自己紹介note
ものすごい今さらですが。せっかくの機会ですし、自己紹介note書きます。
写真は5歳くらいの私です
毛量〜〜!!って感じですね、ヘルメットではないです笑
ワカメちゃん(名前も似てる)、クレラップのキャラクターに似てるとワカメちゃんカットの時はよく言われてました。
しかしいきなりやるの難しい、、ひとまず思いついたこと書きますね〜
目次
①家族構成など
②学生時代
③社会人〜今まで
家族構成など
福島県田村市出身、5人家族で兄が2人おります
料理上手な母と走るのが好きな父のもとで育ち、今してること(仕事はメニュー開発、定期的にハーフマラソン走る)を振り返るとめちゃくちゃ親の影響そのまま受けてる子だなと気づきました。笑
3人兄妹なら「かわいがられたでしょ〜」みたいなことよく言われますが、まったくそんなことありませんでした。女の子だから、みたいなことなく兄といつも食べ物の争いをしたり、手も足も出るケンカをしょっちゅうしていました。
こんな感じで育ったので、おままごとより「缶けりやろうぜ!」ってノリで女子っぽくなく育っていったのでした。
あ、好きな食べものはりんごとチーズです。
そのまま食べられるから。笑
学生時代
中高、共にとにかく部活に明け暮れてました。中学ではソフト部と陸上部を掛け持ち、高校では陸上に専念しました。
種目は長距離をやってました。中学校の時、郡の駅伝大会で区間賞取ったり、なかなかいい成績収めてました!
が、中3の時にめちゃくちゃ伸び悩み、今でもトラウマみたいに残るほど強烈な挫折経験をしました。それを払拭したいがために、高校でも陸上部へ。
高校でも長距離を続けてましたが、まあ遅い。大会でもビリを走るほどで、陸上部でいる意味ある?くらい遅かったな、いま思えば。
そんな私を見かねて、高2の春に顧問の先生から競歩の転向を言い渡されました。
「え、やだよ、競歩って変な動きじゃん…」
とかどうでもいいことを気にしてましたが、めちゃくちゃ怖い鬼顧問に反発する勇気なく、競歩に転向しました。
ただ、顧問の先生が素質を見抜いてくれたのか、とても自分にあっていて、結果としてはインターハイ入賞と県大会記録を残すという成績をおさめることができました!!ぱちぱちぱち〜👏
なんでそんな成績残せたのか振り返ると、まず競技人口が少なかったのが一つあります。地区大会では2人、県大会では15人くらいだった気します。インターハイで初めて予選、決勝を経験しました。なので100mで県一位になるのってめちゃくちゃ競争率激しいけど、15人中1位なら100mよりは競争率はゆるいのでそれが大きかったかなと。
もう一つはめちゃくちゃに練習して集中してたこと。朝練は欠かさずやってたし、競歩は歩型が結果を分けるので基礎練をやり込んでました。練習メニューもなかなかハードな感じで、男子を引っ張って歩いてたこともあります。結果が出れば先生も指導に熱が入って、より競歩に詳しい先生に会わせてもらって指導を受けたり、選抜合宿に招待してもらったりと速い人たちと一緒に練習するのはとても刺激を受けたことを覚えています。
競歩は高校ですっぱりと辞めて、短大に入学し栄養学を学びました。競技を続けなかったのは結果を出し続ける自信がなかったからです。高校時代の指導者、環境だからこそ良い結果が残せたわけで、スポ選で大学に行って結果を残し続けることのプレッシャーに耐えられることはできないと思いました。またたくさんのサポートがあったからこそ、競技に専念できたので、今度はサポートする側になろうと、その頃はスポーツ栄養学が流行し始めた頃というのと、高校時代に重度の貧血になった経験からその選択をしました。
(本当は鍼灸師とか柔道整復師あたりに憧れたけど、てんで理系がダメなんで諦めました…栄養学も生化学とか解剖生理学があるんですけどね、これはなかなか苦労しました)
短大は本当一瞬で過ぎ去ったので覚えてません笑
母親の干渉がすごかったので、一人暮らしに超ワクワクしたのを覚えています!ホームシックにもならず、バイトとサークルに明け暮れ、あまり実家にも帰ってませんでした笑 今もそうだけど。
社会人一年目〜今まで
新卒では委託の給食会社に入り、内部監査の仕事を1年、保育園の栄養士を4年やりました。手取りが、14万を切ることもありました。笑 会社はクソだったけど笑、素敵な人に恵まれたので給与安くても続けてたような気がします。
25歳で初めて転職したのは、生命保険の営業です。なんでそんな急に…?と思われるんですが、この頃は色んな人に出会う機会が多く、世の中の25歳より自分が子どもであることや一般的な社会人マナーができてないことをヤバいと思い、入社しました。営業職はめちゃくちゃ嫌だけど若いうちにやっておいた方がいいと思ったからです。その上人見知りだけど、仕事ならやらざるを得ないからそういう環境にしてしまおうと。
この時の上司もめちゃくちゃ厳しい人でかなりしごかれました。でも仕事できる人だったのでとてもありがたかったな、と今でも思います。ただ数字を追う仕事は自分には相当ストレスだったらしく、ずーっとアゴのニキビができ続けてました。笑 営業をやっているとやっぱり栄養士の仕事したいなと思い2年4ヵ月働き転職しました。
この後は「やりたいことをやろう」という気持ちが強く、和食給食を普及させる会社→大手SIerの新卒人事の仕事をさせてもらいました。
その後、大手食品メーカーでのメニュー開発の仕事を2年半しました。この仕事は栄養士になったらしたい夢でもあって、「夢って意外と簡単に叶うもんだなあ」と思ったのを覚えています。メインでやるというより、アシスタント業務よりでしたが、自分の盛りつけや開発したメニューがリーフレットなどの販促物になるのはとても嬉しかったです。このあたりでようやく、「自分はものづくりが好きなんだな」と気づくことができました。
今年の8月からはスタートアップのサラダ専門店でメニュー開発の仕事をしています。まだ半年も働いてないのですが、日々、神経をすり減らすことが多いです。笑
何事も経験、と思うタイプなのですが、私の仕事の価値観と会社の風土があまりマッチしてないな、と思うことあり転職を考えています。
改めてこうやって振り返ってみると、めちゃくちゃ独りよがり感が強い人間だな〜と思います。たぶん長距離走ってたから?個人競技だし、自分が頑張るしかない、誰も助けてくれないって思う傾向が強めですね。あまり人に求めるほうではないと思います、、
自己紹介になってる気がしませんが、自分はこういう過去を経て今があるので、「さくまはこんなやつなのか〜」と想像でも膨らませておいてください!笑
今後の野望とか今は思いつかないんですけど、ものづくりが好きだから引き続きそういう仕事をしたいなと!食べもの関係は長く関わってきたので、それ以外で企画開発みたいな仕事をしたいなと思ったりしてます!
自己紹介というか履歴書みたいになってしまいましたが、読んでいただきありがとうございましたました!
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