
「良い・悪いを決めない」ー生きづらさをほどく考え方
生きづらい、生きてて息苦しい、しんどい
と感じている人に共通している一つに
良い悪い、マルかバツか
2択でジャッジしている
というのがあります。
わたしたちは幼い頃から
マルバツを付けられて育ってきました。
たくさんマルが付いている方がヨシとされ
マルをもらえるように頑張ってきました。
よって、何でもかんでも
ジャッジする癖がついてしまっているように
感じます。
たとえばこんな感じに・・・
今日は効率的に動けなかった。
ゴロゴロ寝て過ごし、1日を無駄にした、、、
(×)
アレやろうと思ってたのに
結局できなかった、何も成せなかった。
(×)
またこんなにたくさん食べちゃった。
(×)
あ〜〜もう!
なんで自分っていつもこうなんだろう!
・・・
◯◯だからダメ
◯◯だから良くない
はたまた
◯◯だからヨシ
◯◯なら大丈夫
この"ジャッジ"というものは、行きすぎると
自分を必要以上に縛り苦しめてしまうので
おすすめしません。
ジャッジは自己否定につながります。
1日ゴロゴロしたことに対して
「ムダ」というジャッジを下していることは
潜在的に
「1日を有意義に過ごせない自分はダメである」
と言っているようなものです。
息苦しいあなたへ
1つの"考え方"を授けます。
目の前の出来事
それが良いか悪いか
マルかバツか
そんなことはどうでもいいのです。
そこには事実があるだけです。
今日は家事をほとんどせず
ゴロゴロ横になって過ごした。
という事実。
「だからダメだ」
とか
「それでもよい」
とか
いちいち決めなくて大丈夫なんです。
この考え方を
頭の片隅に置いて生活してみてください。
少しずつ、心の縛りが緩まっていきます。
もしどうしても
「ダメ」というネガティブなジャッジが
頭から離れないのであれば
「なぜ?」を考えてみましょう。
なぜゴロゴロしてはいけないのか
なぜ食べすぎてはいけないのか
自分が自分に課しているルールが
見つかるかもしれません。
詳しい話はまた今度。
最後に。
マルバツジャッジする自分も
「バツ」ではないですからね。
先ほど
この"ジャッジ"というものは、行きすぎると
自分を必要以上に縛り苦しめてしまうので
おすすめしません。
と書きました。
「おすすめしない」という言い方をしたのも
ジャッジをすることは"悪い"ことである
と伝えたいわけではないからです。
ジャッジしてしまう自分がいるだけ。
そこに良い・悪いはありません。
なんでもいいしどっちでもいい
どんな自分もOKでいきましょう🦥
人生をもっとラクチンに、のんびりと。
はろあに.