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希釈と濃縮
大学を卒業して9ヶ月経ち、名古屋に引っ越して半年が経った。
1年前の私は、卒論に追われながらお先真っ白の未来に頭を抱えるというより、半ば「お手上げ!なにも考えられないので許してください!」状態だった。現に今なんとかなっているのでまだこの性格は変わりそうにない。
原因は分からないけれど、とにかく世界のなにもかもにムカついていて、睨んで怒って草臥れて。風船が何度も膨らんでは萎んでを繰り返すような日々を送っていた、私の25年間。
確実に自分が変わってきている。正直、数年前は地獄の様な日々だった。今日まで生きていられてよかったと心から思っている。
毎日それなりに仕事が楽しくて(子どもたちが本当に愛おしくて多少の不満は許容できる)、たまにうたをうたったり友達に会ったり。あ〜今の生活は贅沢はできないけど、これが私の今で良かったな〜と思ったりする。
あれ…?私、満足してる………
そう。多分満足しているのである。
満足するのと比例して、思考の隙間が無くなり、創作意欲がグッと減った。
以前から、自分がダウナーな時しか創作ができないことは多少コンプレックスには思っていたが、ここまで顕著だとは思っていなかった。
だいすきな尾崎リノ(現在は江野利内に改名している)の「暮らし」という歌に、
『君といると歌が要らないわ』
という歌詞がある。
本当にその通りで、現状に満足すると自分から何も生み出せなくなってしまう。
不器用だから、目の前以外のことが一切考えられないのだと思う。自分以外の何かと居ると。
自分を見ることは、怖い。
行き過ぎると「気持ち悪い」という感情に移ろっていき消してしまいたくなる。それをなんとかしようとして生まれるものが、きっと私の創作で、すなわち自分から目を逸らさなかったプロセスである(あくまで主観)。
だからこそ自分の作品は遠藤美月~濃縮還元~。
遠藤美月-100%になる。あまりにも濃くて自分でも引くことがある。「そんなこと思ってんの?」と驚愕することもある。自分の作品のことを全部だいすきだけど、自意識に苛まれると全部気持ち悪くなって、全部破り捨ててしまいたくなることがある。
そう思うと、今の日々は自分を顧みる隙間があまり無く、正面から向き合わなくて済むのかもしれない。決まったタスクをこなして、様々な種類の人や場所やものに触れていれば、日々が過ぎていく。自分が希釈されていく。思考のベクトルを周りに向ければ、自意識に苛まれなくて済む。
こう書くと、私の満足は、逃げや麻痺のそれに近いのかもしれない。明らかに数年前に比べたら、感覚は鈍っている。極端な怒りを覚えることは減ったが、究極に心を揺さぶられることもあまり無くなった。
そうなの?
こんなにこの日々のことが好きなのに?
分からない。今はまだ、バランスが取れていないだけなのかもしれない。
逃げや麻痺だからと言って、ようやく手に入れたこの日々を易々と手放すような私では無い。
もし間違っているのだったら、いつか不穏な匂いが立ち込めるはずだから、その時に対策を講じればいい。
だし、思考が爆発していないのに、無理に捻り出そうとする創作は、性にあわない。
今はとりあえず、この日々を余すことなく満喫してみようと思った。
やはり、私の性格は暫く変わらなさそうだ。
ps.風船が膨らみすぎて破裂しないようにすることだけは、忘れないようにしなければ。