利がないからです。

というか、やりたいことだけやってたら単純に楽しいと思います。
これを言うとまた、「生活はどうするんだ」とか「そんな甘くない」っていう人が出てきますが、それはその人の考え方であってそこから先は個々の選択でしかない。

私はそもそもやりたいことっていうのがないので、適当に毎日生きていますが、いつかやりたいことだけをやって生きていけたらいいなって思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。


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