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守護神?守護霊?ご先祖様?


〜ご先祖さまに思いを馳せてみた



ナオキマンショーの
オンラインサロンに入ってます。

ナオキマンショー面白い🤣
知的好奇心が迸る(ほとばしる)


のぶみさんとの対談で、
ご先祖様のお話の会があって、
私もふと自身のご先祖さまに思いを馳せる。



ちなみに私は、
沖縄県民です。

父も母も沖縄県民です。

沖縄県は先祖崇拝と言われてて、
ご先祖さまに思いを馳せることは
けっこう親しんだ習慣ではあります。

お正月、お彼岸、
お盆、ウシーミー(晴明祭)等で、
お仏壇に手を合わせる(うーとーとー)したり
門中(親戚一同)のお墓で集まって
お花とお重箱とお菓子をお供えしますり
お墓が大きくて広いので、お墓の前に
ブルーシートを広げて皆んなで、
精進料理が入ってるお弁当を食べます。
子供からしたらピクニック気分です。
大人たちもビール飲みながら談笑したり、
近況報告から、亡くなった人たちの思い出話
まで、色々と会話を交わします。







コロナがあってからは、
まだたくさんの人数では
うーとーとーしてません。
(現在2024年)






と、
ライフスタイルの至る所、
とまではいかないけれど、
なかなかにご先祖さまあっての私たちがいる
という認識は少なからずあるような
暮らし方をしてると思います。


特に私の場合、
父と母が子供の頃、離婚して
母方の祖父母にはいろいろと
良くしてもらってた記憶があります。

三人兄弟の真ん中なのですが、何かと
姉や弟よりも贔屓されてたようです。
(母、姉、弟が、あなたは、贔屓されてたよね、というから贔屓されてたんだな〜という感覚的な自覚です)

個人的には、
贔屓っていうか、私がちょうど良い存在だったからでは!?と思うところ多々です。

私の趣味趣向が、祖父のそれに近かったり、
(だから、いいよいいよ〜
なんでも買いなさいって感じだったし)


当時の私の立ち位置が、可もなく不可もなく
当たり障りのない、ちょうどいいからお前行け!
みたいな(私もそれでほいほいラッキー✌️)
ポジションに位置してたからだと
振り返って思うものです。


私が何か欲しいものがあり、
欲しいというと、
祖父は、

「買いなさい」
と母親に言い、お金を渡して
色々と買ってくれた。(と母が良く話してた)

私だけ祖父母とハウステンボス旅行✈️へ
行ったこともある。
祖父の九州大学の同窓会があるとの事で、
祖母と私が行くことに。
ちょうど私は小2で、分別もつく。
弟は幼稚園生で小さいからという理由で行けず、
姉は小4で勉強があるから学校を休ませては行けない
遊ぶために学校を休ませては行けない、との親の方針のため、
私だけが、祖父母のお供に、
ちょうどいい身分(親の考えでは)だった
ので、一緒に旅行したのだった。

写真


祖母と一緒にご先祖様のルーツ巡りもした。
しかも2回。(幼稚園生かな?と大学生の時)
伊江島までほかの親戚の代表達と
うちの家系は祖母と私が代表で
行ったことがある。

あまり覚えてないのだけど、
1回目は祖母に捻挫させてしまった
という記憶がある。
トイレが、家の外にあって、
ぽっとん便所で、、、
トイレの入り口でわちゃわちゃしてたら、
おばあちゃん足ぐぎった、、みたいな。
(ごめんね。)

2回目は、家系図を作らないといけない!
だったか、家系図を確認しに行こう!
とのことで、親戚の代表たちが、また伊江島へ。
当時私は留学から帰ってきたばかりで、暇なのが
私、という、ポジションのもと高齢になってきた
祖母の付き添い介護として、行った。

やっぱり、私にはあんまり良くわからなかった。
家系図みても良くわからなかったけど、
私のご先祖さまは、伊江島にもいるんだなー
と思った。

沖縄市出身、父母も沖縄市。
祖父はブラジル(曽祖父が移民1世)
祖母は首里(曽祖父が琉球王朝9世)

その次の祖先は、分からない。
分からないというか、どんな人だったのか
話を聞いたことがない。
(どんなストーリーを生きた人なのか)

聞いてみたい。



まだまだ出てきそう。



◇前に見た動画とも繋がって、、、。
私にとって必要な情報だったと思う。
多分、あなたにとっても必要な情報だと思う。
ご先祖さまの名前を呼ぶとDNAが目覚めるって。
確かに何か感じる。パワーを感じるっていうか。
何かしらのなにか 笑。

まずは、感じることにカラダヲユダネテミヨウ〜〜




ご先祖さま、ご縁をありがとうございます。(^^)

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