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【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・7

1.ヨルダン、イランー2016年 (1)ヨルダン

ヨルダンは安全な国
 そして、いよいよ最終日。
 昼過ぎにホテルを出て、途中、死海のお土産(石鹸やローション。ホテルにあったのはかなり良品で、お肌がすべすべしていた)を買い、それからサエルの家族に会いにアンマン郊外の自宅にお邪魔した。壁には警察官時代の写真と一緒に、恐らくはメッカ巡礼に行った時の白装束の写真が飾ってあった。ミントティーをごちそうになりながら、娘の学校のお祭りのビデオを一緒に見ていると、サエルが突然お祈りを始めたので驚いた。これまでお祈りをするのを見たことがなかったのは、お祈りの時間である早朝や夕方には居合わせなかったからなのだろう。
 家を出てから、アンマン東部のサウジアラビア、イラクへの経由地となるアズラックでデザート・キャッスルと呼ばれるいくつかの宮殿や隊商宿を見て歩き、午後五時過ぎに空港に到着した。翌日は建国70周年のお祭りということで、道路は既に渋滞が始まっていた。サエルたちも今夜は友達の家にディナーに招かれているとのことだった。
 「いろいろとどうもありがとう。きっとまた来ますね」
 「今度は、ぜひ旦那さんと息子さんも一緒にね」
 旅行中、サエルはもちろん、ホテルや店など、いろいろなところで話しをするたびに、テロのおかげで日本人の観光客が激減したと聞かされた。
 「ヨルダンは怖い国、テロの国って日本人は思っているんだよね」
 今回、私が日本に着いてから、ヨルダンとイランに行ってくると両親に話すと、兄にまで電話をして辞めるように説得してくれと頼んだらしい。なぜ? 怖い国だから。では何が怖いのかと聞けば、メディアで得る限られた情報以外に何の具体的な理由は挙げられないではないか。 
 2001年にニューヨークで同時多発テロが起きてから、世界中のあちらこちらで爆破テロが起きていたので、もう世界中どこへ行っても安全なところなどない。強盗や殺人といった“安全はお金で買える時代”はもう終わり、パリ(実際、2015年11月に同時多発テロが発生)に行ってもアブダビに行っても同じ、“運がモノをいう”時代になってしまったのだ。私自身、ここ数年は毎年日本に帰っているので、大げさでも何でもなく、それなりの覚悟をもって飛行機に乗るようにさえなっている。
 ヨルダンは決して危なくない。それは、行きの飛行機で知り合ったアナーダが言ったように、軍隊が強いからとサエルも言っていた。もちろん、ヨルダンでも国境地帯へ行けば危険だろうし、旅行者はわざわざそんな地域へ行かないのが常識だろう。暗い夜道を一人で歩かないのと同じことだ。
 「ヨルダンは安全な国ってことを、日本へ帰ったら皆に伝えてね」
 もちろんだ。
 なぜなら、嘘をつく必要なんてないのだから。


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