【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・3
1.ヨルダン、イランー2016年 (1)ヨルダン
まさかの偽パスポート?
日本を出発したのは5月20日の深夜便。
荷物は機内持ち込みサイズに収めてはいたが、預けるつもりでいた。しかし、羽田行のモノレールのなかでふと疑問が湧いてきた。「イランの空港では荷物はどうなるのかな? 普通に考えたら入国審査を受けてからの荷物受け取りだから、行きは入国しない私の荷物は受取人がいないまま永遠にターンテーブルを回っているだけではないのかな?……そして盗まれる?」。羽田のカウンターで聞いてみると、地上職員さんが激しく同意してくれ、
「数キロオーバー程度なので、機内に持ち込んじゃってください」
と、笑顔で見送ってくれた。
10時間半のフライトでカタールのハマド空港に着いたのは朝6時過ぎ。ヒジャブ、ヒアール、チャドル、二カーブといったカラスの群れのような乗降客ばかりのせいか、ターミナル全体が薄暗く不気味に感じる。ムスリム系テロ組織が跳梁跋扈して、まったく関係のないムスリムたちも嫌がらせを受けていた頃だ。とはいうものの、文化や言語の違う国に来ると感じる“隔絶感”は、ムスリムの国となるとなぜかノスタルジックですらあった。
イランのエマーム・ホメイニ空港は、古くて暗い。入国ビザ発券窓口を素通りし、案内板に従って上階の乗り換えロビーへ行こうとすると、エスカレータの前で呼び止められた。
「ここから先は乗り継ぎの航空券がないと通れないよ」
乗り継ぎ便のフライデュバイのチケットは予約番号しか持っていない。空港係員に言われるままにパスポートと予約番号を出すと、
「1~2時間ここで待ってて」
と言って、私のパスポートと予約の控えを持ったまま上階へ消えてしまった。
ぽかん……。
予想外のことに頭を整理しようと、入国ビザ販売窓口の前に並ぶベンチに腰を下ろす。なぜ、パスポートと予約番号を持っていかれたのか? 今、自分の身分を証明するものは? ここは世界的に非常に評判がよろしくないイラン。そして、“外国では絶対にパスポートを手放してはいけない”! ああ、なんてことをしてしまったのだろうか!? 一気に不安が押し寄せてくる。1時間と2時間ってかなり違うじゃん。
と、そこへアジア人男性数人が空港係員と思しき女性に連れられてやって来ると、そばでやはりパスポートを彼女に渡している。
「あのー、さっき、係員らしき男性にパスポートを持って行かれてしまったんですけど。私、丸腰でここにいるのがとても不安なの」
「大丈夫よ。航空券を持って戻って来てくるから」
窮状を訴えると笑顔を作って接してくれるオーストラリア人のカスタマ―サービスに慣れているので、濃いメイクの能面のような対応に、安心できたようなできないような。もうどうにもできないので、そのまま本でも読みながら待つことにする。
1時間以上が過ぎた。
「おい、ジャパン」
と、さきほどの男性係員が上階から降りてきて手招きする。
「君はすぐにイランを退去しなければならない」
「え?」
係員は、上階のロビーへ続く通路の高速料金所みたいなブースにいる男と何やら話している。
「君のパスポートは偽物だ」
なぜか、自分のパスポートが偽物でない自信が200パーセントあった。
「は?」
係員は真面目な顔をしているが、ブースの男は心なしかニヤけて見える。
「偽物のはずないじゃない。オーストラリアも日本もカタールも問題なく出国してきたんだし」
1時間以上も待たされ続けた不安は、とっくに不満に変わっていたのでかなり強気だった。二人は神妙そうに顔を見合わせて首を振っている。
「じゃあ、日本の大使館に連絡してよ! 偽物じゃないんだから」
一歩も引かぬ姿勢で言い返すと、
「ごめん、ごめん、冗談、冗談!」
二人は笑うと、パスポートとデュバイ乗り換えのアンマンへのチケットを2枚くれた。
「ったく、ふざけないでよ!」
「気を付けてね、楽しい旅を」
イラン人は人懐こいと聞いていたので、ただの悪ふざけだと思っていたが、日本に帰って友達に話したら、私の出方次第でお金でも要求するつもりだったんじゃないのか、と言う人もいた。“イランだから”というのが理由らしいが、一週間この国でイラン人と接するうちに、それは絶対にないなと思えるようになった。
小さな待合ロビーは、私が不安な気持ちで待っていた階下と違って、滑走路に面した壁はガラス張りで明るく、飲食店もお土産屋も並んでいる。白人は皆無、アジア人は私だけ、あとはチャドルの女性となぜか少人数の男性グループばかり。トイレに行こうと隣りに座っていたおばちゃんに場所を聞くと英語で説明できないらしく、わざわざ手を引いて連れて行ってくれた。
フライデュバイは遅れがあり、デュバイでの乗り継ぎがあわやできなくなるかと気をもんだが、同じ航空会社に乗り継ぎのせいか、しっかりと待っていてくれた。飛行機までの移動用バスに駆け込むと、私に続いて重そうなロングコートを着た20代前半くらいの女の子も続いて駆け込んできた。二人でゼーゼーハーハーしているうちにふと目が合ったので、
「お疲れ~!」
と声を掛けると、お互いに笑いだしてしまった。
そこから、延々と会話が続き、飛行機に乗っても彼女、アナーダは話が止まらず、予約座席を無視して、ちゃっかり私の隣りに座ってきた。
「私の母はシリア人、父はパレスチナ人、祖父はロシア人、私はヨルダン人よ」
両親は国籍の面で苦労したそうで、アナーダは結婚して旦那さんとUSEに住んでいて、これから久しぶりの里帰りなのだと興奮していた。日本はあまりに遠すぎて想像さえ及ばないというが、王様(天皇)同士が仲良しなのでヨルダンは日本人観光客も多かったが、ISISのおかげで外国人観光客自体が激減しているのだそうだ。
「ヨルダンは安全よ。軍隊が強いから」
イラク、シリア、イスラエルと国境を接する小さな国が無事でいられるのだから、うそではないのだろう。
「ようこそ、私の国へ!」
飛行機がアンマンに着陸すると、3時間前に外したヒジャブを被り直しながら、アナーダが微笑んだ。長いこと海外旅行をしていなかったので、久しぶりに耳にした「ようこそ、私の国へ!」というフレーズは、言う方も言われる方も嬉しい気持ちにさせてくれることを思い出した。