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2025/01 ここ最近考えていること💭
"着たい"と”似合う”の融解点
似合う服がわからない。
トータル診断に行ってみたけれど何だかはっきりしない結果だった。
診断を受ければ似合うスタイルがわかるなんて、魔法のようなことはなかった。(たぶんはっきり分かる人もいる)
着たい服はある、けど高い。そして体型的に着れない。
"似合う"がわからなくなり、"着たい"をあきらめ続けていると、「もう服着るなってこと?!」と極まった思考になってChat GPTに愚痴るのがお決まり。
みんなはどんな基準で服を買ったり、買わなかったりしているのだろう?
"着たい"と”似合う”をどうバランスとっているんだろう?
ファッションについて思うこと、楽しいこと、そして悩むこと。
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友だちのカタチ
好きなアーティストのインタビューを読んでいて、ある一文に目が留まった。
「僕が元から、人間関係でも親しくなるとうまくいかないタイプだから(笑)」
この発言の後、彼は友だちのドラマーをレコーディングに招いた話をしていた。「人と親しくなるとうまくいかない」と自己認識している人が「友だち」という関係を築いている。この矛盾したような両立がとても不思議で気になった。「親しくなるとうまくいかない」と言う彼にとって、友だちとはどんな存在なのだろう。(インタビューの文脈でいえば、ここでいう“人”はライブを見にきたファンやTeleというアーティストとして彼自身をみている人のことを指しているのだと思う。たぶん対友達のことではないと思ったけれど、私は“友だち”について考えるあまりにそう当てはめてしまった。)
…もしかすると、親しくならなくても友だちでいられる?これまで築いていた友だち観が崩れはじめる音がした。
私は学生時代に「親友と呼べる友だちがいない」というコンプレックスを抱えていた。ドラマや歌詞に描かれるような唯一無二の関係―お互いを深く理解し、頻繁に連絡を取り合い、何でも話し合える仲―これが「本当の友だち」だと信じて疑わなかったし、そういう関係を切望していた。でも現実の私はというと、友だちと月に一度会うか会わないか、連絡も稀だし、本当になんでも話せるなんてことはない。「本当の友だち関係」が築けない自分は何か欠けているのか、と悩むこともあった。
けれど、この一文に触れたとき、「友だち」というものが必ずしも親密さに比例するものではないのかも、という淡い希望が生まれた。もしかすると、私は友だちを自分の近くに引き寄せすぎていたのかもしれない。人によっては、友だちをもっと遠くに置くことが心地よい場合もあるのかも。
「友だち」という言葉が内包する距離感や深さは、案外、普遍的なものではなく、人それぞれに異なるのだろうか。みんなはどんな友だちのカタチを描いているの?そもそも人と「友だち」について話したことがあまりないから話してみるのも楽しそう。
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知らないという隔たり
わからない•知らないという意思表示をされると、たまにマウントを取られているように感じる。知らない、というマウント。
たとえば、紅白歌合戦を見ていてよく知らないアイドルが出ていた時、家族の誰かが言った「このアイドル知らない」。たとえば、会社の飲み会で趣味の話をしている時に誰かが言う「それぜんぜんわからなくて」。
わからない•知らないと意思表示されると、扉を勢いよく閉じて遮断されたような感覚になる。無知のその先には何も無いと、無知だから知りたくて興味を抱くことは無いと。
それに触れると、自分だけ壁の向こうにいるような寂しさに襲われる。同時にハッとする。自分も同じ行為をしてないだろうかと。知らないと言うことで俗世から自分を切り離せたような勘違いをして、自分だけ人より一歩前にいるような感覚を持ってしまうことはないだろうか、と。
だからこそ、「知らない」には続きを持っていたい。その先を大切にしたい。知らないと知りたいを一緒に示せるようになりたい。
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「お仕事何されてますか?」の質問に困っている
「お仕事何されていますか?」という問いがすごく苦手だ。
なんて答えればいいかわからなくて苦手。そもそも何を答えればいいのか。職種?業種?
この間ピラティスの体験に行った時も聞かれた。アート関係で…と答えたら、「デスクワークですか?」と聞かれて、ああ、働いているときの身体の使い方を聞いていたんだと気づいた。ちょっと恥ずかしかった。
模範解答は「会社員」だと思う。でも、会社員ってお仕事なのか?
わたしは会社員という職業に就いたのか…?
みんないつもどう答えているのか、聞いてみたい。