大学生活4年間を北海道(オホーツク)で過ごしました
はじめに
3日前に北海道の農業大学を卒業した者です。専攻は香りの化学で、大学時代は植物のフキの香気成分を分析していました。冬は極寒、夏は灼熱なオホーツクという地域に4年間住んでいました。今は函館から青森行きのフェリーに愛車とともに乗っており、関東を目指しています。フェリーに乗っているうちに大学四年間の思い出やエピソードが色々と溢れてきたので、フェリーの窓際で海を眺めながら北海道の思い出を残しておきたいと思います。
ちなみに大学を卒業したあとは、春から新卒Webエンジニアになります。香りの研究をしていた大学生が新卒でWebエンジニアと謎なことだと思いますが、この記事を読んでいただければ分かるかもしれません。
初めて記事を書くのでつたない文章ですがご了承ください。めちゃめちゃ長くなってしまったので時間に余裕がある時に読むか、ちまちま読むことをおすすめします(笑)
こんな方におすすめ
大学を北海道や、親元からかなり離れた距離で過ごす予定の方
オホーツクの大学生に興味のある方
北海道LOVEな方
地方での大学生活に不安を抱えている方
時間に余裕のある方
それでは… 思い出話をつらつらと記録していきたいと思います。
大学一年生
高校を卒業してすぐに親元をかなり遠く離れ、(一年に一回帰省できれば良い位の距離)初めての一人暮らしがスタートしました。僕自身は北海道に行くことに対し、かなりワクワクしており、一人暮らしも謎の自信がありました。はじめは自炊をたくさんして料理男子になってモテるぞ!なんてことも考えてましたが…大学一年生の頃は生活と学校に慣れるのに必死で恋愛なんて一ミリもできませんでした(笑)
人生で初めてのアルバイト
大学生活が始まりすぐの4月末、人生で初めてのアルバイトに挑戦しました。僕の人生で初めてのアルバイト、それは…ホタテバイトでした。ホタテバイト?なにそれ?と思う方が9割だと思います(笑)
ホタテバイトというのは簡単に行ってしまうと漁師さんになってホタテを育てたり出荷したりするバイトです。僕の大学ではかなりの人がホタテバイトをしており、漁師さんとの繋がりもかなり深いものとなっています。僕が住んでいたオホーツクでは街全体でホタテを育てる雰囲気がありました。高齢化も結構進んでいる地域でしたので大学生はかなりの戦力になるわけです。ちなみに夜勤勤務や仕事量はかなり過酷ですが、お給料は関東のアルバイトよりももらえます。ホタテバイトがなかったら大学生の僕たちも生きていけませんし、オホーツク地域も大学生を即戦力としてかなり雇っているためお互いWinWinの関係です。
地域の方々は大学生に対して息子や孫のように接してくださり、学生はみんな幸せな環境で働かせていただきました。ちなみに賄いなどでホタテ大量、他にもお魚や野菜などをもらうことができていたため、食生活には困りませんでした。
定期バイトに挑戦
ホタテバイトに慣れ始めた頃、冬になるとホタテバイトが一旦おやすみになるため、(流氷で漁ができません)一年を通してお金を稼げる定期バイトを探すことにしました。ホタテバイトもそうでしたが定期バイトも先輩からの紹介で、焼肉店のオープニングスタッフを募集しているとのことだったので焼肉店のオープニングキッチンスタッフとして働くことにしました。
ここが僕の大学人生の転機でした。(人生の転機と言っても過言ではない)
大学時代の転機その1 〜店長との出会い〜
バイト先の焼肉店で初めて会った大人は店長でした。当時、店長はオープン前から寝る間も惜しんでオープンの支度を進めていました。オープン後、お客様からかなり多くのありがたいご指摘を頂いて、毎日どうすればお店がよくなるのか考えつつ、現場ではバリバリ働き、バイトの僕たちとはコミュニケーションを密接にとる、まさにプロだなぁという店長でした。僕は店長と一緒に働いて、閉店後賄いを笑いながら食べるためだけにバイトに行っていました。(笑)
この後4年間、オホーツクを出るまでお世話になり続けるのがここで出会った店長です。
初めての極寒オホーツク
11月ごろから雪が振り始め、年明けの1月にはコンビニよりも高い雪の山がセイコーマート(北海道のコンビニ)の隣にできているような冬が訪れました。その後2月には流氷でオホーツク海一面が真っ白になっていました。流氷とともに街全体がマイナス10℃以下の冷凍庫に入れられたような気温になります。路面はブラックアイスバーンでつるつる、外に出るともはや顔が痛いそんな環境でした。
そんな中でも、バイト後の帰り道にバイト先の同期とみんなでクロックスを履き、ツルツルの道路でスケートをしながら帰ったりする田舎の青春をしていました。懐かしい。意外と寒さには慣れます。
僕の大学では半数がスノボを始めとするウィンタースポーツを楽しみ、半数は家の中で、超強力ストーブのおかげで夏よりも温かい部屋で過ごすような感じでした。僕は家で引きこもるのが割と好きなのでバイトや旅行以外は
家に引きこもってぬくぬくしていました。(笑)
大学二年生
ガラリと変わった環境
大学二年生になってすぐにコロナ禍に入りました。僕の大学も世間の流れに従って対面授業が禁止、オンライン授業の一年でした。僕の大学は実習がかなり多い大学でしたのでもちろん実習もオンラインになりました。僕の場合先生が実験をやっているのを画面越しに見るだけのオンラインの実験とかをやっていました。謎ですね。在校生が団結して署名を集め、実習を対面にすることを懇願するSNSの学生運動的なものも起こっていました。現代っぽいですね。
バイトに関してはホタテバイトは生き物を扱っているので、コロナ対策をした上で通常通りアルバイトがありました。関東の友人はバイトが無くなったりしている中、ここはかなり有り難かったです。
一方、一年の頃にオープンした僕のもう一つのバイト先はコロナの大打撃を受け、お客様が来ない日もあったり、シフトがほぼなくなったり、かなり辛い一年を過ごしました。
こんな時でも店長は諦めず弱音を(僕たちバイトには)一切吐かず、常にイベントなどを企画していました。そんな店長をかなり近い距離で見ていた僕は、そんな仕事の向き合い方に大きな影響を受けました。
大学時代の転機その2 〜将来への不安〜
例のごとくコロナ禍で情勢が急速に変化し続ける世の中に対して、僕には焦りがありました。このままバイトだけして大学生活を過ごしていたらこの社会に対して僕は何もできない、店長のように何か自分に他に専門的な武器が欲しい。そう思うようになっていました。そこで農業の記事を見ていた時に、ある記事に巡り会いました。
それがこちら
こちらの記事は元組み込みエンジニアが、きゅうり農家の母のためにAIを使用したきゅうりの選別に挑戦するという記事でした。じゃがいも農家のバイトでじゃがいもの選別をしたことがあった僕にとっては、AIで選別作業をするというのはかなり衝撃を受けたシステムでした。
この時、僕はこれから自分が社会に出る世の中は、このようなシステムが当たり前に農業や地方で活躍していくような世の中になっていくと謎に確信しました。
時間があるならこのような技術を自分自身が見につけて地方や農業、社会に対して何か影響のあるものを作って恩返しがしたい
と大学2年の僕はなんとなく思いました。そして、それは少しずつ現実に変わっていきました。
大学時代の小さな挑戦
ここで僕はまずプログラミングを勉強し始めました。何から始めたら良いのかわからなかった僕はとりあえずホームページを作るWeb制作の勉強をしていました。HTMLとCSS、JSとか…
でも作りたいものがホームページではないのにWeb制作側の勉強をしていたので一度挫折することになりました。(笑)
【番外編】 プライベートも充実
大学二年生になり、バイトにも大学生活にも慣れ始めた頃、彼女ができました。同じバイト先のオープニングスタッフでとても仲が良かった友達でしたが、彼女になりました。ちなみにこのあと1年半ほど付き合うことになるのですが、バイト内ということもあり、付き合い始める時にバイト先に迷惑をかけない、プロのバイトを目指すためにバイト仲間や友人に付き合っていることを隠し通すというやばい約束を彼女としました。結果的には別れるまで確信的にバイト仲間にも店長にもバレることはありませんでした。多分。
バイトもプライベートもかなり多くの時間を一緒に過ごしていた彼女だったので、良い思い出です。
そんなこんなで人生で一番家に引きこもっていた一年が終わります。
大学三年生
大学時代の大きな挑戦
大学三年になる直前の3月、インスタグラムで興味深い広告を見つけました。それはこちらのプロジェクトの募集をしているという広告でした。
『CODEGYM Academy』今でこそ有名になってきたプロジェクトではありますが、当時は一期生を募集しており、たまたまこのプロジェクトを知ることになりました。インスタやっててよかったぁ。(笑)
このプロジェクト、何がすごいのかというと…
スポンサー企業さんなどのスポンサー料で成り立っているので完全無料(今はデポジット制があるみたいだけど無料に変わりはないはず)
ハーバード大学のコンピューターサイエンスの講義(CS50)をピアラーニングを通して学ぶことができる
開発手法やデータベース、テストなどの授業を現役エンジニアから学ぶことができる
オンライン上で同じ年代の大学生とチーム開発ができる
希望者にはエンジニア就活のサポート
スポンサーにGMOさんやGoogleさんなどの大企業がついており、信頼できそう
以上の点がどこにもないプロジェクトで、僕にとってはとても魅力的でした。プログラミングを二年生の頃に学習し、一度挫折した僕でしたが、二年生の頃に抱いた思いに変わりはありませんでした。
無料だしとりあえずやってみよう。ついていけなくなったら自分で学習しよう。そんな感じでとりあえず応募しました。締め切り3日前とかに広告を見つけたので、ギリギリで応募し、5月から毎週土曜日は朝9時から一日中Zoomやdiscordで、CSの講義を見たり毎週変わるチームで講義の内容や課題について教えあったりする生活が始まりました。
ちなみにホタテバイトも焼肉店のバイトも続けており、6月からオンラインのインターンなどにも参加していたため、目の下には常にクマがありました。(笑)
この頃、記事で見たきゅうりの選別AIのじゃがいも選別AIシステムをインターンを通して開発しました。(現実ではなくPC上で)
寝る時間がない夏休み
夏休みに入り、大学に行かなくて良くなったため、毎日9時〜17時くらいまでオンラインインターンを入れ、夜は焼肉店で働き、2時からホタテ漁に向かい、寝る時間はスキマ時間で取るというキチガイな生活をしていました。この頃、店長からは「ホタテキチガイ」と呼ばれていました。(笑)
もちろん土曜日のCODEGYM Academyも毎週やってきますし、それまでに課題を平日に終わらせるという修羅の道を渡っていました。この頃は寝る時間はありませんでしたが、謎に一人で楽しくなっていました。体力だけは自身があったので気合で乗り越えたような感じです。
バイト先の変化
焼肉店のバイトはオープンから一年半ほど経っており、仕事の幅もかなり広がっていました。店長とも信頼関係が築き上げられ、焼肉店も軌道に乗ってきており、安定してきた時期でもありました。そんな時、店長から店長が今の店を辞めて、別の居酒屋で焼き肉店のオープンをすると衝撃的な事実を聞かされました。店長と働いたり話したりすることがモチベーションだった僕はどうすれば良いのか本当に迷いました。ここは大学時代の分かれ道だった気がします。
決心
店長と働けなくなってしまう。その事実を受け入れられなかった僕は密かにある決心をしました。
「僕も店長について行きオープンのお手伝いをする」
当時のバイト仲間とかなり仲が良かった僕にとっては大きな決断だった気がします。バイト仲間から見たら店長について行き、自分だけ店長のいなくなった後の店をサポートすることなく逃げる様に見えても仕方ない行動だと思います。この時は本当に複雑な心境で、深夜に一人でドライブしながらどうすれば良いかずっと考えていました。(笑)
店長も僕のことを察してくれて、店長の方からも一緒に仕事をしないかというお誘いが来ました。
結果的に僕は夏休み明けから焼肉店のオープンスタッフ兼居酒屋のスタッフという肩書になりました。二度目のオープンスタッフだったので仕事に関しては何も不自由なく仕事をさせていただきました。
しかし、前のバイト先の焼肉店のスタッフとは会話をすることが少なくなってしまい、たまに会った時に話す程度の仲になってしまいました。これは寂しかったなぁ。
「何かを得るには何かを失わなければならない」と自分に言い聞かせ、自分で選んだ道を全うしました。きっとこの先の人生はこのような大きな選択をすることは何度もあると思うので、ここでの考え方や行動は自分にとって良い経験になったと思っています。
全力投球の就活
時は流れ、12月〜3月にかけてエンジニア就活が本格化しました。寝る時間がない夏休み中、僕はCODEGYM Academyのチーム開発や個人開発で、初めて自分のスキルを形にする経験をしました。そこでエンジニアとしての働き方を意識するようになり、エンジニアとして自分が成し遂げたいことなども明確になってきました。また、北海道の田舎で過ごし、自分が生産者として働いたり、漁師さんや農家さんと話したりするうちに
地方の生産者が手塩にかけて作った美味しい食べ物をもっと多くの人に味わってほしい、できれば日本だけでなく世界中の人に味わってほしい
という大きな野望が生まれました。そのために、自分がエンジニアになって技術を使って実現したいと考える様になりました。
そこを起点としてIT企業のエンジニア職に絞り、就活をしました。ユーザーのことを常に考えながら開発をしたいという気持ちが強かったため、Web系の自社開発企業を中心に企業を受けていました。結果としては自分の価値観とも近い、Web系自社開発企業に内定が決まり、4月からそこで働かせていただくことになりました。田舎者にとっては東京の大人と話すという機会がなかったのもあり、色々な企業の方のお話をお聞きすることができ、就活がとても楽しかったです。
大学四年生
研究室とホタテ生活
就活が一段落し、研究室に毎日通い始めました。今まで就活を最優先にしていたため研究室活動はほとんどできておらず、実験操作もあまりわかっていない状態で1からスタートしました。研究室に通い始め1週間が経とうとしていた時、大学院の先輩から来週から3年生がチームごとに実験をしに来るから、その指導をして欲しいと3年生の指導係に任命されました。その日、実験操作を1から全て叩き込まれその三日後から知ったかぶりをしながら3年生に指導をしていました。(笑)ちなみに3年生は20人近くいて、ほとんどを自分が担当していました。結構きついことをやらされてるなぁと思いながらも、こなせてしまった自分に正直驚きました。ここで学んだことは自分の限界を決めないことと、人に教えることが一番自分の身になるということです。何回も3年生に指導していたため、今でも覚えています。(笑)
同時に最高学年としてホタテバイトに参加していたため、後輩からはベテランのように扱われ、そこでも後輩の指導をしていました。後輩の前できついなんて言ってられなかったので当たり前のように夜中はホタテバイトに行き、昼間は研究室で実験をする生活を続けていました。忍耐力と精神力はかなり強くなった気がします。ホタテバイトでお世話になった漁師の方や番屋の女将さん、親方にもご飯をごちそうしてもらったり、色々な物をもらったり、とても可愛がってもらいました。大学生を戦力と見てくれていたので本当に幸せだなぁと思いながら働いていました。
夏はキャンプ
北海道に来て出来た趣味、キャンプです。大学2年生の頃にキャンプ道具を一式そろえ、ソロキャンプによく行っていました。そこから大学4年生まで、北海道のいろんな土地に行き、その土地の牛の肉を焼き、その土地の空気を吸い、その土地の景色を眺めながら寝るということを毎年続けていました。最高のリフレッシュでした。
フルマラソン完走
何でもやってみたがりな自分なので、網走でオホーツク網走マラソンが3年ぶりにリアル開催されると決定した時、すぐに走ることを決意しました。大学一年生の時、ボランティアとして参加したこの大会ですが、ネットの口コミで日本1位のマラソン大会となっており、網走の人のあたたかさを感じる事ができるマラソン大会です。気になった方は是非。
北海道酒蔵巡り
卒業直前に日本酒にハマり、北海道の酒蔵を巡っちゃおうという思いつきで北海道のほとんどの酒蔵を巡りました。毎日、その土地の酒蔵・酒場でその土地の人と飲むその土地のお酒、とても美味しかったです。20代が一人で酒蔵を巡っているというのが面白がられ、北海道各地の地元の人と結構仲良くなりました。(笑)
別れ
最後に卒業です。北海道での生活が楽しすぎて来てほしくなかった卒業でしたが、ついに迎えました。ちゃんと大学を卒業できたのはおめでたいことでしたが、ここで出会った人との別れがとても寂しかったです。地元の人に息子のように可愛がってもらったので、僕のために送別会などもしていただきました。本当に嬉しかった。最後に店長との別れになりますが、最後までポジティブに送ってくださった感じ、やっぱり店長だなぁと感じました。店長に頂いたお手紙に「お前は俺の誇りだ」という一文が書いてありました。嬉しくて泣きました。その名に恥じぬよう、もっと大きく成長していこうと決心して北海道を出ました。
最後に
僕を成長させてくれてありがとう、オホーツク。これからもっと大きな人間に成長していつか恩返しができるようにまだまだ頑張り続けます!!
ここまで読んでくださった方がいらっしゃれば最大限の感謝を贈ります!
ありがとうございました!!
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