海猫、辿る、風のしらべ
夢みたいな日が終わってしまった。
言葉にしておかないと勿体ないと思いながら、上手く言葉にできる気がしなくて今もどうすれば良いのか分からない。きっと冗長になってしまうのでご容赦ください。
おけさんさん(以下おけさん)と共同企画を行うのは3度目になった。私たちは年齢も、住む場所も、境遇も決して近くはないが、奥底に共有感がある。でも違う人間だからこそのワクワク感もあって、何度もこういう気持ちを抱かせてもらえるのは本当にありがたい。
私たちは活動期間も同じくらいで、電話で何度も「もう辞めようかな」とお互い漏らしたりしていた。でも2023年、思った。なんだかんだ言って、私たちは自己表現を続けていくのではないだろうか。
私たちなりの意志と覚悟を持って挑んだ今回の企画。対バンにバンドを呼んだり、憧れの人を呼んだり、だいぶ強気だった。寧ろ全部なぎ倒すくらいの強気でいないと、自分に負けちゃうから。
対バンへの愛などを語り始めるとキリがないのだけれど、本当にずっと夢みたいだった。でもほっぺをつねっても痛い夢。目の前は確かに現実だった。
私は自分でやっていることを「弾き語り」だとあまり言わないようにしている。結局自分が1番気にしてしまっているのだけれど、音楽は形では無い。人間はハートだ。どれだけ熱さを閉じ込めて、どれだけの人に、どれだけ深く、届けられるか。それ以上でもそれ以下でもない。
だからこそ、今回は覚悟をもってバンドセットで挑んだ。私には音楽理論もバンドアレンジも分からないのだけれど、大切な人達(ターナーズとはもう6.7年の付き合いらしい、時間の流れは怖すぎる)が後ろにいることがこんなにも心強いのかと、何度も思った。
私があまりにも不甲斐なくて申し訳ないとずっとメンバーに思ってしまっていた。そこばかりは反省。リベンジしたい!
会場のどこを見ても、あまりにも大切な人達ばかりで。私は全部大切にしたくて、全部下手くそすぎる。まだ何が正解なのか全然分からないのだけれど、私は私のやり方を諦めたくないと今は思ってしまっている。
バンドセットで新曲をやった(強気すぎる)。
「退屈な毎日は嘘みたいに煌めいて
ぐらついた足元に気づきたくないほどに愛おしい」
我儘だけれど、私は今の日々を離したくない。
もう会えなくなった人たちも、少なからず私の中には全員が生きていて、残っていて、これからも私を生かしてくれる。
だから私はうたをうたいたい。みんなが生きた証を残したい。何よりも私のために。
私はこれからどうやって生きていくのか、自分でも全然分からない。怖いと楽しみを毎日行ったり来たりしている。
でも、ありがとう!
私に出会った全てが今日の私を作っているのなら、大丈夫な気がしている。今までだって、生きてきた。
春とは言えどまだ風が冷たい2024年3月3日。
お昼の温かい光が後方に指すKDハポンで、私たちの勇姿を見届けて下さった皆様。
直接は見れなかったけれど応援してくれた人。
今まで私に出会ったもの全て。
そしてこれから出会う、ひとつも同じものはない人やもの、場所、時間、気持ち。
全部抱えて生きていたい。その手段として私はまだうたをうたうことくらいしか出来ないけれど、出会ってくれて本当にありがとうございます。
海猫は、春の風に助けられながら、私をどこへ連れていってくれるだろうか。
いや、私は、きっと連れていきたい。
全部抱えて行きたい。まだここは最果てからは程遠いはず。
希望、望み、祈り。そんな言葉では綺麗すぎるかもしれないけれど、そんなことばかりを考えてしまう程、今の私は無邪気にときめいているみたいだ。
みんな、どうか、一緒に行こう!
これからもあなたにうたっていたい!
大きな感謝と、ラブを!!!!!
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