家をめぐる話 -Part1-
築50年以上も経つ古い実家を売却したのは、去年の夏のことだった。
売却を決めてから実に8年の月日が流れていた。
父が母との結婚を機に建て、増改築を繰り返したその家で、私は21歳で日本を離れるまで暮らしていた。
床はいつ抜けてもおかしくないほど、ところどころ腐ってベコベコだった。
窓からは隙間風が入り、冬など外と変わらないくらい寒かった。
東日本大震災の後には建付けが悪くなり、襖や障子が開かなくなった。
段差ばかりで、足元がおぼつかなくなった母を見ては転ぶのではないかといつも肝を冷やしていた。
庭いじりが好きだった父が生前甲斐甲斐しく世話をしていた日本庭園は、年に2度ほど植木屋が手入れにくるのみで、見るも無残な姿に荒れ果てていた。
まさに『劇的ビフォーアフター』におけるビフォーな家だった。
年頃の娘は自分の部屋を欲しがり、母は掃除が大変だと苦情が絶えなかった。
思い出が詰まっている筈のその家は、私にとって、いつしか憂鬱の種でしかなくなっていた。
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実家が、いわゆる「トラブル物件」だと知ったのは、帰国後わずか3ヵ月で父が亡くなり、司法書士に父の財産整理をしてもらった時だった。
実家は、父方の親戚の家と並んで建っており、公道には接していなかった。
「死に地」というやつだ。
公道に接している6メートル幅の入り口部分は親戚と共有の名義になっており、同じように共有だと思い行き来していた通路は親戚の土地だという。父の兄にあたる伯父と伯母は既に亡くなっており、主を失った隣家は従兄の名義で空家のまま放置されていた。子供だった私は当然何も知らず、母も一切何も聞いてないという。理屈上、実家と公道の間に立ちはだかる親戚の家は入り口の共有名義の土地と接しているため単体でも売却可能だけれど、実際のところ買う人は居ないだろうと言われた。売却するのであれば2つの土地を一緒に売却し、費用や売上は折半するのが無難だろうとのことだった。
亡くなった伯父も伯母も一筋縄ではいかない変わり者だったが、従兄も負けず劣らず自分の利益しか考えないわがままな性格だ。
とんでもないお荷物を残してくれたものだ。
母が、父の三回忌が終わるまでは実家に居たいと言ったため、とりあえずはそのまま住み続けることにした。幸い、父が一括払いで建てていたためローンの心配はなく、それが唯一の救いだった。
それから2年後、従兄から母宛に連絡があった。住んでもいない家に固定資産税を払うのは馬鹿らしいから、いい加減売却したいとのことだった。既に不動産屋に相談しているらしく、自分の家だけでは売却が難しいと言われた為に仕方なく連絡してきたようだった。別の親戚の話では、一度我が家に相談なく、その場所にアパートを建て家賃収入で一儲けしようと考えていたこともあったらしい。当然、我が家のことなど考えておらず、数人で慌てて説得したのだそうだ。そういう人なんである。
従兄が見つけてきた不動産屋に会い、希望価格を決めた。従兄の家はともかく、我が家には裏に畑もあった。オイルショックの時も母が父に懇願し、手放すのを拒んだ土地は全部で200坪近い広さがあった。ウワモノ付きで1200万くらいの価格で依頼したと記憶している。それが安いのか高いのかわからないほど、不動産の知識など皆無だった。従兄とは極力関わらないようにするため、全てのやりとりは不動産屋を介して行うことにした。
1年過ぎ、2年が過ぎても実家は売れなかった。
問い合わせはくるものの、そこで終わってしまう。土地の形自体もいびつなため、買い手はつかなかった。
不動産屋のアドバイスもあり、仕方なく価格の交渉に応じるという条件を付けて再度様子を見ることにした。
しばらくすると、不動産屋からの定期的なアップデートも途絶えた。
それでも、まだどこかで私は楽観的に捉えていた部分があった。いつか売れる、そう信じていた。
あの時までは…。
あれは、ある年の秋のことだった。不動産屋から電話があり、買い手が現れたと聞かされた。以前から電話で何度か問い合わせのあった業者が、私が価格交渉に応じるとしたことで話を進めたいと連絡してきたのだという。諸手を挙げて喜んだのも束の間、不動産屋は肝心の従兄と連絡が取れないと困っていた。携帯電話も解約されているらしく繋がらないので、私から連絡を取って欲しいという。私も母も従兄の連絡先は携帯しか知らない。元々「用事があればこちらから連絡するので、(電話は)掛けてこないでください」ときっぱり言うほど従兄は私を含む親戚一同とは一方通行のやりとりしかしていなかった。番号を変えられたら最後、どこにいるのかすらもわからない。母が本家の親戚に相談したところ、ちょうどその年の夏に北海道の警察から連絡があり、従兄が自殺未遂で道警に保護されていたことが判明した。所持金が5000円しかないため、このまま解放すると再度自殺を試みる可能性があるので送金してやって欲しいと言われたのだという。トラブルメーカーの従兄に金を送るなどとんでもない、もう好きにすればいいと親戚は電話を切ったという。
北海道…
せっかく土地が売却できるチャンスが訪れたというのに、北海道なんて電車やバスでおいそれとは行けない場所に黙って行ってしまっただけでなく、自殺未遂まで犯すとは、本当に迷惑な話だ。
とにかく、土地のことだけはきちんとしてもらわなければ困る。このまま土地が売却できなければ、私は一生この場から離れることができない。現在の状態では増改築は禁止なため、大々的なリフォームをすることもできない。壊れかけた実家と共に死ぬしかなく、死んだあとは残された娘が同じ思いをする羽目になる。それだけは何としてでも避けなければならなかった。
まず最初に足を運んだのは警察だった。道警に保護されたということもあり、ここで何か調べてもらえないかと思った。行方不明として捜索願を出すことも視野に入れていた。しかし、行方不明としている本人が成人であること、そして北海道で保護されているのがわかっているということから行方不明には当たらないと言われてしまった。北海道に居るのがわかっているのだから、市役所で戸籍を取ればいいと言われた(※実際には直系3親等の人間までしか申請できない)。もしくは探偵を雇えという。従兄には身寄りがないと説明しても、親戚では捜索願も出せないとも言われた。それでも食い下がると、従兄が地元で借りていたアパートの管理事務所に連絡してみろと言われた。北海道から戻り、部屋に隠れている可能性もゼロでない等と全く説得力のないことを言う。所持金5000円で北海道から関東まで戻ってこれるとは到底思えなかった。また、百歩譲って戻っていたとして、部屋で再度自殺を図っている可能性もある。第一発見者になるのはごめんだった。
探偵を雇うようなお金はないため、私は仕方なく遺体の第一発見者になることも覚悟した上で、従兄が最後に借りていたアパートの管理事務所を見つけだし、電話をした。すると、翌月の家賃が引き落とせなかった時点で既に警察立ち合いのもと、安否確認が済んでいると言われた。部屋には所持品が残された状態で、管理事務所の北海道支社では道内での居所も既に把握しているとのことだった。車で移動しており、北海道の住所には同居人が居るらしい。しかし、管理事務所も個人情報なのでそれ以上のことは教えられないと口を噤んでしまう。事情を説明しても、聞いてはもらえなかった。何度かしつこく連絡してみたけれど、本社の方で裁判を起こす準備をしているため支社では答えられないと断られてしまった。
次に向かったのは市役所だ。最近ではどこの役所にも空き家対策課みたいなのがあるらしく、地元にもそのような課が存在していた。隣家は当然全く手入れされておらず、庭木や雑草が伸び放題になっていた。雑草程度は私や母で何とかしていたが、庭木に関しては近所からも苦情が出ていた。そこで空き家対策課で従兄に連絡が取りたい旨を伝え、次いでもし固定資産税を滞納した場合はどうなるのか等を別の課で尋ねた。競売にでもかけてもらった方が話が早いのではないかと期待してものの、古い民家には価値がない上、競売は通常の市場価格より20%(?)近く低い値で取引されるため、実際には固定資産税を滞納しても競売にかけることはほぼないとのことだった。いわゆる放置である。
市が主催する空き家対策相談室や空き家活用シンポジウムにも行ってきた。空き家対策相談室では、司法書士や宅建士などプロから直接アドバイスをもらうことができる。具体的には、隣接しているご近所さんに我が家の分だけ安く買い取ってもらうか、土地を細かく分散し、隣接しているご近所さん1件ずつに分けてただで貰ってもらう。もしくは私名義にした土地を母に言い値で売り、母の名義に変更、母が亡くなったら相続放棄するという、この3つくらいしか方法がないと言われてしまった。どれも損失は避けらず気が重い話だった。いうまでもなく、母は全ての案に反対した。一度1200万と決めた金額を諦めることなどできる筈がない。母としては、父から「この家を売ればひとりで住めるくらいの小さな家が買える」と常々言われていたこともあり、新居の資金にするつもりでいたのだから、当然といえば当然だろう。最後の案に至っては議論の余地もないと無下に扱われ、さすがの私も丸投げした上に文句しか言わず、これまで家のことに全く無関心だった母に次第に腹を立てるようになっていた。
時間ばかりが過ぎていき、気持ちが焦る。相変わらず、自分の部屋が欲しいという娘に、協力はしないけど早くどうにかしてくれと苦情を言う母に挟まれ、ストレスは最高潮に達していた。従兄が出てこなければ、もう実家はどうにもできない。それはどこで誰に相談しても同じだった。
最終的に私が出した結論は、隣接する近所の人に声を掛け、安く買い取ってもらうという方法だった。もちろん母は反対した。
「みっともない」
「恥ずかしい」
「もったいない」
「どうせ誰も買わない」
あらゆるネガティブな言葉を羅列して、自分が納得いかないことを表現してきた。しかし、「じゃあ、どうするの?」と訊くと「しらない」と答える。そして失踪した従兄に対して「わがまま」だ、「だらしない」だ、と腹を立てる。今更そんなの言ったところで、どうにもならない。従兄抜きで解決できる策を探さなければ、先には進めないのである。何年もの長い月日を掛け、あらゆる手を尽くして解決策を探してきた私には、それがわかっていた。
不動産屋と相談し、隣接するご近所さん宅すべてにポスティングしてもらうことにした。母は情けないを連呼した。決して狭くはない広さの土地だ。価値があると思っていたのに、それが僅かな値段で他人の手に渡ってしまう。しかも、近所にビラが撒かれるのである。世間体を気にする母にとっては、相当の屈辱だったに違いない。
土地は、価格を50万まで下げた時点で引き取り手が現れた。司法書士2人から「ここの家の人が買ってくれるのが一番理にかなっている」と言われたお宅が手を挙げてくれた。
こうして、私の8年の長きにおよぶ実家の売却劇は終了した。
当然、冷静に考えれば大きな損失を負ったことになるだろう。母の苦情は、売却前以上に増した。終いには、引き取ってくれたご近所さんの悪口まで言い出す始末だった。実際のところはわからないが、見るに見かねて50万なら…という人助けのつもりで手を挙げてくれたのではないかというのが、私の個人的な意見だ。私は空き家活用シンポジウムで、不動産がマイナス資産にしかならないことを知り、今回の件で実体験としてそれを経験した。不動産は捨てるわけにはいかないから、持ってしまったら最後、親から子へ、子から孫へ相続していかなければならない。核家族化が進む中、扱いが面倒なのが不動産なんである。そんな面倒なものを、自分が既に住んでいる家の隣にプラスαで買おうと思うだろうか?建て替えて二世帯住宅にするにしても、ウワモノだけでなく、ご丁寧に荒れ果てた日本庭園まで付いているんである。しかも、従兄が出てこない以上、隣家も含めトラブル物件であり続けることに変わりはない。そんな面倒なものを、例え破格の金額とはいえ、買い取ってくれた近所の人に対して、私は足を向けて寝られない。
この先も、買い取ってくれたご夫婦には、隣家のことで問題があれば真摯に対応していくつもりだ。そして、万が一従兄が現れた暁には、顔の一発でも殴ってやらないことには気が済まないのである。