続②【窪田七海さんに出会って推し活が変わった話をしよう】-ハロプロについて語る-
■ まえがき
前回記事を執筆してから早10ヶ月が経過していた。その間の私といえば、昨秋からのライブハウスツアーに始まり、冬ハロコン、1stアルバムリリイベ、春ツアー、さらに夏ハロコンと数多くの現場に通い続けてきた。そして今、気づけば4thシングルリリースイベントの真っ只中にいるのである。それらのどれもが楽しく、素晴らしい思い出であることは後ほど詳細に語ることにしよう。
さて、本記事を読んでくれている皆様の多くについては、私の勝手な期待ではあるが、私がこれまでにも執筆してきた「窪田七海さんに出会って推し活が変わった話をしよう」シリーズを読んでくれていると信じている。それゆえに窪田七海さん(以下、七海)については、彼女の経歴といった基本的な情報は既知のものとして、それを改めて説明することは、今回記事では割愛させていただきたい。
なお、「窪田七海さんに出会って推し活が変わった話をしよう」シリーズの過去記事をチェックしたい方は、以下リンク先から飛んでみてほしい。
過去にも執筆してきた本シリーズではあるが、今回改めて記事を書く目的は、この10ヶ月間の現場を振り返る中で、私が七海への愛を高めていった瞬間を追体験することで、もっと彼女への想いを強くしたい、ということである。そしてもう一度気を引き締めて、真っ直ぐな気持ちで彼女に会いたいと思っている。
今から記す内容は、はっきり言って私の単なる現場紀行に過ぎない。それと同時に、私のエゴに塗れた、いわば感想文でもある。もちろん読者の皆様を置いてけぼりにするつもりはないが、そもそも「窪田七海さんに出会って推し活が変わった話をしよう」シリーズは、私がもっと七海のことを好きになりたい、そのような意図があって書き始めたものである。
私は七海のことが大好きだ。今までの人生で出会ってきた人たちの中で、間違いなく一番好きな人だ。生まれてこのかた、これほどまでに特定の人物に固執したことはない。
彼女に会うためならば、私は多少くらいは寿命が縮みそうなことだってできるし、自らの社会的信用を犠牲にすることだってできる。七海は私にとって、その覚悟で会いに行くほどの人物なのである。
ここまで、まえがきが長くなってしまったが、そろそろ本編に入っていきたい。本記事の構成は次の通りである。まず、■ 全国制覇の旅へ では、OCHA NORMAにとって史上初となる、47都道府県ツアーでの出来事を振り返ることにする。次に、■ 初めてのアルバムリリース では、私にとって二度目のリリイベ全通(※1)に懸ける想いと達成までの行程を記す。続いて、■ 旅の狭間に では、アルバムリリイベと並行する形でスタートした冬のハロコンやNHKの公開収録に参加した体験談を語る。さらに、■ 再び全国制覇の旅へ では、今春に開催された47都道府県ツアーでの出来事を振り返る。関東現場はゼロゆえ関東在住のオタクは全てが遠征、そして総公演数が44公演(※2)も組まれたことで、メンバー・オタクともにタフなスケジュールをこなすことになった。最後に、■ おわりに では、私がいま七海に伝えたい想いを感情のままに書くことにする。
それでは、内容に入っていこう。長い文章になるだろうが、最後まで付き合っていただければありがたい。
※1 昨夏の3rdシングルリリイベは全通を成し遂げた。オタク人生初めてのリリイベ全通であった。
※2 島根の夜公演、鳥取の昼・夜公演が中止になったことで、実際に行われたのは41公演。メンバーの体調不良により、パフォーマンス続行が困難と判断されたもの。
■ 全国制覇の旅へ
47都道府県ツアー開催が発表されたのは、昨夏 8/4のTIF(東京アイドルフェスティバル)にて、OCHA NORMAにとってはこの日最後の出番となるdoll stageでのMCの場であった。メンバーから直接、ツアー開催が発表された瞬間の高揚感は今でも忘れない。
同年10月7日に横浜、その翌日には新宿での公演が開催され、まずは関東を起点にツアーが始まった。この秋ツアーの期間で回った場所は以下の通りである。
・横浜/新宿
・岐阜
・広島/山口
・大阪
・仙台
・福岡/大分
それまでOCHA NORMAの単独公演といえば、東名阪でのツアーは開催されていたが、それ以外の地域での開催は今回ツアーが初めてとなった。
大好きな七海と全国各地を回ることができる。私はその事実だけでとても嬉しかった。発表されてからツアー初日まで、ずっと楽しみに過ごしていたのである。そして、ライブはもちろん、各地の美味しいご飯や名所を堪能することも楽しみにしていた。これも都道府県ツアーの醍醐味であると私は思っている。
上にまとめた通り、今回は9か所で、18公演をこなすスケジュールであった。その中で、私にとって最も印象に残った、ツアー屈指の名シーンが生まれたとも言える、新宿Renyでの夜公演について振り返りたい。日程としては序盤ではあるが、メンバー同士の絆・支え合いを強く感じた、胸が熱くなる出来事が起こったのである。
ここで、いきなりその感動話に入る前に、昨秋ツアーのライブについて、衣装やパフォーマンスなど簡単に私の感想をまとめたい。
まずは衣装から。七海が可愛くてカッコよくて、毎公演見ているだけで幸せな気持ちになることができた。そんな彼女の写真をいくつかピックアップして紹介させてもらう。
1枚目はこちら。
この衣装の七海は、アニメに出てきそうなビジュアルをしている。初回公演で彼女がステージに上がってきた瞬間に「プリキュアだ…」と思ったものである。
実はこの時というのは、オタクたちにとって久しぶりに彼女のツインテールを見れた機会なのである。なぜなら彼女は、デビュー前に長かった髪をバッサリと切り、その後はショートヘアーで活動してきたからだ。そこから少しずつ髪を伸ばしていき、もう一度ツインテールができるようになった。私はツインテール時代の七海をあまり見ていないので、今回ツアーから見れるようになったことはとても嬉しかった。
2枚目はこちら。
後ろで髪を束ねているスタイル。可愛い。好き。語彙力なし。
続いて、パフォーマンスについて。今回ツアーでは、メンバーがソロでパフォーマンスするコーナーがあった。七海が披露したのは、月島きらり starring 久住小春(モーニング娘。)「恋☆カナ」である。
可愛さに全振りした曲と可愛さに全振りした七海(全振りはしてない、彼女の魅力は可愛さだけではない)とがコラボした、私にとってはまさに至高のパフォーマンスであった。しかもありがたいことに、今回の秋ツアーで、二度も最前で七海のソロを見ることができた。本当に幸せな時間だった。最終日の公演では「もう見れないのか…」と少し憂鬱な気分になってしまった。またどこかでお目にかかるチャンスがあればいいなと願っている。
以上、ツアーについて簡単に感想を書いてきたが、ここからは本題である新宿Reny公演で生まれた感動エピソードについて語りたい。
それは夜公演のこと、ちょっとしたハプニングを引き金に、米村さんと七海との間で生まれたものである。先述の通り、今回ツアーではメンバーがソロでパフォーマンスするコーナーがあった。米村さんの出番でそのハプニングが起こる。今回、米村さんが披露した曲は「シルバーの腕時計(モーニング娘。)」であった。
イントロがかかる。そして米村さんが歌い始める。異変はそこで起こった。明らかに米村さんが歌いづらそうにしているのだ。もちろん日によって、高音が出づらいだとかそういうことはあるだろう。それこそがライブなのだから。しかし、この日の米村さんについていえば、もはや声が出ないというレベルで苦しそうにしていたのである。そして米村さんは泣いてしまう、というハプニングが起こった。
後に米村さん本人が語っているのだが、このとき自分でもびっくりしてしまったせいで、思わず涙が出てきてしまったようである。
オタクたちも狼狽している様子がハッキリ伺えたし、自分もその中の一人であった。そんな混乱の中で、ステージ袖から別のメンバーが現れた。それは七海だった。
米村さんがピンチの状況になったところで、七海は舞台袖で歌詞カードを急いで確認し、そのままステージに出てきてくれた。そして二人でパフォーマンスをして、どうにかこの苦境を乗り越えてくれたのである。
二人の友情を感じた心温まる瞬間に立ち会うことができて、私は胸がいっぱいになった。周りのオタクたちも同じ想いで、今回の話はしばらく経った後でも仲間内で擦り倒し続けたものだ。
そして、米村さん・七海の二人にとっても、このエピソードは胸に刻まれているようで、今年の2月に開催されたハロショ大阪店でのトークイベントでも本人たちから当時の状況が語られた。二人とも泣きながら当時のことを振り返っていたのが印象的であった。
仲間の窮地にサッと手を差し伸べる七海の優しさに改めて惚れたし、窪田七海というアイドルを好きになれて良かったと改めて感じたエピソードとなった。過去の記事でも書いたことがある表現なのだが、七海は優しさでできている、ということをどうか読者の皆様は覚えていってほしい。
■ 初めてのアルバムリリース
今年の1月10日、OCHA NORMAデビュー後、初めてのアルバムがリリースされた。ここでは、この期間に行われたリリイベの思い出話を記す。
昨年末、OCHA NORMAの公式から、インスタライブをやるとアナウンスがあり、私はなんとなく「リリイベの開催地発表だろうな〜」と予感していたが、まさにその通りであった。
川崎、池袋、赤池、梅田、とここまでは平常運転と私は思っていた。そのくらいなら特に苦労することもなくいけるだろうと。問題はその後だ。
次に発表されたのが宮城県の利府であった。大阪から宮城に移動なんて大変だなぁと感じた。そして最終日の開催地として、信じられない場所が告げられる。
沖縄
スマホ画面を食い入るように見ていた私だが、思わず「は?」となった。理解が追いつかなかった。混乱し過ぎて、発表された段階でどのような交通手段を用いるべきかすら考えることもできなかった。
実際、私はオタク歴が短いこともあり、交通手段に詳しいわけではない。そこで今回、あらゆる移動の手段に詳しい友人を頼り数々の知見をもらった。私の全通はその彼が切り拓いてくれている。この場を借りて感謝申し上げたい。
以下では、赤池、梅田、利府、そして沖縄で開催されたリリイベを、私がどのように辿ったか、その行程と感想を記す。いわばオタク大移動日記である。読者の皆様に、より鮮明に私の体験が伝わるように、日本地図を添えながら説明したい。
まずは1月11日に行われた赤池から。その前日には、自宅で個別イベントの参加券が入った段ボールの中身を整理し、遠征の荷造りを済ませた。このとき私は珍しくキャリーケースなんぞを持っていったのである。赤池、梅田、利府の順番で日程をこなす中で、利府が終わるまでは自宅に戻らない計画だったため、それ相応の量の荷物が必要であった。
赤池の日、私は東京を起点に朝早くからバスに乗り、愛知を目指した。いつもお世話になっているバスタ新宿を朝7時に出発し、赤池に着いたのは昼の14時頃であった。
販売開始時刻から少し遅れて到着した私は、すでに出来上がっていたオタクの列に並んだ。優先エリア入場券を購入すると、運が良いことにかなり若い番号が引けたのである。
この日は、前から2列目、かなり近い距離で七海を見ることができて幸せだった。そして私の大好きな曲である「Hello! 生まれた意味がきっとある」を披露してくれて、私の気分は最高潮になった。
気分が上がり過ぎて、調子に乗ってしまった私は、お見送り会で七海に「結婚して」と伝えた。すると、まず七海の隣にいた米村さんから「できるわけないでしょ!」とマジツッコミをもらってしまう。だがそう言われても私は七海のことが好きなんだ。ちなみに七海は「考えておく」と"優しい"返事をくれた。ありがとう。いつもこんな気持ち悪いおじさんの相手をしてくれて。
イベントが終わり、オタク仲間と夜ご飯へ行く。この日は夜行バスで梅田まで移動する必要があり、食事はサッと済ませて、シャワーを浴びる必要があった。名古屋駅の行きつけのネカフェに入り、シャワーを終えた私は意気揚々と夜行バスへ乗り込んだ。梅田に向けて出発だ。
早朝に梅田に到着し、すぐにネカフェに向かう。着替えて、日課のランニングをこなすためである。1月の早朝、とてつもなく寒かったが、半袖短パンで大阪の街を駆け抜けた。路地にたむろしていた若いお兄さん・お姉さん集団から「やばいよ、頭おかしいよ」と大声で叫ばれたが、それはどうでも良かった。
ランニングを終え、シャワーを済ませたところで会場へ向かう。この日の会場はヨドバシ梅田の地下にあるイベントホールである。実は、知り合いのオタクたちから「かなり見づらい、険しい会場」であると噂を聞いていた。
優先エリア入場券(※)の番号があまり良くなかった私は、かなりの不安を覚えた。そこで逆に思い切って最後方に下がることにした。そしてこれが功を奏した。ステージがかなり低いため、メンバーの顔しか見えないが、その顔はちゃんと見ることができた。
※ 正確には「イベント会場入場券」である。ヨドバシ梅田でのリリイベは、無銭エリアが存在せず、入場券を買わないとミニライブイベントに参加することができない。
ところで、イベントが始まる直前、私が後ろのスペースで佇んでいたとき、アップフロントワークスのスタッフさんが私の近くにやって来て「ここなら全然見えるよね!」と声をかけてくれた。私は「全然大丈夫っすよ!」と元気に返事をした。これも良い思い出だ。
この日もちゃんと七海の顔を見ることができて満足した。私は七海がちゃんと見えさえすれば、距離が近いとか遠いとか、そこまで強いこだわりはないのである。
イベント終了後は友人宅に泊めてもらい、翌朝は関西空港からの早朝便で仙台空港を目指すことになる。
早起きが得意な私は4時台に設定したアラームに一発で反応。さっさと準備をしてバスに乗り空港へ向かった。空港に着くと、既に知り合いのオタクたちが到着しており、同じ便で仙台空港へと飛び立ったのである。
仙台空港に到着し、今度は電車に乗り継いで利府へと向かった。同じ電車にOCHA NORMAのオタクたちが集まっていたことも良い思い出である。
この日の会場はイオンモール新利府であった。会場の都合で声出しができず、また優先エリアの前方は着席という、斬新な形式であった(前方が着席、というと金沢フォーラスを想起させる)。
私はこの会場、というか宮城県という地で七海に自分の想いを伝えたく、お見送り会の鍵閉めでそれを実行した。実は、宮城というのは、私がオタク人生で初めて遠征をした場所なのである(2ndシングルのリリイベで仙台を訪れた)。そのような個人的に記念すべき場所で、彼女に愛と感謝を伝えたいと思ったのだ。私は彼女の前で手紙を読み、次のようなことを伝えた。
・七海と出会ってからの人生が一番楽しくて幸せ
・こんなに好きになれた人は七海が初めて
・自分が研修生時代の七海を知らないことは残念
・そのぶん七海との今を大切にしたい
・生まれ変わってもまた七海に出会って好きになりたい
・いま一緒にいる時間を一生の宝物にしたい
私は途中、感極まって号泣してしまい、ボロボロの姿を七海に見せてしまった。大の大人にもなって恥ずかしい限りだが、どうしても溢れてくる気持ちを抑えることができなかった。
私があまりにも泣き過ぎて、鼻水も垂れていたような状況で、スタッフさんが親切にも私にティッシュを渡してくれた。その瞬間は会場からの笑い声が聞こえた。
私は自分の愛情がきちんと七海に伝わっているか、急に不安になることがあるのだ。今回その不安を拭いたくて、私は彼女に愛と感謝を思い切りぶつけてしまった。それでも、彼女は優しく受け止めてくれた。この日、私からのメッセージに対して、彼女は次のように返してくれた。
・想いを手紙にしてくれて嬉しい
・ずっと現場に来てくれて大変と思うけどありがたい
・いつも七海と大きい声で呼んでくれて本当に嬉しい、呼ばれることが好き
・どんな時も自分のことを見てくれていることをよく知っている
・ブロコメもいつも見ている
・推し変は絶対にできないね、ずっと応援してほしい
最後の約束は絶対に守ると誓っている。これからも大好きを伝え続けていきたい、七海ともっと真剣に向き合いたいと改めて決心したのである。
こうして利府のイベントも終わり、いよいよ残すは沖縄のみとなった。七海に想いを伝え切ったこともあり、私は最高に気持ちが高まった状態で最終日を迎えることになる。
沖縄のリリイベは東京を起点に当日入りをする場合、いわゆる早朝便でないと販売開始時間に遅れてしまう。私の場合、自宅からではその早朝便には間に合わないため、浜松町のホテルを予約し(今の私なら迷わず空港に泊まっただろう)、一度家にキャリーケースなどの荷物を置いてからチェックイン。いったん宮城から自宅に戻る際は、珍しく新幹線を利用した。
自宅に荷物を置き、シャワーを浴びてすぐに浜松町へ向かう。既に23時を回っており、ホテルに着いてからは急いで就寝準備をした。
迎えた翌日、この日は4時起きで始発のモノレールに乗車。羽田空港まで移動し、余裕を持って保安をくぐり抜けた。実は空港の待合室で、アップフロントワークスのスタッフさんに遭遇したので「昨日はありがとうございました」と挨拶しておいた。スタッフさんは微妙な反応をしていた。
そんな珍事件もあったが、那覇空港に向けて発つ。私は飛行機内では爆睡していたようで、気づいたら那覇が近づいていた。
そして、人生初の沖縄に辿り着く。空港では「めんそーれ」の看板が私を待っていた。
沖縄はとてつもなく暑かった。早朝にいた東京とは気温差が激しく、来るまでに着ていたフリースはすぐさま脱ぎ捨てた。1月だというのに、そんな暑さを経験できたことは新鮮であった。これも七海が体験させてくれたことなのだ。だから私にとってはその暑ささえも心地よかった。
会場に着くと、既に多くのオタクが行列を作っており、優先エリア入場券もお見送り券も瞬く間に完売してしまった。みんな沖縄への気合いの入り方が凄いなとびっくりしたものである。
OCHA NORMAとしては、初めての沖縄訪問。メンバーもテンションが高かった。最後のお見送り会では、七海がオリオンビールのシャツを着て参加してくれた。
あまりにも可愛い。ちゅき。語彙力なし。
このシャツを着ている七海を目に入れた瞬間、私も彼女とお揃いにしたくなった。オタク仲間から「すぐ近くの店で買える」と教えてもらい、すぐさま購入。いつもの窪田Tから着替えて、オリオンビールのシャツで私もお見送り会に参加した。七海とお揃いにできてとても嬉しかった。
ちなみに買ったそのシャツは、今年の5月に単独ツアーで沖縄に行った際に、オタク仲間とバーベキューをしているときに派手に汚してしまった。なので、今は自宅で寝巻きとして使用している。
ここからは1stアルバムリリイベの総括である。
6日間連続で行われたリリイベ。今回リリイベの後半戦、地方の日程が始まってからは、夜行バスでの移動や早朝(4時、5時台)の移動を強いられることになり、タフなスケジュールとなった。それはここまでに載せている移動経路の図からも分かっていただけるだろう。
それでも大好きな人に会いたいという一心で駆け抜けた。最終日、お見送り会が終わり、そして最後のメンバー挨拶も終わって、彼女たちが捌けていった後、私は達成感で胸がいっぱいになり、思わず涙したのである。感傷的になってしまった私は、その後友人と沖縄料理を食べに行った際にも、感極まり店内で涙を流した。
ちなみに、そのとき食べた料理は(全通補正もかかっていただろうが)本当に美味しかった。実は、今年の春ツアーで沖縄に行った際にも再度訪問させてもらった。すっかりお気に入りの店だ。
人生において沖縄に行く機会なんて絶対にないと思っていた。私に旅行の趣味はない。だが、七海はそんな私の思い込みを打ち破ってくれた。七海に出会って、好きになったおかげで、私の人生の楽しみの幅は、それまでとは比較にならないほど広がった。いつも新しい世界を見せてくれる七海へ、本当にありがとう。
以下に、記念に国際通りで撮影した写真を載せておく。
人生で初めての沖縄、貴女と一緒に行けてよかったと心の底から感じた。帰りの飛行機でも、この最高だった6日間のことを思い出し、何度も涙した。そして、お土産に買っていった紅芋タルトが美味しかったのである。
以上、1stアルバムリリイベの振り返りとなる。七海への愛だけでくぐり抜けた期間であった。
■ 旅の狭間に
1stアルバムリリイベが終わり、少し心身ともに落ち着いた。ここでは、次の春ツアーが始まるまでの狭間の期間について振り返りたい。まずはアルバムリリイベとほぼ時を同じくして始まった冬のハロコンについて。もう一つは、その冬ハロ後に、舞い込んできたNHKの公開収録現場のことについて記す。
● 冬ハロコン THREE OF US
2024年の冬ハロコンは全グループをチームAとチームBの二つに分け、各チーム3グループで全国を回ることになった。OCHA NORMAはチームBに組み込まれ、アンジュルム、Juice=Juiceと同じチームであった。今回のハロコンで訪れた場所は下記の通り。
・立川
・大阪
・広島/豊橋
・仙台
・神戸/名古屋
・札幌
この中で、思い出に残った広島と札幌公演について、当時の出来事を振り返る。ここではライブよりも、その前後の観光や食事の話題についてフォーカスした内容となっている。
まずは広島公演について。前日は定時に仕事を終え、準備を済ませたところで、少し急いでバスタ新宿へと向かった。広島行きの夜行バスは、その走行時間が12時間にも及ぶために、出発の時間が21時前後とかなり早めに設定されているのである。21時に新宿を出て、翌朝9時に広島に着くイメージだ。
この日、私がバスに乗り込み、席に座ると、まさかの知り合いのオタクと連番であった。そのような珍事件も面白かった。
広島に到着し、まずはネカフェに向かう。日課のランニングをこなすためである。走り終えると、私は以前から訪問したかったお店を目指した。それは「ひまわり」という広島風つけ麺屋さんである。
実はこのお店、OCHA NORMAメンバーの広本瑠璃さんが贔屓にしているお店なのである。店内には、広本さんのサイン色紙などが陳列されている。
私は定番メニューの広島風つけ麺(大盛り)を注文した。
写真をご覧の通り、麺も具材もボリューミーかつ、おにぎりも付いてくる、コスパ抜群の内容であった。もちろんつけ麺は美味しい(スープが辛くて大変良い)のだが、意外なことにおにぎりも美味しいのである。
ご馳走様を言うついでに、お店の方に「広本さんの紹介で来たんです」とお伝えしたところ、大変喜んでいる様子であった。「(広本さんは)娘みたいな感じです」と笑顔で語っていた。そしてお店を出る時には「コンサート楽しんでください」と温かい言葉をかけていただいた。
すっかり腹が膨れ、気分も良くなった私は、コンサート会場へと向かった。この日の会場は、広島文化学園HBGホールであった。とても見やすい、ステージが近くに感じられる良会場であるという印象だ。また広島で公演があった際には、ぜひ行きたい会場である。
さて、会場に到着したものの、まだ開場時間までは時間の余裕があった。そこで私は「せっかく広島に来たのだから原爆ドームに行こう」と思い、すぐに足を運んだ。幸い、コンサート会場からは近い距離にあったのである。
そして、これが私にとって人生初の原爆ドーム訪問であった。
日本人として、この場所に来られてよかったと思っている(深い意味はない)。
続けてそのまま平和記念資料館にも訪問した。展示内容は正直言ってかなりショッキングなものばかりであったが、これもしっかり受け止める機会ができてよかったと思っている。
ただ一つだけ感じたのは「これはライブ前にやることではないかもしれない」ということだ。あの展示内容を見た後で明るい気分になれる人間はいないはずだから。
資料館の展示に夢中になった私は開演ギリギリに到着になってしまったが、ライブは無事に全力で楽しんだ。この日は昼夜ともに前通路席で、視界良好だったために、しっかりと七海の姿を見ることができた。ただ、両方とも下手だったので、せめて上下を変えて欲しいとは思ったが。事務所あるあるな気がする。
終演後は、広島名物である牡蠣料理やお好み焼きをお腹いっぱい食べた。その日の夜に、夜行バスに乗って、愛知に移動しなければならなかったのに(翌日は豊橋公演)、お構いなしに暴食してしまった。お腹がパンパンの状態で夜行バスに乗り込んだので、寝付くまで少し時間がかかってしまった。だが、これも良い思い出である。
以上、広島公演の振り返りである。次は冬ハロコンの千秋楽であった札幌公演について話題を移そう。
札幌公演の前日、午前中で早々と仕事を切り上げ、ルンルンとした気分で成田空港を目指した。夕方早いうちに成田を発ち、真冬の札幌へと飛び立った。
2月下旬の札幌は凄まじい降雪であった。特に私が訪れた日程では、地元民も驚くほどの降雪量だったそうだ。雪で道が覆われ、いったい歩道がどこにあるのかすらわからないレベルで雪が積もっていたのである。
雪国を舐めていた私は、普段使いの運動靴で闊歩。一瞬で靴がグシャグシャになり、しかもとてつもなく冷たい。身体的には少し負担はあったが、実のところ心の中では、このような体験ができて喜んでいたのである。東京にずっといたら経験できない、新鮮なものだったからだ。これも感動体験の一つである。
宿にチェックインし、すすきのエリアへと向かう。飯散策である。まずは、札幌のソウルフードと言っても過言ではない、みよしのに入った。
餃子とカレーという、ここならではの組み合わせと思う。私はここに札幌を感じるのである。
次に私のお気に入りのラーメン屋である信玄に向かった。信玄はとにかく並ぶ。夜遅くに行くと2時間近く並ぶこともザラである。この日もそれは例外ではなく、私は雪が降りしきる中、行列に並んでみせた。厚手の上着を着ていたが、とても寒く、とても長い耐久であった。だが、無事に店内に入ることができて、お目当てのラーメンにありつけた。
これまで札幌には何度も訪れているが、毎回のように信玄に行っている。そしてその度にこのような信玄チャレンジを乗り越えているのだ。
私はいつか七海にも信玄のラーメンを食べてほしいと思っている。美味いぞ。
信玄チャレンジを終えた私は宿に戻り、翌日のコンサートに備えることにした。ちなみにここで、知り合いのオタクと同じ宿でバッタリ遭遇し、爆笑するという珍事件が起こったのである。
そしてコンサート当日、残念なことに一階席の一番後ろで、かなりステージは遠かった。それでも双眼鏡を駆使して七海を見たり、いつも以上に大きな声で「七海ィイイ」と叫んだり、与えられた環境で自分のできる限り全力で楽しんだ。
ありがたいことに、翌々日の個別イベントで、七海から「本番映像に『七海ィイイ』入ってたよ!」と笑いながら話してくれた。これは流石に私も笑ってしまったが、大変嬉しいことであった。
実は、冬のハロコンは元々全通するつもりはなかった。OCHA NORMAの出演時間が短い中、全て行くことに対して、少し辛さがあるだろうと思ったからである。しかしながら、それよりも七海に会えないことの方がやはり辛く、結局我慢できずに、全て行くことにした。結果としては、行ってよかったという気持ちしかない。
さて、以下はオマケ談だが、札幌ハロコン翌々日の大阪での個別イベントの際に、オタク仲間から次のようなものを渡された。
実はかなり嬉しかったので、ちゃんと記念に取っておいてある。しかし、これをもらった後に、個別お話会で七海から「ハロコンも全部来てくれてありがとう」と言われたことの方が嬉しかった(そりゃそう)。
ハロコンでOCHA NORMAの出番が少なかろうと私は楽しめる。七海がいればそれだけで大丈夫なんだと思った。そんな冬のハロコンであった。
次は3月初に行われたオタク参加型のNHK公開収録イベントについて記す。
● NHK公開収録 アニ×パラ
NHKの公開収録は山梨で行われた。パラアスリートの活躍を取り上げた企画に、OCHA NORMAから米村さん・七海の二人が出演することになった。パラバドミントンが今回の主題であった。
この日、どうしても最前で見たかった私は開場時間よりもかなり早く会場前で待機することにした。この待機している間に、米村さん・七海と運良く(悪く?)遭遇してしまう。そこで、二人がスポーツウェアを着ていたことから、一緒にコートに立てることを確信し、期待が高まった。
何よりスポーツウェア姿の七海が可愛すぎて、似合いすぎて、完全にヘラヘラしてしまった。開場一番乗りで会場入り、無事に最前中央を確保した私は、今か今かと七海の登場を待つ。ハローの現場ではないが、私はいつも通りお構いなしに窪田Tを着て、気合を入れ七海を応援することにした。
イベントが始まり、米村さん・七海の二人が登場した。先ほど見たスポーツウェア姿で、やっぱり七海が可愛かった。
今回のイベントのテーマは、パラバドミントン。現役、OB・OGのパラアスリートたちが世界レベルの技術を披露し、OCHA NORMAの二人も車椅子バドミントンに加わり、スポーツの楽しさを共有する、そんな素敵なイベントであった。
実はバドミントン経験者である七海。アスリートたちとのラリーの中で、"らしさ"を見せつけ、躍動してくれた。
収録の後半では、観客がアスリートのスマッシュを受けるという企画があり、挙手制であったため、私は迷わず参戦した。先に並んでいた人たちがコート入りし、アスリートのスマッシュを受けていた。
その様子を見ていた私だが
あれ?これ絶対に返せなくない?
という感想しか抱けなかった。現に私の前まで誰も打ち返すことができていない。そもそも私は、生まれたこのかたほとんどバドミントンなどやったことがないのだ。
ついに私の出番が回ってきた。緊張しながらコートに立つ。コートのすぐそばにいる七海に「頑張るよ」とジェスチャーをした。そして、スマッシュが放たれる。
いや、無理ぃいいい!!!
大好きな推しに見守られながら、私は盛大にラケットを空振りした。私はこの日もいつも通り窪田Tを着ていたので、空振りした後、共演者だった武井壮から「窪田さんのオタク撃沈!」と美味しくいじってもらえた。七海は「ドンマイ」という表情をしていた。だから良しとしよう。
もちろん七海とラリーをしたわけではないが、推しと同じコートに立てるという本当に貴重な経験をすることができた。収録も2時間近くあって、ボリューム満点、充実の現場であった。
イベントの帰りには、山梨の名物であるほうとうをいただいた。濃いめの味付けで、本当に美味しかった。今年の秋ツアーでも山梨に行くので、また食べたいと思っている。
本当に楽しい公開収録で、こんな時間をくれた七海に感謝したい。またあればぜひ行きたいものである。
以上、1stアルバムから春ツアーまでの狭間の期間について振り返った。ここまで、ただの日記じゃないかと思われるかもしれない。確かにそれは認めるが、このような日記を書けるのも、上で書いたような体験を私に与えてくれる七海がいるからなのだ。彼女が私の人生に新しさをもたらしてくれる。そこに感謝をしている。読者の皆様については、どうかその点をわかっていただきたい。
■ 再び全国制覇の旅へ
ここからは今年の4月から始まった47都道府県ツアーについて振り返る。昨年の秋ツアーの続きという位置付けであり、大幅に公演数が増加した(昨秋:18 → 今春:44公演!)。かつ関東現場はゼロということで、関東在住のオタクからすれば(もちろんメンバーからしても)、相当タフな日程をこなす必要があった。
今回のツアーで回った場所は以下の通りである。
・大阪
・京都/滋賀
・高松/松山
・小樽
・大阪/神戸/名古屋
・盛岡/山形
・沖縄
・松江/米子(※)
・熊本/福岡
・岡山/京都
・高知/徳島
・佐賀/長崎
※ 先述の通り、米子公演は中止となった
22箇所44公演という凄まじい日程でツアーの日程が組まれた。あまりお金の話を持ち出すことは憚られるが、もしこの日程を全て申し込んで当選した場合、支払い金額が30万円を超えてしまうために、コンビニ支払いができなくなるという事態が発生したのである。
交通費もこれまでのツアーとは比較にならないほど負担となった。私は基本的に移動は夜行バスで済ませ、費用は抑えるようにしているが、それでも現場の数が多いために、どうしてもある程度はかかってしまう。そして、夜行バスでは行けず、飛行機を使わざるを得ない場所も多数あった。
だが、七海に会いたいという思いが、そのような障壁さえも打ち砕いてくれる。秋ツアーに続き、私は全ての公演に入ることができた。
以下では、特に印象に残った(楽しかった)、高松公演、沖縄公演、それから福岡公演について詳細を記す。
いかんせん今春のツアーは行った場所が多いだけに、ここに書きたいこともたくさんあるのだ。少し長くなるだろうが容赦してほしい。
● 高松公演
まずは高松公演から。今回ツアー日程が発表された際に、四国エリアの名前を見たとき、私は大いに喜んだ。なぜなら私は人生で四国に行ったことがなかったからだ。またしても、七海が私を新しい場所へと連れて行ってくれたわけである。
人生初の四国ということで大変心が踊った。やはり行ったことのない場所、それも普段なかなか行けない場所に行けることはワクワクすることであるし、四国といえばご飯が美味しいという事前情報も仕入れていた。私が現地で食べたものについては、後ほど紹介しよう。
4月20日、この日はメンバーの石栗奏美さんの誕生日であり、その前日には山野ホールでバースデーイベントも開催されていた。その1週間と少し後には、小樽での公演も控えており、いわば石栗さんスペシャルとも呼べる期間を過ごしていたのである。
少し話は逸れるが、現場にいると、やはり石栗さんのオタクというのは士気・情熱の高さをヒシヒシと感じさせてくれる。それはこの高松公演の日も例外ではなかった。それに拍車をかけるように、この日はライブハウス内の空調が壊れており、半ばサウナ状態でライブを迎えることとなった。これが逆にオタクたちの(メンバーたちも?)バイブスを上げることに繋がったのではないかと勝手に思っている。尋常ではない盛り上がりだった。
大変運の良いことに、この日の夜公演、私は最前で見ることができた。ライブハウスのような近い距離で、大好きな七海のパフォーマンスを見ることができて本当に本当に幸せだった。これ以上に幸せなことはないのだ。
終演後は、幸せな気持ちいっぱいになりながら、美味しいご飯にありついた。やはり香川県に来たということで、うどんは絶対に外せなかった。それこそ、ツアーの申し込みの段階からリサーチを行い、行きたいお店を検討していたのである。友人の紹介もあり、私は次のお店に訪問した。
私が注文したのは納豆カレーうどんである。
とにかくめちゃくちゃ美味かった。紹介してくれた友人へ、この場を借りて感謝申し上げたい。
このようにライブもグルメも堪能することができて、充実の現場となった。まだまだ、ツアーの序盤ではあったが、いきなりピークを迎えた感覚であった。四国現場には無限の可能性が眠っていたのである。
以上、高松公演についての振り返りとなる。
● 沖縄公演
続いて沖縄公演について。5月18日が公演日ということで、先にも記した1月のリリイベの時から、そう長くないうちに再度沖縄へ訪問することになった。
この日の会場は、ミュージックタウン音市場というところで、那覇空港から車で40分程度のアクセスだった。オタク仲間と空港で落ち合い、その後はレンタカーに相乗りし、空港から会場まで向かったのである。初めは意気揚々と運転席に座った私だが、あまりの運転スキルの無さに、運転手クビを言い渡され、あっという間に交代。その節は本当に申し訳ございませんでした。
会場に着く。まずはグッズ購入列に並び、会場限定販売のステッカーを手に入れた。
この日は初めてメンバー集合写真がプリントされたステッカーが販売されたのである。やはり沖縄ということでスペシャル感が演出されていた。
いよいよ入場の時が来た。昼公演はそれなりに若い番号だった私は前から2列目で見ることができた。この会場はステージが高く、フロアも広々としていて、とても見やすかった。ライブハウスというのは、時にステージを見ることさえも厳しい状況に置かれることもあり(私は背が低いため尚更
なのだ)、このようなつくりの会場は私にとっては大変ありがたかった。
夜公演は思い切って後ろの方で、周りに人がいないような場所で見ることにした。一人で何人ぶんものスペースを使うことができる。大きな動作で振りコピをしても迷惑にはならないので、ストレスなく楽しむことができた。たまにはそういった楽しみ方もアリなのである。
この日はセトリ変更があり、「ちょっと情緒不安定? …夏」が組み込まれた。沖縄公演は春ツアー折り返し地点であり、かつ「沖縄」という特別な場所であるから、ちょっと変化球が来るんじゃないかと期待していたが、その通りになってくれた。イントロがかかった瞬間に喜びを爆発させたことをよく覚えている。
終演後は、オタク仲間と国際通りに向かい、沖縄料理を囲んだ。私が1月のリリイベで行った際に気に入ったお店を再訪させてもらった。この日は宿泊することにしていたため、時間に余裕があり、思う存分沖縄料理を堪能することができた。シークワーサーのサワーがとても美味しかった。
公演翌日はオタク仲間と観光したり、海の近くでバーベーキューをしたり、リア充(死語)みたいなことをしていた。リリイベで訪れた際は弾丸日程で、観光する時間など一切なかったので、今回こうしてゆっくりと沖縄を満喫することができて良かった。
以上、楽しい思い出でいっぱいの沖縄公演であった。
● 福岡公演
最後に、福岡公演について振り返り、春ツアーの話題を締めることにしよう。
まず、メシの話をする。ライブの話はその後だ。
福岡公演の前日には熊本で公演があり、私はその翌朝早くにバスで福岡の天神まで移動してきた。10時前には到着していた私だが、早く来たかったことについては理由があったのだ。
その理由とはお気に入りの天ぷら屋「ひらお」に行くことである。ひらおは福岡にのみ存在する天ぷら屋である。私は数年前、仕事の関係で福岡に短期滞在していた際に、ひらおで天ぷらをいただき、すっかり虜となってしまった。
しかしながら、それ以降の私と言えば、仕事で福岡に来る用事はほとんどなく、オタクになってからも、ハロコンや昨年の秋ツアーで訪れた際、時間をうまく作ることができずに行けずじまいとなっていた。
ゆえに今回、ひらおの天ぷらにありつけるのは数年ぶりとなったわけである。気合いの入った私は、開店30分前から列に並び、無事に一巡目で入店することができた。
このひらおでは、職人がその場で揚げた天ぷらがひとつひとつ運ばれてくる仕組みになっている。そのため常にアツアツ、できたての天ぷらをいただくことができるのである。
天ぷらが美味しいのは勿論のこと、ひらおにはもう一つ名物と呼べるものが存在する。それはイカの塩辛である。居酒屋で出てくるような一般的な塩辛とは異なり、そこまでしょっぱくなく、柚子が利いていて、サッパリした味わいとなっている。このイカの塩辛だけで、大盛りご飯を一瞬で片付けることができる。それくらいクセになる味なのだ。
この日、私は少しだけ課金をして、イカの塩辛を大盛りにした。皆様もひらおに行かれた際は、ぜひ大盛りにして注文してみてほしい。絶対に後悔しないはずだ。
以上、メシ談義であった。ひらおは本当にオススメのお店だ。
こうして、数年ぶりにひらおで食事を楽しんだ私はとても上機嫌で、しかもこの日の夜公演は最前で見れる整理番号を引いていたために、すこぶる気分が良かった。
以下では、その夜公演の思い出について振り返りたい。
この日の整理番号は10番台後半、サブではあるが無事に最前のポジションを確保し、開演まで長い時間を待つことになった。福岡公演は入場時間が、他の公演に比べて15分長かったのである(通常は30分、福岡は45分)。
春ツアーでは、ステージにおける七海のポジションが、ライブ後半に進むにつれて下手から上手メインへと移り変わっていた。特にアンコール一曲目の「今じゃなきゃ、君じゃなきゃ」では、最上手に七海が立つフォーメーションとなっており、私はその正面になれるように位置取りしていたのである。
「今じゃなきゃ、君じゃなきゃ」のパフォーマンス後は、最後のMCコーナーであった。このとき七海が新しいことに挑戦したいと言い、それはファンのみんな一人ひとりにウィンクをしていくということだった。
本当にやるのか?とか思ったけれども、彼女はそれを実行した。私は最前にいたということもあり、かなり早いタイミングでウィンクをしてもらうことができた。彼女がとても楽しそうにそれをやるので、私もニコニコで見守っていた。とても温かい空間だったと思う。
私はそのような彼女の健気に物事に取り組むところが大好きだし、とても愛おしいと感じた。やっぱりちょっと照れ臭そうにしていたところもキュンキュンしてしまった。実は恥ずかしがり屋さんな彼女がとても可愛くて好きなのである。
その日のブログがこちら。
とても楽しそうな様子が伝わってくるではないか。実際、本当に良い表情をしていたと思う。ぜひ機会があれば、また挑戦してほしいと思う。
終演後は急いで福岡空港に戻り、お土産屋さんで私の好きな博多通りもんと筑紫もちを買って帰った。帰りの飛行機では、楽しすぎたライブのことを思い出し、また涙したのである(七海を好きになってから涙もろくなった)。
以上が福岡公演の振り返りとなる。九州でやる公演はいつも楽しい。そしてご飯も美味しくて幸せな気持ちになれる。また七海と行けるそのときを楽しみにしている。
■ おわりに
最後に七海へ今伝えたいことを勢いに任せて書いていく。あえてあまり推敲もせずに。
昨秋のツアーが始まってから、今日(執筆時点:2024年9月)に至るまで、本当にたくさんの思い出を七海と作ることができている。時間を巻き戻してもう一度やり直したいと思えるそんな日々を過ごしている。
これは七海本人に何度も伝えていることだが、私はやっぱり七海に出会ってからの人生が一番楽しくて幸せだ。直接言葉でも伝えているし、ブロコメや手紙でもずっと伝え続けている。
誰もがこんな素晴らしい時間を過ごせるわけではないことを私は知っている。本当に「私」は「私」として生まれてきて良かった。心の底からそう思っている。そして七海が七海として生まれてくれて良かった。アイドルになってくれて、私と出会ってくれてありがとう。常に感謝の気持ちでいっぱいだ。
これは残念な話だけれど、今過ごしている時間がずっとは続かないということを私は理解している。だから絶対に後悔しないように、自分のできる限り精一杯、真剣に貴女と向き合いたいと思っている。
そして、私よりも七海自身が悔いのない、幸せな時間を送ってほしいと願っている。こんな偉そうなことを言うけれども、オタクができるのは心で強く願うこと、少しでもたくさん現場に行くこと、好きだとかありがとうだとかを伝えること、そんなことくらいしかできやしない。しかしながら、そんな小さなことが、貴女の幸せに少しでも繋がるというなら、貴女が笑顔になれるというなら、私はこれからも私にできることをやり続けたい。
貴女のアイドル人生は一回きり、ならば私のオタク人生も一回きりで十分。その覚悟でこれからも私は貴女に愛を届ける。
月並みな言葉だが、これからもどうぞよろしく愛しています、ということで貴女へのメッセージを締めたいと思う。本当にいつもありがとう。
ここまで読んでくれた読者の皆様も本当にありがとう。だらだらと長い日記で、面白みもなかったかもしれないが、少しでも私の七海に対する愛や感謝が伝わっていれば嬉しく思う。
まだまだ私の冒険は終わらないので、これからも楽しみに(?)していてほしい。それでは。