はじめての東京の思い出
地方の田舎育ちの私が初めて東京に行ったのは18歳の頃のことだ。
私の姉が東京の大学に上京しており、その卒業式に出席するために東京に行くことになった。
学生の春休み。観光もかねて行く東京を楽しみにしていた。
初めての東京に期待をしたが、その東京に行くことでさまざまなトラブルに見舞われるはめにあう。
母と姉と私の三人は新幹線で東京に向かった。
新幹線で東京駅に到着し、改札口を通る時にふと気が付く。
切符がないのである。
私のみならず、三人分の切符がごっそりと無くなった状態だ。
東京に来て最初のトラブルである。
乗車していた時は、駅員の人に乗車券を見せていたので、それから三人分の切符の行方がわからない。
そのものの数十分後には切符がなくなっていたのだ。
かなりパニックになり、東京駅についた時にゴミを捨てたのだが、間違ってゴミと一緒に捨てたのではないかということになり、
姉は慌てて捨てたゴミ捨て場に駆け寄って行った。
乗車券を見せた後、母のカバンに入れてからそれからわからない。
パニックになりながらいると、母から「乗車券持ってないよ」と言われる。
私はしっかりと母のカバンに入れたのを見ていたが、実は母は乗車券を落としたくないという気持ちが強まり、私が見ていない時に、私のカバンの内ポケットに入れ直していたのだ。
勝手にイリュージョンをするな。
もちろん、私はまさか自分のカバンの内ポケットに乗車券を入れられていることは知らなかったため、自分が持っていることを知らないし、母もまた私のカバンに入れていると思っているので、「自分は持っていない」と主張していた。
アンジャッシュばりの凄まじいすれ違いが起こり、その場はパニックになる。
自分のカバンの内ポケットを見ると、きちんと乗車券三枚が収まっていた。
キツネにつままれたような感覚と、乗車券が見つかった安堵も合わさったが、急いでゴミ捨て場に向かっている姉への所へ走った。
東京駅には人がごった返しており、沢山の人があふれている中で、
ゴミ捨て場のゴミを確認している姉を遠目に確認した。
風で飛んだゴミまで姉は追おうとしていた。
見つかったと姉に知らせ、私のカバンの内ポケットにあったと説明すると、さっきまでゴミ箱を漁る羽目になっていたため、姉に頭を叩かれる。
姉にしてみれば、殴るのも当然のことで、人混みに紛れてゴミ捨て場のゴミを漁る羽目になったのも、私のせいとなり、怒りの矛先は私となる。
この時何故母は私に黙って私にも確認をせずに乗車券を入れたのか不明だったが、なんで私が叩かれなければならないんだと理不尽な思いをした。
東京に来てすぐに乗車券を無くしたとパニックになり、姉に頭を叩かれた。
東京初日はこれで終わった。
東京と行ったら、渋谷であろうという田舎者特有の安易なイメージで渋谷に行くことに。
渋谷に行くと、日本の人口がここに集中していないか?というレベルの人でごった返していた。
田舎に住んでいると、人とぶつかることなんか滅多にないが、人がひしめき合っているのに恐怖したほどだ。
田舎者の私としてはとんでもない人混みに恐れをなしてしまっているが、
東京に住んでいる人からすればこれが普通のことなんだ……とも思っていた。
人とぶつからないで歩かねばと意識していると、自分達の前に歩いている女子高生らしき二人組が話しているのが聞こえてきた。
「今日人多くね?」
「多すぎじゃね?」
女子高生二人組の会話を聞いて、「やっぱりこれは多いんだ……」と再確認させられた。
人混みをスルスル駆け抜ける人達を見ると、生きてる環境が違うなと見せつけられた。
田舎者の私は人混みに溺れるとすら思い常に怖がりながら東京の街を歩いたことを覚えている。
姉の卒業式に着る振袖などの打ち合わせがあり、姉とは一旦分かれて、母と私とで姉の住むマンションへ戻る時だった。
母が先頭となって姉のマンションに戻ろうとした時に、姉のマンションに戻るために曲がる道から、母は通り過ぎたことだった。
私はそれに対して「こっちの道じゃないの?」と訊ねると、母は
「私はねぇ!! 東京には3~4回は来てるんだよ!!
道は覚えてるからまだまだ向こうだよ!!!!」
と何故か物凄い勢いの口調で幕しててて、「道はこっちだ!!」と啖呵を切ったのである。
私は初めての東京で、一度通っただけの道順であるが、見覚えのある道だと思ったので、ただ聞いただけだったのだが、何故かこの時物凄い母の勢いに圧されたのだった。
一度しか歩いてこなかった道だったため、そう言う母の言う通りに歩くことになった。
私がここを曲がるのでは?と聞いた道を通り過ぎ、また母を先頭に歩き出す。
東京を歩いて思ったのは、東京は坂が多いなということだ。
田舎の平地に慣れている足は、東京の坂はきついなと思った。
母を先頭にどんどん坂道を歩く。
さっき私に勢いよく怒鳴り散らしたっきり、二人で無言で東京の坂道を歩いた。
どんどんどんどん、坂道が続く。
すれ違う人達とは逆らうように坂道を歩いていく。
東京という大海原に遡上する鮭のようだ。
私たち鮭の親子は無言で歩いた。
無言が続き、坂道も続いているので、途中から息がハァハァと息切れし始める。
東京は坂が多いな……。
無言で、母の背中だけを見続け延々と歩き続ける。
高熱を出した時に見る悪夢みたいだった。
あまりにも坂道を登り続け、歩き続いていたのにようやく母鮭は気が付いたのか、「おかしいな……」と内心思い首を傾げ始めた。
思わず、正面から歩いて来る70代くらいのご婦人に母は声をかけた。
ご婦人は真っ白い日傘を広げ、薄紫色の花がプリントされた服を着ている。
東京のご婦人は各段に上品に見えた。
‘‘東京‘‘というフィルターに踊られすぎだろうが、本当に地元では見ることはほとんどないとすら感じたくらいは上品に見えた。
背筋も真っすぐでまるで藤の花のようなたたずまいのご婦人だ。
この上品なたたずまいなご婦人が後に救世主となる……。
母「すみません……。〇〇(姉の住居付近)に行きたいのですが……」
救世主のご婦人「えっ!? 〇〇(姉の住居付近)!? ずいぶん遠い場所から来られたのですねぇ!?」
救世主のご婦人が思わず驚きの声をあげる。
本当に驚いたのだろう。大きな声を上げて驚きのあまり目を丸くさせ、口元を手で隠したほどに。
そして少し歩いた場所に道案内の看板を見つけ、ご婦人がご丁寧にも道順を教えていただくことになる。
救世主のご婦人「あの、今ここにいるのですが、〇〇(姉の住居付近)はこちらで、かなり歩くことになると思いますが……」
救世主のご婦人がかなり申し訳なさそうに説明をしてくれた。
先ほど、私が「こっちでは?」と言っていたのが、正しい道順であり、
何故かあの時に謎に怒鳴り散らした母はガンガンに道順を間違っていたのである。
ご婦人には感謝こそすれ、私達鮭親子はまた元の道へと戻るはめになった。
ただ単に無駄に道を歩き続けており、母の言う「3~4回東京に来ている」という発言と経験はただの”無”であることが今回で証明された。
坂道を戻る時は下り坂で楽ではあるが、また下り坂を延々と歩かねばならなくなった。
この時何故か無駄に怒られ、無駄に歩く時間に掻っ捌かれた。
今でも何故あの時怒られたのかがわからないでいる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?