【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・29
5.ウズベキスタン―2019年
美人か不美人か
翌朝10時にロビーにいると、なかなか微ミョーな女性、ウミダが迎えにやって来た。日本語では“海だ”という意味だと教えてあげると面白がってメモにまでとっていた。車寄せに停めてあるバンには、既に白人の女性が二人乗っている。
「おはよう。はじめまして。よろしくね」
アメリカから来たモリーとイギリス人のジュリー。
私の名前は日本人には珍しく、外国人は覚えにくいので、短縮すると同じになる某有名レストランの店名を言ってみた。
「あら、レストランと同じ名前ね」
メルボルンにも出店している、アメリカの高級日本食レストランと結びつけてくれた人は初めてだ。自分も高級になったようでなんだか誇らしい。
「そうそう。お高くて行ったことないけどね」
タシュケントの観光は今日一日で、メドレセ(神学校)、モスク、バザール、美術館、世界屈指の美しさといわれる地下鉄駅などを、旧市街を中心に巡ることになっている。
「タシュケントは、観光としてはそんなに見るところはないのよね」
女性3人組なので、やはりバザールが興味深い。モリーもジュリーも、銅や真鍮の台所用品に目の色が変わっていたが、ジュリーはまだ現地通貨を持っていないらしく困っていた。私は、空港で当座のお金として120USドル分を両替していたので、
「貸してあげるよ。利子は5割でいいよ」。
ジュリーはにやにやしながらお金を受け取ると、
「おお、ありがとう! 助かったわ。じゃ、私はこれで……。バーイ!」
と、手を振って立ち去る素振りをする。なかなか茶目っ気のある面白い人だ。
有名なチョルソーバザールは、野菜から衣料品までがエリアに分かれていて、ほとんどモリ―のコート探しに付き合っていたようなものだった。つづく巨大な大衆ピラフ屋でのランチで、それぞれが簡単に自己紹介をした。モリーはハンガリー生まれのユダヤ人で政治移民としてアメリカに渡ったそうだ。ご主人を10年前に亡くし、今はボランティアで看護師の手伝いをしている。
「あら、再婚はしないの? 恋人とか?」
ジュリーがいうと、
「いいえ。私は今までも、そしてこれからも一生、主人だけを愛しているの」
映画のセリフでもない限り、滅多に聞けない重みのある言葉だ。年齢は70歳を超えていそうな今でさえ、きちんとメイクをして美人なので、若い頃はかなりの美人だったことが伺える。年齢が如実に表れる首元を隠すスカーフも、何気にハイブランドだったりする。
ウェールズの首都カーディフ出身のジュリーは、旦那さんと成人した息子が二人いる。モリ―とは対照的に大柄でばっちりメイクをし、一人で喋って笑っているわりには、たまにセンシティブな面ものぞかせる。息子が少し前に日本へ旅行で行ったそうで、京都・西陣織をほめちぎっていた。
翌日のタシュケントからサマルカンドへの移動は高速列車で、改札は空港並みに厳重だが、なんともいえない旅情を感じる。2時間半の列車の旅にはまったく期待していなかったのだが、乗ってびっくりのVIPエリア。二人用対面シートでテーブルをはさむ4人掛けが3つ、二人掛けが3つ配置され、走り出して暫くすると、お茶とペストリーの車内サービスまで付いていた。
「このツアーって、もう一人いるでしょ?」
「サマルカンドで合流するって聞いてるわよ。モリーが73歳、私が63歳、あなたが53歳だから、きっと43歳よ」
ミャンマー人ともイギリス人とも情報がある。大きな違いだが。
いよいよ、憧れの青の都・サマルカンド。出迎えてくれたのは、ショーン29歳。
ウズベキスタンもツアーガイドは免許制で地方限定と全国に分かれていて、コースを受講しにモスクワに行くそうだ。シェーンは国内の免許を持っているというだけあって、その知識はすごいものがある。しかもダ・パンプのISSA似のイケメンで、そのことを話すと日本に住んでいる友達がいるので聞いてみると言いながら、早速グーグルで画像検索していた。ウズベキスタンは、経済援助を始めとして日本との関係が深く、日本人観光客も多いので、日本へ留学して日本語を勉強してツアーガイドになる人も少なくないという。たしかに要所要所で日本人のツアーグループに出くわし、現地ガイドが日本語で解説をしているのを耳にした。
アミール・ティムール廟に行く前に、モリーとジュリーの泊まるホテルに荷物を置きに行き、もう一人の参加者も含めて彼女たちはゲストハウスに泊まっていることがわかった。ツアーを探していたときに、同じS社のまったく同じ旅程で500AUドルほど安いツアーがあり問い合わせてみると、ホテルが3~4ツ星泊か、ゲストハウス泊の違いだった。ゲストハウスの内容がわかならなかったので、安全にホテル泊にし、経験としてヤート(遊牧民の移動式住居)とゲストハウスを一泊ずつアレンジしてもらっていた。
バンに戻ってきた二人にもう一人、アミィ・28歳も加わった。ロンドンの救急病棟でインターンをしているミャンマー人ということなので、事前情報はどちらも正解だったことになる。
ランチはショーンも一緒に中庭のあるレストランへ。若いショーンを微魔女と微魔女プラス世代でさんざんいじりまわし、とくにジュリーは面白半分に結婚から食事の世話まで焼いていたので、ショーンもたじたじになっていた。
サマルカンドでは、青の都の象徴でもあるレギスタン広場、中央アジア最大といわれるビビハニム・モスク、霊廟が並ぶシャーヒズィンダ廟群、その合間に、バザール、絨毯工場、紙すき工場などを巡った。
ホテルに戻ってから夕方、徒歩で20分ほどのところにある商店街まで散策にも出掛けた。ショーンは、観光客より多く警官が立っているので、街歩きは何の心配もないと言っていたが、会社員の帰宅時間と重なってまったく危険な空気はない。商品は並んでいて安いが買いたいと思うものはない。店に入っても店員が来ることもなく、声を掛ければ対応してくれるが英語がわからないので話しようがない。人から受ける印象は、取り立ててフレンドリーでもなければ不愛想でもなく、ただニュートラル。観光地のお土産屋は別として、ガツガツしたところがなく、かといって諦めているとかやる気がないという感じもない。
「典型的なウズベキスタン人の顔ってどんな顔?」
タシュケントでウミダに尋ねると、首を捻った。私が見る限り、彫りの深いロシア系、平らな中国・モンゴル系、そしてその混合種系の3つに大別されるような気がする。
「ウズベキスタンは、いろんな民族が混ざっているから、どれがウズベキスタン人の顔っていうのは、難しいわね」
そういうウミダは、タジキスタンとの国境近くの小さな町の出身で、混合種系の顔立ちにイラン人女性並の濃いメイクをしている。よくよく見るときれいな顔立ちなので(最初に微ミョーと思ったのはそういうわけだ)ナチュラルメイクの方が良いと思うのだが、恐らくは日差しの関係で厚塗りなのかもしれない。
この国の美の基準がどこにあるかわからないので、あくまでも日本人である微魔女の個人的見解なのだが、女の子の学校生活は大変だなと思う。たとえば学校のクラスには彫りの深いロシア人の顔もいれば平たいアジア系の顔もいるわけで、集団生活が始まったその日から、誰が見ても明白な“美人か不美人かの区分け”のなかで生きていくことになるからだ。“美人がどう感じるのか”は美人になったことがないのでわかりようもないが、不美人であったなら、決して覆ることのない世の不条理を子ども時代にして経験しなければならないのではないか。それだけ、ウズベキスタンの女性は顔に関しては真ん中がいない“二極化”しているように思えた。
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