矛盾した自分を持て余した後は、どこに落ち着く?二律背反な私を受け入れる
私の方が上だ、優れている
と思うことにさいなまれる 苛まれる
謙虚になりたい私がいる
もしくは、
あなたは私より上ですね
私より優れてそうですね
と
言われる
思われる気持ち悪さ
これは何だろう??
鏡の法則的な話で言うと
私が
私ってあなたより上だなーと思ってるのか!!!
私ってそんなふうに洗脳されてたんだなー
って私が思ってたのか!!!!
こう言う時、
私みたいなのが一般的に成功者とか
私みたいな考え方とか
私みたいな好みの方向性を持つものが
優れてるとか
優劣の優とか
良き人みたいな
より良く生きてる人に
該当しやすい
概念を持ってる社会で
概念を持ってる人たちに囲まれて
生きてきたのだなー
と
気付いた
というか
私が
私自身が、
私みたいなのが一般的に成功者とか
私みたいな考え方とか
私みたいな好みの方向性を持つものが
素晴らしい
最高
上下があれば上に立つ人
みたいな認識をもって
周りの人と対峙してたんだ。。。
おどろきである。
いや
しってたかも。
すごい
素敵
と言われれば嬉しく
なんでこうなの?
と
尋ねられると
なんだか
批判を受けたような気持ちになる
ただの質問 素朴な質問
として
なんでこうなの?
と問いかけられただけだと
理解できても
なんらかのしこりが
うまれる
それは、
はっ?
はいっ??と反応してしまうような
ケンカを売られたような
はっ?カチンとする
もののようなものであるし、
それは、
ダメだよ〜
いけないことだよ〜
と
諭された気分にもなる
心と体の中に
アンニョイな空気感が
ぽわわわわわんと浮かんで浸透していく
感触があるのだ
その時、
なんか
私おかしい??
っておもう
間違ってる?
間違ってた?
あってる?
わたしあってる?
って問いかける私がいる
自分にとっての
正解を
いつも
確かめたがる傾向がある
その
傾向が強い。
それでいいんだよ
それがいいんだよ
そんな
がんじがらめになってる
じぶんもまた
いとおかし
だよ
がんじがらめられて
窮屈になって
そこを脱した時の
開放感が
これまた
好きなんだよね
自由になれたと感じられる
そもそも君は
自由だった
とことん自由だった
とことん自由で
自由も自由
悠々自適なくせして
縛られた気持ちになり
囚われた気持ちになり
がんじがらめになって
窮屈さを感じて、
初めて、
そこを脱したとき
あぁ自由だ〜ふぁぁぁ〜
きーもーちーいいーいー
爽快感〜
清々しい〜
さを、かんじられるものなのだ
これが
自作自演といわれるゆえんなのだろう
自由を愛するがゆえに
自由を愛するからこそ
一旦がんじがらめになって
放つ
一旦縛って
解く
一旦囚われて
解放する
二つで一つ
この一連の
流れが必要なのだろう
自由がすきだから
縛るし
囚われるし
がんじがらめになり
窮屈になりにいくって
あんた
おもろいやっちゃなー!!!
とほとほと
好き
これらは、表裏一体
裏と表
陰と陽
なんだなーーーー
この世は
てか
人間って
二律背反
なんだなーーーーー